インタビューシリーズ【 LDH バトン ~夢~】Vol.32 小澤雄太 (劇団EXILE)
EXILE、三代目J Soul Brothers、E-girlsなどが所属するLDH JAPANは、音楽やダンスだけでなく、映画やお芝居、アパレルや飲食など、さまざまなプロジェクトを通じて「Love, Dream, Happiness」のメッセージを届けます。【LDH バトン】では、LDHに所属するアーティストやタレント、アスリートたちに、Dream(夢)について聞いていきます。
今回お話を伺ったのは『ウルトラマンジード』の伊賀栗レイト役で注目を集めた劇団EXILEの小澤雄太さんです。
今回お話を伺ったのは『ウルトラマンジード』の伊賀栗レイト役で注目を集めた劇団EXILEの小澤雄太さんです。
ダンサーになることに大反対だった家族。絶対見返してやろうって思った。
――子どものころ、どんな夢を持っていましたか?
……ウルトラの父です(笑)。ウルトラマンは最初にあこがれたヒーロー。怪獣が暴れていて人が逃げ惑っているところにやってきて、怪獣を倒して3分で去っていく。こんなかっこいいことってないですよ。最初のウルトラマン体験は、再放送のウルトラマンタロウでしたけど、それからいろいろ見ているうちに、子どもながらに考えたんでしょうね、そのウルトラマンを生んだ人たちがすごいんだろう。それは父だろうって。幼稚園の卒園アルバムのなかで、将来の夢でウルトラの父と書いていまいた。
――そのころの小澤さんは、どんな子だったのですか?
外で遊ぶのが好きでよく遊んでいました。僕は姉と妹と僕の3きょうだいで家に帰ると女の子ばっかりだから、自然と外に出て公園でベーゴマやったり、野球にサッカーも。それとお父さんとおじいちゃんと釣りに行ったりしてました。
――いま俳優として活躍されていますが、こうした活動をすることになったきっかけはダンスだとか。
ダンスを始めたのは17歳、高校2年生の終わりぐらいです。学校で同級生が踊っているのを見て、自分もやりたいな、と。ダンス経験はゼロ、それに高校3年から部活を始めるとか……散々馬鹿にされました。悔しさもあって学校だけじゃなくてストリートでも踊りました。卒業とともにチームは解散するんですけど、やりたい奴だけで集まって仕事をしながらやってました。専門学校に行くっていう方法もあったと思いますけど「人生はそんなに甘くない! 家にお金も入れろ!」って家族も大反対でしたから、意地になったところもあったのかな。絶対見返してやろうって。クラブのショータイムに出たり、大会に出たりしてました。
――劇団EXILEのオーディションに挑戦されたのもその延長で?
実のところ、最初は社会科見学ぐらいの気持ちでした。その時点で僕にはダンスという本気になるものがあったし、ダンスで日本一にもなっていたので……。ダンスを武器にして「自分」というものをどうやったら売れるのか、その追求の途中でした。だから俳優になろうとは思っていなかったです。それなのに怪我をしない為に踊りを控えるように言われて「ああ、そうなんだ」って。小澤雄太には、オフィシャルとアンオフィシャルがあって、ダンスと仕事を両立させたときのように、今度はその2つを両立させていくんだなって。デビューが決まった時にはもう気持ちは切り替わりました。それからは、ダンスのスキルも維持しつつ芝居の勉強を増やして、みたいな。たくさんの俳優さんが活躍されていますから、芝居に磨きをかけるのはもちろん、自分が持っていて使えるものは使っていくべきだと思っていますから。
――ご登場いただくみなさんに伺っているのですが、今、夢が叶ったとか実現したという感覚はありますか?
ウルトラの父にはなれなかったけど、ウルトラマンの夢は叶いました。それは置いといて、でもなんだろう。夢は「実現した」というよりも「実現していた」という表現のほうがしっくりくる気がします。俳優になるっていう夢を実現しようとやってきたわけじゃないけど、いろいろやってたら結果として「実現していた」んです。
――子どものころ、どんな夢を持っていましたか?
……ウルトラの父です(笑)。ウルトラマンは最初にあこがれたヒーロー。怪獣が暴れていて人が逃げ惑っているところにやってきて、怪獣を倒して3分で去っていく。こんなかっこいいことってないですよ。最初のウルトラマン体験は、再放送のウルトラマンタロウでしたけど、それからいろいろ見ているうちに、子どもながらに考えたんでしょうね、そのウルトラマンを生んだ人たちがすごいんだろう。それは父だろうって。幼稚園の卒園アルバムのなかで、将来の夢でウルトラの父と書いていまいた。
――そのころの小澤さんは、どんな子だったのですか?
外で遊ぶのが好きでよく遊んでいました。僕は姉と妹と僕の3きょうだいで家に帰ると女の子ばっかりだから、自然と外に出て公園でベーゴマやったり、野球にサッカーも。それとお父さんとおじいちゃんと釣りに行ったりしてました。
――いま俳優として活躍されていますが、こうした活動をすることになったきっかけはダンスだとか。
ダンスを始めたのは17歳、高校2年生の終わりぐらいです。学校で同級生が踊っているのを見て、自分もやりたいな、と。ダンス経験はゼロ、それに高校3年から部活を始めるとか……散々馬鹿にされました。悔しさもあって学校だけじゃなくてストリートでも踊りました。卒業とともにチームは解散するんですけど、やりたい奴だけで集まって仕事をしながらやってました。専門学校に行くっていう方法もあったと思いますけど「人生はそんなに甘くない! 家にお金も入れろ!」って家族も大反対でしたから、意地になったところもあったのかな。絶対見返してやろうって。クラブのショータイムに出たり、大会に出たりしてました。
――劇団EXILEのオーディションに挑戦されたのもその延長で?
実のところ、最初は社会科見学ぐらいの気持ちでした。その時点で僕にはダンスという本気になるものがあったし、ダンスで日本一にもなっていたので……。ダンスを武器にして「自分」というものをどうやったら売れるのか、その追求の途中でした。だから俳優になろうとは思っていなかったです。それなのに怪我をしない為に踊りを控えるように言われて「ああ、そうなんだ」って。小澤雄太には、オフィシャルとアンオフィシャルがあって、ダンスと仕事を両立させたときのように、今度はその2つを両立させていくんだなって。デビューが決まった時にはもう気持ちは切り替わりました。それからは、ダンスのスキルも維持しつつ芝居の勉強を増やして、みたいな。たくさんの俳優さんが活躍されていますから、芝居に磨きをかけるのはもちろん、自分が持っていて使えるものは使っていくべきだと思っていますから。
――ご登場いただくみなさんに伺っているのですが、今、夢が叶ったとか実現したという感覚はありますか?
ウルトラの父にはなれなかったけど、ウルトラマンの夢は叶いました。それは置いといて、でもなんだろう。夢は「実現した」というよりも「実現していた」という表現のほうがしっくりくる気がします。俳優になるっていう夢を実現しようとやってきたわけじゃないけど、いろいろやってたら結果として「実現していた」んです。