長島昭久のリアリズム 第五回

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「海洋国家日本」の外交・安全保障戦略(その2)

 南シナ海は、我が国のみならず米国はじめ世界各国のシーレーンが輻輳する重要な海域だ。その南シナ海をめぐって、昨年7月のASEAN地域フォーラム(ARF)を舞台に米中が激しい鍔迫り合いを演じたのである。クリントン米国務長官が「南シナ海における航行の安全は米国の死活的な国益である」と主張し、南シナ海の領土をめぐる中国のヴェトナムやフィリピンとの紛争に米国が介入する用意があると宣明したのである。昨年春ごろから、南シナ海を台湾やチベットと並ぶ自らの「核心的利益」と位置付け、紛争解決に武力行使も辞さず、とした中国に対する米国の断固たる対抗姿勢を示したのである。

 2001年の911同時多発テロ以来、長く中東(アフガニスタン、イラク)に関心を奪われてきた米国ではあったが、南シナ海の安全航行を脅かす事態をこれ以上看過することは出来ぬとするARFでのクリントン米国務長官の発言は、米国による東アジアへの「カムバック宣言」ともいうべきものだった。実際、この10年でアジア太平洋地域における米国の前方展開兵力は、約10万人から7万人強に3割も減っていたのである。その大半は、アフガンとイラクの戦役へ投入されたまま沖縄を中心とする西太平洋に戻って来ていない。その間隙を突くようにして、中国の海洋進出が顕著になったのである。

 力の空白を埋め、「戦略的国境」(従来の国境概念を超え、EEZを含む戦略的な領域)を拡大するという中国の動きは、すでに40年も前、ヴェトナム戦争直後から南シナ海で始まっていた。すなわち、1973年にヴェトナム戦争が終結し米軍が撤退すると、翌年、中国軍はすかさずヴェトナムに侵攻し、南シナ海に浮かぶ西沙諸島を占領。79年から米軍に代わってカムラン湾にソ連の艦艇が展開を開始すると動きを止めるが、87年にソ連軍がカムラン湾から撤退したのを見届けるようにして、今度は南沙諸島に進駐開始。翌年にはヴェトナムと武力衝突を起こす。さらに、91〜92年にかけてフィリピンのスービック海軍基地、クラーク空軍基地から米軍が撤退すると、中国はただちに領海法を公布。南シナ海の大半(および、尖閣諸島、台湾)を自国領海と宣言し、95年に米比相互防衛条約が破棄されるや否や中国軍はフィリピン沖数キロにある南沙ミスチーフ礁を占領したのである。・・・次回以降は、最近の動向も含め、中国の海洋進出の目的がどこにあるかについて詳しく見ていきたい。

内閣総理大臣補佐官(外交・安全保障担当) 衆議院議員 長島昭久