世代を超えて寺山修司を語り合う 溝端淳平 × 麿赤兒

今年は寺山修司の生誕80年ということでさまざまな企画が催されている。この『レミング〜世界の涯まで連れてって〜』もそう。2013年に没後30年にあたって上演され、「維新派」の松本雄吉が演出することでも大きな話題を呼んだ。この作品をキャストを一新し、上演台本もリニューアルして上演する。寺山作品では重要な要素となるのが母と子。その母子を演じる溝端淳平と麿赤兒に話を聞いた。

撮影・辰根東醐

 寺山修司は1960年代~80年代前半に、詩人、劇作家、演出家、映画監督として活躍。その他にも競馬を題材とした小説やエッセイといった幅広いジャンルで作品を残し、死後も多くのファンに忘れられない存在となっている。

 まずは2人に寺山との距離感を聞いてみたい。溝端は寺山の死後に生まれた。

溝端「寺山修司さんの独特な世界観がものすごく好きなんです。空想のような現実のような、さらには超現実とでもいうんでしょうか。作品をいろいろ拝見させていただいているんですが、最初は空想の出来事のようで、現実感がないんですが、見ているうちに言葉や世界観というものが生々しく思えてきて、ある意味現実よりも、現実らしく思えてくる。そんなところにひかれるものがあって、どんどんその世界観に引き込まれていくという印象です。今回の設定もお母さん役の麿さんが自分の下宿の畳の下にいて畑を耕しているという突拍子もないものなんですけど、母へのコンプレックスや愛だったり、母から息子への無償の愛だったりといった普遍的な母子の間の関係がところどころ見つけられるところがあるんです」

 もともと寺山作品は?

溝「『身毒丸』が好きなんです」

 では今回のオファーが来た時にはどういった想いを?

溝「出演している役者さんたちはどう考えて、どう解釈してアプローチしているのかなというところは、見ていて気になるところでもあったし、いつかぜひ自分もやらせてもらえたらなって思っていました。なので、単純にうれしかったし、光栄なことだと思ったんですが、でもちょっとハードルが高いなとか、自分にはまだ早いんじゃないかといったことも考えました。でも挑ませていただけるのはチャンスですし、ありがたいことです。それに今しかできないことかもしれないので、ぜひやらせていただきたいと思うようになりました」

 麿は世代的には寺山のちょっと下。その活動を目の当たりにした世代。当時、麿が在籍した状況劇場と天井棧敷はともにアングラを引っ張っていた存在。その後はプロデュース公演で『毛皮のマリー』に出演もしている。

麿「魅力的な人ですよね。当時はテリトリー争いみたいなものがありましたけれども、もともと寺山さんの作品は嫌いなわけではないんです。特に短歌をはじめとする叙情的な世界が、お芝居になると重層的で非常にトリッキーな、時間と空間をもう無茶苦茶に行き来するというようなものになる。そういう迷路遊びみたいなものは魅力的でした。それは唐十郎なんかにも通じるところはあるんですけど、寺山さんの場合は特にですよね。いろいろな作品がありますが、母と子供というテーマのものが多いように思いますよね。『身毒丸』もそうでした。そういう寺山さんの実生活と拘泥するのもなんですけれども、そういうものが核としてあって、それがいろいろなものに反映している。そして時代背景や出身地の青森での経験なんかを、虚実皮肉といいますか、嘘なのか本当なのか分からないように見せている。そういうところも魅力的です」

 寺山作品は時代が経っても色あせない。それはなぜ?

麿「ある意味、時代を超えているんじゃないでしょうか。精神世界といいますか、情念世界というものは、人間始まって以来そう変わっていないと思うんです。技術はどんどんわけが分からなくなってきて、僕なんかはついていけませんけど(笑)。あくまで人間の心というか、そういうものは変わらないものなんでしょう。愛し合ったり憎み合ったり喧嘩したり戦争をしたり、そういうことを永遠にやっているわけですから」

 若い世代から見てもそう?

溝「都市説がテーマの作品だと思うんですけど、今って、街を歩いていて地震の緊急速報が流れたら、みんながケータイを同時に見て、信号が青に変わったらみんなが同時に歩き出す。ケータイのようなものが発達していけばいくほど、どんどん都市化が進むというか、人間がモノのようにひとつの大きな渦に飲み込まれているなって感じる時があるんです。だからこそ寺山さんの作品のようなものが今求められているんじゃないか、今このタイミングでやる意味があるのかな、とか勝手に思ったりしているんです。だから色褪せるどころかどんどん逆に輝きが増しているんじゃないのかなとは思います」

撮影・辰根東醐

 溝端は『ヴェローナの二紳士』の地方公演と並行しての稽古とあって、なかなか時間も思うように取れていないかも。限られた時間の中でどんなことに気をつけて稽古に望んでいるのだろうか。

溝「台詞とか動きを音にはめていくというような、通常のお芝居ではやらないようなことが今回はたくさんあるんです。音にはめて、“何拍子目の何連の何拍目に”といった指示が松本さんから出るんですが、ぱっと言われた時に、“えっ? 何連ってどこだっけ?”とか、聞き逃すと今どこの部分をやっているのかが分からなくなったりといったことがあるので、ふだん使わない回路をフル稼働しています。なので早く松本さんの音楽劇、松本さんの作る世界観に自分がシンクロしていかなきゃなっていう気持ちだけですね」

 ホントだったらこの世界観にもっとどっぷりとつかりたいところでは?

