ナイロン100℃が20周年 ケラリーノ・サンドロヴィッチ「積み重ねの力って凄い」
劇作家で演出家、そしてミュージシャンでもあるケラリーノ・サンドロヴィッチ(KERA)が主宰を務める劇団、ナイロン100℃が今年で20周年を迎えた。記念企画として、これまで『デカメロン21〜或いは、男性の好きなスポーツ外伝〜』、side SESSIONとして大倉孝二の一人芝居『ゴドーは待たれながら』の2作品が上演され、6月からその第3弾となる『わが闇』が下北沢の本多劇場で再演される。
『わが闇』は2007年に上演された作品なのだが、20周年企画の最後にこの作品を持ってきたのはなぜ?
「『わが闇』はとにかく大好きな作品で、そして多くの人に訴えることのできる作品ということで選びました」
映像には昔から力を入れていたイメージがあるが、『わが闇』は特に映像の使い方が斬新だった。
「いわゆるプロジェクションマッピング風の映像を使い始めたのがこの作品から。あんまり驚かせようとかは思ってません。作品にとって効果的か否かが最重要。ただ、最近巷でプロジェクションマッピングが流行してきちゃったので “今コレやるのはカッコ悪いんじゃないか?”みたいな危惧もあります。上田君という非常に有能な映像作家の人がいつも一緒にやってくれているんですけど、彼とも“もっと別の使い方を発見しないとこのままじゃやばい”って話はしているんですけどね」
映像の使い方に関しては他の演出家より先んじている?
「うーん、どうなんですかね。ともかく僕が心がけているのは、カッコ悪く使いたくないなってことだけで、先鋭的かどうかよりはセンスの問題。同じことをやっていてもセンス一発でカッコ悪くなってしまう」
2004年の『消失』、そして『わが闇』以降、シリアスなちょっと泣ける作品が増えてきた?
「たしかにそうですね。それまでは、観客を泣かせてしまうとか自分がジーンとくるような世界観に対して、気恥ずかしさみたいなものがあって、ある時期までは、それは自分がやる仕事ではないだろうと思っていたんですけどね。自分なりにやってみようと考えたのが『わが闇』です。やるなら徹底してやろうと。泣かせる芝居を、ということではなく、スタンダードな演劇をね。結果涙腺が緩んでもアリにしよう、と。特別キテレツな事件が起こるわけでもなく、普通の人を普通に描きたかった。『消失』なんかはまだ、善意の人々が、いい人であるがゆえに空回りし、やがて善意が仇になって破壊していく、みたいな展開に、作家の強い悪意を感じる。でも『わが闇』は全員を優しい目で見つめる眼差しが自分の中にありました。この作品を書いたことでずいぶんレパートリーが広がったと感じています」
ナイロン100℃「20周年」といってもその前身ともいえる「劇団健康」から数えると、演劇に携わって28年。振り返ってみると?
「積み重ねの力って凄いなって思いますね。まず、自分がやってきたことの物量に自分で圧倒される。右も左も分からなかった、それどころか演劇を真剣にやるつもりすら毛頭なかった人間が、犬山(イヌコ)の一言で“ちょこっとやってみるか”と遊び半分に始めた演劇を、まさかこんなに長く続けることになるなんて…。押しつぶされそうになりますよ、自分の過去の仕事量に。その時考えていたこと、その時に費やした労力。それからその時々に起こった、創作と関係のない出来事…思いを巡らすと、目眩がして気が遠くなる。演劇だけじゃないですからね、バンドもやって、インディーレーベルも主宰し、映画も撮った。後から考えると、どう計算しても時間が足りないだろうって。これ100歳くらいの経験値ですよね」
年に5本書き下ろし
ナイロン以外でのプロデュース公演を含めると膨大な作品を書き上げている。
「多い時は書き下ろしを年に5本とか。公演自体は7本なんて時期も。1999年から2001年あたりは、劇団公演だけでも5〜6本やってました。僕は今年50歳になりまして…自分を振り返るタイミングって50歳と60歳くらいしかないと思うんです。70歳からはもう振り返らないんじゃないかと。で、それじゃあ、と振り返ろうとしてみたものの、これがもう、全然把握しきれないんですよ。例えば音楽活動ひとつでも、まったく覚えてない。有頂天のころから聴いてくれている熱烈なファンがいるんですが、その男の子、男の子といってもおっさんですけど、彼に聞かないとなんにも分かんない。アルバムの数だって、ロングバケーションっていう有頂天の次にやったバンドだけでも20何枚出していて、そもそもなんでそんなに出せたんだ!? いつ作ったんだそれを!?っていうくらい。演劇だって膨大な数をこなしてましたから。今はもう集中力と体力の衰えが比較にならない。すぐ疲れちゃいます(笑)。反比例するように、自分に課すハードルはどんどん上がっているんで、年々疲労の度合いは強まってます」
なぜ書く? なぜ書ける?
