【江戸瓦版的落語案内 】はてなの茶碗(はてなのちゃわん)
京都の清水寺境内、音羽の滝のそばの茶店で品のいい老人が飲んでいた茶碗に目を止め、なにやらひねくり回すと、“はてな?”とつぶやき首をかしげ立ち去った。それを見ていた茶店の主人と、たまたま立ち寄っていた大阪から来ていた担ぎの油屋が色めき立った。実は先ほどの老人は、京都に店を構える茶道具商・茶屋金兵衛、通称茶金。茶道具や茶碗の鑑定では京都一の目ききで、金兵衛が目を止めただけで、その価格が何百倍にも跳ね上がると言われている。そんな金兵衛が首をひねったのだから、さぞかし値打ちのある茶碗に違いないと考えた。譲ってくれと迫る油屋に、絶対に譲らないという茶店の主人。
すったもんだの末、油屋が半ば強引に茶碗を手に入れた。翌日、油屋はその茶碗を手に、茶金の店へ。対応に出てきた番頭が一瞥しただけで、“値打ちがないのでうちでは取り扱えない”と門前払い。 “そんなことはない、ぜひ茶金に取次ぎを”と押し問答していると、騒ぎを聞きつけた茶金が何事かと出てきた。番頭同様、値打ちがないという茶金に油屋は“昨日、音羽の滝のそばの茶店で、この茶碗をひねくり回し首をかしげていたじゃないですか”と話すと、思い出した様子。“ああ…あの茶碗でしたか。いや、穴も傷もヒビもないのに、水が漏るんですわ。それで、どうしてやろう…はてな?と…首をかしげたまでのこと”。
がっかりと意気消沈した油屋に茶金は私の名前に三両出してくれたのだからと、その二束三文の茶碗を三両で買い取ってやった。この話を聞いた近衛関白殿下は、茶金が持参した茶碗を見て「清水の音羽の滝の音してや茶碗も日々にもりの下露」と歌を詠むとその短冊を付した。すると茶碗の値段がぐんと跳ね上がった。さらに、その噂は広がり、時の帝の耳にまで届いた。帝はその茶碗を見ると、“はてな”と箱書きし、下げ渡した。それにより、“はてなの茶碗”として、国宝級に昇格。ついには鴻池家の耳に入り、なんと千両で売れてしまった。茶金は油屋を探し出し、それまでの顛末を話して聞かせると、千両の半分の五百両を油屋に分け与えた。大喜びで帰った油屋だが、翌日数人の男たちと一緒に、何やら大きな荷物を持って、茶金の元へ。一体何事かと問う茶金に、「十万八千両の金もうけです」「何がや?」「今度は、水瓶の漏るのを持ってきた」