『スプリング、ハズ、カム』で映画初主演 柳家喬太郎
今、最も勢いがあり、最も忙しい落語家・柳家喬太郎。古典から新作まで、変幻自在なその話芸は、落語通のご隠居をうならせ、落語を知らない若者までも引き付ける。そんな喬太郎が、フツーのおじさん役で映画初主演。娘役の石井杏奈とシャイな父親が織りなす、心がほっこりと温かくなる作品だ。
舞台の出演や、映画でのちょい役はあるが、いきなりの映画初主演。しかも、若手ながら演技派といわれる石井杏奈とのW主演を果たした喬太郎。主演のオファーがあった時は、半信半疑だったとか。
「最初お話をいただいた時は、なんか胡散臭いなと思って(笑)。映画の事はよく知らないので、東宝でも松竹でも東映でもないし、どこの誰かも分からない人が落語協会に電話してきて映画に出てくれって言っても、にわかには信じられない。どこの公民館で上映するのかなって(笑)。でも出演してみて、エンドロールを見て分かりました。製作委員会っていうのがあって、映画ってそういうふうに作っているんだなって。それでまあ、脚本を送っていただいて、拝読してみたら、素直に面白そうだと思った。仕事を選ぶとかいうつもりはありませんが、素敵な話だし、単純にうれしかったです。映画なんて、落語家にはめったにこない話だし、ダブル主演の1人なんていったら、多分一生に一度だから、芸人としては経験しておいたほうがいいなと思った。家内にも相談してみたんですけど、そういう映画だったらやらせていただいたらっていう事だったので、お受けすることにしました」
2月のある日、シングルファーザーの時田肇(喬太郎)と、この春から東京の大学に入る娘・璃子(石井杏奈)が部屋探しのため上京。その2日間の物語。
「プライベートではせがれが1人いますが、特に今回娘を持つ父親の役作りというのはあまり意識しなかったかな。それ以前に、若い女の子だから、嫌がられたら嫌だなって。加齢臭がしないように、耳の後ろを洗ったりなんかして…(笑)。ただ、きっと娘がいたら、普通のおじさんは、そういうところに気を使っちゃったりするんだろうな(笑)。変な話ですけど、2人は広島から上京してきて、東京で1泊しているんです。しかも、夜行バスで帰るというセリフもあるので、多分いろいろ節約している。そういう事を考えると、果たして宿泊したビジネスホテルでは、ツインの部屋だったのか、それともお父さんは奮発して2部屋取ったのか。そういう時、父親はどういう行動をとるんだろうって考えました。そんな事を漠然と考えている時に、少しお父さんの気持ちになっていたのかも知れません。ただね、不思議なのが撮影が一昨年で、約2年近く経って上映が決まり、取材の機会があり、久しぶりに杏奈ちゃんに会ったんですよ。当たり前の話ですけど、その時は杏奈ちゃんはE-girlsの杏奈ちゃんなので、メイクもして、かわいらしい洋服で来る。何となくその時に、映画の中の璃子が東京の大学に入学して、2年生ぐらいになって久しぶりに会っているような気がしたんです。“わー、璃子、東京に行ってあかぬけたな”って。久しぶりに会うと自然とそんな気持ちになりましたね」
朴とつとした普通のおじさんを淡々と演じる喬太郎だが、新宿のレストランでのシーンでは、クスクス笑ってしまう演技も。落語家の性が出てしまった?
「いや、あれは台本通りです。特に水のシーンは、明らかに落語で言うところのくすぐりなので…。あそこは難しかった。僕らとしては、スクリーンの向こうのお客さんに笑ってほしいシーンなんですけど、やり過ぎるとしらけるし、あっさりし過ぎると笑えない。1人だと、自分の間で喋れるんです。ただ、お芝居は相手がある事なので。また、僕らは目の前のお客様に笑っていただいている仕事なので、これがフィルムに焼き付いたもので、それを見たお客さんが笑うのかどうかというのが、全然分からないんです。だから逆に、ここは笑いどころなんだろうなっていうところのほうが意識をしてしまって難しかったです。本業の気持が出てきちゃうので、やり過ぎて噺家にならないように気を付けました」
さらに、意外なところで山村紅葉が登場! しかも本人役というサプライズも。
「あれはね…脚本の本田さんの本領発揮というか、書きたかったんだろうなって思いますね(笑)。突然の山村紅葉さんのシーンは秀逸です(笑)。ただ、あそこでちょっと笑わせておいて、その流れで物語が展開していくので、ちゃんと意味はあるんですけど(笑)。僕も璃子もある意味では家族を知らない。親子ではありますが、僕の妻で璃子の母親である人は産後の肥立ちが悪くて亡くなったので、対父親、対娘としか家族を作ったことがない2人なわけです。だからあそこはある意味非常に象徴的な場面だと思います。あの場ではエキストラに無我夢中だったので、何も考えてないと思いますけど(笑)。結局普通のおじさんだから、特に感受性が強いとか、物事を深く考えているわけではないので、のちのちふと思うんじゃないでしょうか」
自分が演じた肇を“普通のおじさん”という喬太郎。自分との共通点は。
「普通のおじさんにもいろいろなタイプがいると思うんですよ。僕はこんなに優しいお父さんじゃないし、優しい人間じゃない。でもずいぶん通じるところがある人です。奥さんが亡くなって18年間、浮気もしないできたんでしょうね。監督は実はしてるんじゃないかって言ってますけど(笑)。どっちかは分かりませんが、そういう事も含めて、そんなに悪い事ができるお父さんじゃない。でも、まるっきりスケベじゃないわけでもないし、酒だって多少は飲む。でも飲酒運転は絶対にしないっていう固さは持っている。そういう世間で一番普通にいるおじさんだと思うんですね。そんな普通のお父さんと普通の娘の、ある意味では一生の中の1コマを切り取った映画です。僕らは新作落語を作る時に、そういう話を作れたら最高だなと思う。でもどうしてもドラマを作ってしまったり、笑ってもらうために荒唐無稽なものを作ってしまったりする。それがいけないわけじゃないけど、自然なものを自然に作れてお客さんが喜んでくれたら最高だよねっていうのがあるんです。そういう意味では、素敵な映画だと思うんです、僕は」
(THL・水野陽子)
監督・脚本・編集:吉野竜平/脚本:本田誠人 (ペテカン)/出演:柳家喬太郎、石井杏奈、朴?美、角田晃広(東京03)、柳川慶子、石橋けい、平子祐希(アルコ &ピース )、ラサール石井、山村紅葉/製作:テトラカンパニー/メディア・トレーング配給:エレファントハウス宣伝:アティカス