「自分でも不思議ですよ。新作を書くときはいつも怖い。こんなに恐ろしいことをどうして次から次へとやれてるのか。よく神が降りてくるとかいうじゃないですか。そういうとりつかれた状態にもっていくための方法を、自分はもたないし、ともかく目の前に締切だけがあって、“なんか書かなきゃ。でも自分が課したハードル以下のものは絶対に書かない”ってことしかない(笑)。創作に行き詰まって、ふと死を考えてしまう人の気持ちも理解できます。自分は死のうとまでは思わないですけど」
どこかの段階で演劇って面白いと思ったり、のめり込むきっかけがあった?
「演劇ってどっか恥ずかしいものだっていう思いがあったんです。僕が劇団を立ち上げる前、80年代の前半に小劇場ブームがあった。当時は演劇ってダサイという印象が強かった。面白いところもあるけど、洗練されていないものが多かった。洗練されていないことに面白さを感じる作り手が、洗練されてないことを楽しめる観客の前でやるのが演劇。そう感じた。だから“お前らのやってることはこんなにカッコ悪いんだぞ”と茶化すような気持ちで劇団をちょっとやってみた。それがいつの間にか面白くなってしまったんですね。90年代になるころには、演劇界もだいぶ変わって、従来の演劇に対するカウンターも現れて、自分にとっても面白いと思えるような演劇、決してカッコ悪くはないと思える方法が生まれ、やがてある潮流ができてきたんです」
20年やっていてもナイロンは舞台上の風景が古臭くならないのはなぜなのか?
「らしきことはちらちら言われたこともありますが、とくに古臭くなるまいとビクビクしながら作ってるわけではないですからね。ただその時々にやりたいことをやっているだけ。結果として古臭いと思われたら、まあしょうがないかという感じです。対観客というよりは、対自分に負けまいということに必死です。だって、どう考えたってどこかに限界はあるわけで、“もっと飛べるだろう、もっと飛べるだろう、あっ飛べなかった”というときが来るだろうことを予期しながら“もうちょっと、もうちょっとできるはずだ”とやっているワケですから」
ナイロンの役者たちは年を感じさせない。動きも見た目も若さを感じさせる。
「そうですか(笑)。まあ若いですね。よくいえば若い、悪くいうとなかなか大人になれない(笑)。現場ではいろいろありますけどね、台本見るのにみんな異様に目から離してたり(笑)。確かに同年代のほかの演劇人を見ると、若いころとだいぶ変わったなと感じる人や集団は少なくないけど、うちは比較的その変化がなだらかかもしれないですね」
パンフへのこだわり
パンフレットへ並々ならぬこだわりを持っている。
「印刷物が大好きで、とくにチラシとパンフレットは愛していると言ってもいい。重要な、公演の一部だと考えています。納得のいくチラシが作れないと公演の最初の一歩をつまずいたような感覚がある。“あっ、この公演ダメかも”みたいな(笑)。先入観もあるんでしょうけど、チラシがつまんなそうなお芝居や映画は観たくないですもんね。憤りすら感じます(笑)」
一時、劇団に書く事、もしくはあり方について若干ネガティブな発言をしていたことがあった。
「10周年のころですね。劇団ってやっかいなものなんですよ。主宰は大変です。創作以外のことでも、劇団員やスタッフの諸々を、メンタルケアも含め、それなりに引き受けなければならない。あのころは“もう知らないよ。いいじゃん、作品のことだけ考えれば”っていう気持ちになってたかもしれない。若いころはみんな、劇団内における自分のポジションって考えますよね。小劇場の問題でよくあるのが、テレビの仕事が来て、“劇団のほうはちょい役、テレビは準主役なのに、なんで劇団公演を選ばないといけないの?”みたいな話。ウチの劇団にも昔はありました。当事者だけの問題では終わらないんですよ。仮に僕がイエスにしろノーにしろ判断をしますよね。すると今度は他の劇団員が僕の対応をどう感じているか、みたいなこともある。“それは不公平じゃないか”とか。でもそうした面倒くささは、さすがに最近はなくなりました。ただやっぱり、僕が劇団を始めたことが、良くも悪くも、彼らの人生を左右したのは間違いないことですから、その責任の重さは若い時より感じるようになった。女優がもっと早く結婚できてたんじゃないかとか(笑)そういうことも考えますしね。10周年の時は相当ネガティブな時期で“20周年は確実にないから”みたいなことをインタビューで言っていましたね」
