ハロルド・ピンター作『昔の日々』で2年ぶりに日本で演出 デヴィッド・ルヴォー(演出家)
ロンドン、ニューヨーク、そして東京と、世界をまたにかけて活動する演出家デヴィッド・ルヴォーによる『昔の日々』が6日から上演が始まっている。
今回、ルヴォーが演出しているのはノーベル文学賞作家ハロルド・ピンターの作品。ルヴォー曰く「記憶と欲望に関するハロルドのもっとも優れた作品」。そして「ピンターの作品は日本で上演するのに適している」とも。
「ハロルドの作品というのは、穏やかな表面のすぐ下にマグマのような危険なものが溜まっているという性質の作品が多いんです。そういう構造をとることによって、表面上はシンプルな構造でしかないものの奥に、非常に凝縮された圧の高い感情を表現している。そういう状況は優秀な日本の俳優はたやすく理解できる。とてつもない圧の感情を持ちつつ、静寂の中、舞台を持たせるということができるんです」
「記憶」というものが重要なテーマになっている作品。
「この作品では過去が塗り替えられ、書き換えられ、検証されるということが繰り返されているんですが、それを通じて過去にあった真実を否定しようとしている人間を描いているんです。そして過去は最終的には現在に追いついて侵食し、心の準備もないままに人を破滅させてしまう。この作品では自分の観点から見た過去を語っていくんですが、それぞれがちょっとずつ違っている。それは自分に都合のいい過去になっている。最終的には語られた話とは違う過去があったということが発覚する。それが“過去が追いついてくる”ということです。誰にとっても都合がいい過去ばかりではないということなんだと思います」
キャスティングについて?
「麻実さんと若村さんとは多くの作品で、とてもいい関係を築けています。堀部さんは初対面になるのですが、この作品でディーリィをやるには誰が一番適任かということをプロデューサーと話し合っていくなかで決まりました。日本で作品を作るようになってから長い時間が経ちまして、継続的な関係を築いていくということが可能になりました。そうすると共通言語を持つ俳優やスタッフと繰り返し仕事ができる機会が増えました。これは作品を作る上でとても豊かなことだと思っています」
堀部はその中でも異質の存在だ。
「彼は稽古場にいろいろなアイデアを持ち込んでくれました。彼のバックボーンにはコメディーというものがあります。コメディーというものだけは、そういう資質がないと表現できないものだと思うんです。私が出会ったことのあるスタンダップコメディアンと共通したものが彼にはあります。それは、ある闇をはらんでいるということ。ここでいう闇とは不安定さということです。その不安定さがこの作品の中では、女性たちとの関係を築く中で浮かび上がる瞬間があり、それが彼が持ってきてくれた要素かなと思います」
作品にあたって、俳優をチョイスする基準とは?
「知性というものを持つ俳優に惹かれます。ここでいう知性というのは勉強の出来不出来ではなく、エモーショナルインテリジェンス。感情に知性があると思っているんですよ。この作品はそういう部分が顕著なんですけれども、いろんなことが起きる中で、常に感情が揺れ動いて、次へ次へと移り変わっていく。“感情的知性”という言葉を作るとすると、そういう感情の動きについていけないと漠然とした演技になってしまうと思うんです。そういう資質を持った俳優はずっと見ていたいし、ずっと関わっていたい。ただ稽古場にいてくれるだけでうれしいという気持ちになります」
劇中、場面は現在と過去を行ったり来たりする。3人の記憶が重なる部分で重要な単語や状況が出てくるので、そこは見逃さず、聞き逃さないでほしい。
「共通した出来事なんですけど、出来事と人物たちとの関係がそれぞれに違う。男と女が初めて出会うところも、男から見た出来事と、女から見た出来事がこんなにも違うのかと思わされるでしょう。稽古を通じて私たちは、2人の女性は1人の人間の別々の顔なんじゃないかとも思っています。一人は外部に向けた社交的な性格を持ち、もう一人は内にこもって、なかなか外から理解するのは難しい性格を持ち、それはその女性の負った傷のすべてを象徴しているようにも感じられます。どうやら何らかの出来事があって、そこに男は関わっている。おそらく彼に責任がある。この女性はその社交的な顔のパーソナリティーを自らの手で断ち、真っ暗で孤独な場所へと引き下がっていってしまう。そうせざるを得ない出来事があったんだろうなと思わせる。そういうふうにたどっていくと、この作品は最終的に非常に壮大な破滅の劇というふうにとらえることができるな、と思いますね」
tptの芸術監督を務めていたころは年に3本の作品を発表したときもあった。そんな贅沢な時間も今は昔。約2年ぶりとなる今回の公演は見逃せない公演となる。
(本紙・本吉英人)