長島昭久のリアリズム 集団的自衛権について考える(その二)
まず、集団的自衛権をめぐる議論の混乱を正しておきたいと思います。第一に、日本国憲法は、どこをどう読んでも明文で集団的自衛権を否定してはいません。第9条で否定されているのは、(1)国権の発動としての戦争と国際紛争を解決する手段としての武力の行使と威嚇、(2)陸海空軍その他の戦力の保持、(3)国の交戦権、の三つです。一点誤解のないよう予め断っておかなければならないのは(2)の解釈です。現行の政府解釈によれば、(2)の制約の下でも、自衛のための必要最小限度の実力(すなわち自衛隊)の保持は許されています。そして、戦争を違法化したパリ不戦条約(1928年)の流れをくむ国連憲章(1945年)が例外的に認めている(厳密には違法性を阻却される)武力の行使は、自衛の場合(51条)と国連の集団的措置(第7章)が発動される場合(典型的には国連軍)のみです。
すなわち、自衛のための実力の保持が憲法上認められており、自衛のためにその実力を行使することも国際法上許されているということです。しかも、憲法98条2項で「誠実に遵守す」べきことが規定されている国連憲章の51条には、主権国家に「固有の権利」として個別的・集団的自衛権を行使し得ることが明文で保障されているのです。換言すれば、どうしても集団的自衛権の行使を認めたくなければ、明文で否定するよう憲法改正を行う必要があるとも言えるのです。
第二に、とはいえ戦後長きにわたり、政府を代表する内閣法制局の憲法解釈によって、「我が国が、国際法上、・・・集団的自衛権を有していることは、主権国家である以上、当然であるが、憲法第9条の下において許容されている自衛権の行使は、我が国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきものであると解しており、集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであって、憲法上許されない」(1981年政府答弁書)とされてきました。すなわち、国家固有の権利として保有すれども行使できず、と説明されてきました。しかし、なぜ、個別的自衛権の行使は我が国を防衛するための必要最小限度の範囲に収まり、集団的自衛権の行使はその範囲を超えるものと断定できるのでしょうか。次回はこの素朴な疑問についての内閣法制局の説明検証してみたいと思います。(つづく)
(衆議院議員 長島昭久)