でも劇団のいいところは実感している。
「劇団でやってこれたことは本当に良かったと思ってますし、この劇団でないとできない作品というのがいっぱいあります。よく、台本を外に出して、僕の演出で劇団外のキャストでやる、みたいな企画が持ち上がるんですけど、“いやできないよ他の人たちじゃ”って…。まったくの手前味噌ですが、ナイロンの劇団員の演技力は水準を大きく上回っています、ことに僕の台本を演じるに当たっては。台本も基本的にあてがきですしね。まあそれでも成立はするんでしょうけど…劇団公演と同じクオリティのものはそうそうできるもんじゃない。20年の積み重ねを甘くみてもらっちゃ困る(笑)」
30周年も大丈夫そう。
「10年後も存続してるでしょうね。死なない限り。20周年と30周年の間の密度がどれくらいになるかは分からないですけど。10年で一本しかやらなかったなんてことはあるかもしれないけど(笑)、一本ってことはないか(笑)。どの程度の頻度で公演を打ち続けられるかは分からない。ただ、どんどん楽になっていくだろうなって思います。もはやモノづくり以外のことでみんな四の五の言わなくなるでしょうしね。極度の負荷のかからないやり方を、僕も含め模索していくと思うし、無理しないようになっていくんじゃないかと思うんですね。そこでまた、その大らかさやらの総合的な老人力が、若い時にはできなかったことを可能にするんじゃないかなと。もちろん若い時にできたことができなくなってゆくってのもあるでしょうが、それもまた人間の面白さですよ」
ミュージシャンとしての顔も持つKERAは20歳の1983年にはナゴムレコードというレーベルを立ち上げた。今でいうと若手起業家だ。
「高校卒業後は映画学校に入学しました。映画を作りたかったんだけど、当時の映画界で生きていける可能性は低いと思った。自分が一番下っ端で偉い人がたくさんいる、そんなとこに飛び込んで10年我慢してやっていくなんて、耐えられんと。で、バンドのほうが楽しくなっちゃったんですよ。楽しんでやってるといつの間にかうまくなる。と言ってもテクニックは大したことなかったけど、楽しいからどんどん世界を深められたし、求心力を持てた。そういうものなんだなって、後から振り返って思いましたね。強運ということもあるんでしょうけど、気がつくとインディーズブームが来て、いつの間にか周りにもいっぱいいろんな仲間がいた。今のお笑いの人たちや演劇の人たちみたいに“3年間でここまで行ってやろう”とか “売れるためにこういう戦略でいこう”とか、そういうふうには1ミリも考えたことはないですね。ホントに好きなことだけをやっていて、状況が後からついてきた感じ」
作品はもとより、ここまでに至る生き方が「カッコいい」。多分、そんな部分へのあこがれなのか、KERAを慕う若い演劇人は多い。
「そうですか。そうだとうれしいな。常に若い人には受け止めてほしいなって思って発信していますから。でも若い人たちのリサーチをするということは一切やってないんです。スマホもよく分かりませんし(笑)」
まずは『わが闇』を。そしてこれからの活動にもチェックが欠かせないアーティストだ。
(本紙・本吉英人)
今回の公演のパンフレットを本紙読者3名にプレゼントいたします。(係名「ナイロン100℃パンフレット」係。
【日時】6月22日(土)〜7月15日(月・祝)【会場】本多劇場(下北沢)【料金】全席指定 前売・当日共6900円/学生割引券4300円(前売のみ。チケットぴあのみ。当日学生証提示)【問い合わせ】キューブ(TEL:03-5485-8886=平日12〜18時[劇団HP]http://www.sillywalk.com/nylon/)【作・演出】ケラリーノ・サンドロヴィッチ【出演】犬山イヌコ、峯村リエ、みのすけ、三宅弘城、大倉孝二、松永玲子、長田奈麻、廣川三憲、喜安浩平、吉増裕士、皆戸麻衣/岡田義徳、坂井真紀、長谷川朝晴