【江戸瓦版的落語案内 】看板のピン(かんばんのぴん)
鉄火場で若い連中がサイコロのチョボイチを開帳。しかし、もうけた奴が先に帰ってしまい、さっぱり場が盛り上がらない。そこへ現れたのが土地の親分。「お前たち、まだこんなことをやっているのか。博打なんかやるもんじゃないぞ」と戒めた。しかし若い衆「親分だって若い時はやっていたじゃないですか。それより、しらけた場の流れを変えたいので、景気づけにひとつ胴をとってもらえませんか」と頼む始末。親分少しの間考え「訳あって42の時から博打はやめているが…俺ももう61。子どもに返ったつもりで、お前たちの相手をしてやるのもいいだろう」と承諾。昔取った杵柄で、壺皿を振ると、畳の上に鮮やかに伏せた。
「勝負は壺皿の中。さあ、張んな」。しかし見ると壺皿のわきにサイコロが飛び出しピン(1)の目が出ている。親分がボケてきたと思ったそこにいた全員がピンの目に張った。「おや、みんなピンなのか。勝負は壺皿の中だぞ。では、この看板のピンはこっちにしまっておいて、俺の見立てでは5だな」。そういって壺皿を開くと、親分の言った通り5の目が出た。「博打などというものは、こういう汚いものだ。これに懲りたら、お前らも博打なんてするんじゃないぞ。それに誰か一人でも俺にサイコロが外に出ていることを教えようってやつはいたか?
そういう料簡になっちまうのもいけねえ。金は全部返してやるから、さっさと帰りな」と言い残し賭場を去った。これに懲りて博打をやめるのが賢い奴だが、この方法で一儲けしてやろうという男がいた。早速、別の賭場に行き「おい、お前ら博打はやめろ」と親分の真似。「なんだい、いきなり。お前だって博打をやっているじゃないか」「俺は42の時にやめた」「てめえはまだ26じゃないか!」「俺に胴をとってほしいというなら仕方がない。子どもに返ったつもりでお前たちの相手をしてやるのもいいだろう」「誰も頼んでねえよ」。しかし、無理やり胴をとると怪しげな手つきで壺皿を振り畳に伏せた。「勝負は壺皿の中。さあ、張んな」。見ると脇へサイコロが転がり出て、ピンの目が見えている。それを見た男たち、もちろん全員がピンに張る。「おや、みんなピンなのか。勝負は壺皿の中だぞ。では、この看板のピンはこっちにしまっておいて、俺の見立てでは5だな」。そういって壺皿を開くと「…ああ、中もピンだ」