溝「稽古は時間じゃないと思っています。濃さだと思っているので大丈夫です」

麿「若い人はリズム感がいいですからね。とにかくリズムの中にぴしっと台詞や動きを入れなきゃいけないというのは、僕は一番下手くそなんですよ。どんどんずれていっちゃう。そのうち松本さんもあきらめて、“麿はリズムいらねえ”ってなってくるかもしれませんけど(笑)。情緒ばっかりでべったりしたところから、そういうリズムを伴ったものでスパッと切る。そういう全体のコンビネーションみたいなものは、今の若い人には受け入れやすいんじゃないでしょうか。寺山さんの言葉自体は非常に難解なところはあるし、あらぬ方向に飛んじゃいますからね。シュールというかダジャレなのかよく分からないところもあるし(笑)。そういう難解なものがひとつの音楽として、ストンと入ってくるような感じはしますね」

 稽古場では思ったように進められているという実感は…?

麿「僕はまだリズムが狂うんです。情念がガーッと入っているところから急にドッドッドッドッといくところがね、なかなか切り替えが難しいと思っているんですよ。もう年ですな(笑)」
溝「音にはめていくところはやはり緊張しますね。どきどきするし、なんかこう…」
麿「あなたでも緊張するの? 平気でできちゃうような気がするけど」
溝「そこのモチベーションの持っていき方ってまだ分かってないかもしれません。音にはめた気持ちよさとか楽しさなんかがまだできていないからなんでしょうけど。でも変な話なんですが、唯一人間的に絡めるのが麿さんなんです。他の人は空想の中の人間かもしれないので、この親子間で絡むところで台詞を交わしてお芝居をしているときが一番楽しいんです。変な話、ホッとしている。だから音をはめながら(台詞を)言うというのがなかなか…。あれはなんなんですかね?」
麿「僕は特におばあちゃんの子守唄で育ちましたからね。昔のばあさんのリズム感のなさというか(笑)。あれが体に入っちゃっているから、いまの現代風のリズムというか、ラップみたいなものは…」
溝「しかも7拍子って普段聞きなれないものなんですよ」
麿「ああ、そうなの?」
溝「5拍子とかなんです」
麿「でもやっぱり感情が入っているところから急にスパーンと切るとテンポが狂っちゃったりしますね。でも、そこがまたスリリングなところでもあるんですよね。それこそが松本雄吉さんのヂャンヂャンオペラ。それと寺山さんのお芝居をくっつけちゃうという、悪企みをしたプロデューサーの慧眼はなかなかのものだと思います」

 松本さんとは長い付き合い?

麿「もう古い付き合いです。彼の演出で文楽とコラボレーションした舞台に出たこともあります。関西で一緒に飲んでた時代もありました。彼も試行錯誤していたし、僕もいろいろうろうろしていた時代。演劇か、ダンスか、そういったジャンルみたいなものの境界をどうやって破っていこうか、とか考えていた。そんなところから彼は彼のスタイルを発明した。ヂャンヂャンオペラというのは革命的だったんじゃないですか」

 松本の演出は独特なんだろうなと思う。最初になにかお話を?

溝「寺山さんの世界観についてお話ししていただきまして“見た人によっては全然違った解釈になる。寺山さんの世代じゃない、今の若い世代から見た寺山さんの世界を出してほしい”ということは言われました。音楽に関しては“はまってくるとすごく楽しいよ”と言ってくださいました」

 若い人たちがこの芝居をきっかけに寺山修司を好きになって、どんどん広まっていけばいい。

溝「そこまで大それたものではないんですが、若い人が見て、若い人なりの共感を持ってほしいし、もともと寺山さんを大好きなファンの方も新しい感覚で見られるような、いいスパイスになればいいなとは思っています。松本さんもスタッフさんもここから新しいものを作ってやろうという感覚なので」

 インタビュー中、麿の言葉を聞き漏らすまいと真剣な眼差しの溝端の姿が印象的。稽古が深まり、いろいろな話をしていくなかで、またさまざまな“気づき”があるに違いない。以下はインタビューがひと段落したあとの2人の会話。

麿「でも、じじいの昔話なんて、聞きたくないでしょ?(笑)」
溝「いえ、聞きたいですよ。まだそんなにゆっくりお話しできる時間がとれてないだけですから」
麿「あんまり昔話ばかりしていてもね。やはり現代性というか、“俺だって現役だい!”っていう思いもありますからね(笑)。確かにいろいろぐちゃぐちゃな時代、一種のエポックとなった時代であるというのは確かですから、若い人たちは“そういう時代があってよかったですね”って言いますが、今も同じです。今だっていろいろ問題があって、ごちゃごちゃしているところをどうやって突破していくのかというところはありますから」
(本紙・本吉英人)

寺山修司生誕80年 音楽劇『レミング~世界の涯まで連れてって~』
【日時】12月6日(日)~20日(日)【会場】東京芸術劇場 プレイハウス(池袋)【料金】全席指定 S席8600円、A席7500円/U-25チケット5000円/高校生割引チケット1000円【問い合わせ】パルコ(TEL:03-3477-5858[HP] http://www.parco-play.com/web/ )【作】寺山修司【演出】松本雄吉(維新派)【出演】溝端淳平、柄本時生、霧矢大夢、麿 赤兒 他 北九州・名古屋・大阪 公演有り