インタビューシリーズ【 LDH バトン ~夢~】Vol.33 Leola
EXILE、三代目J Soul Brothers、E-girlsなどが所属するLDH JAPANは、音楽やダンスだけでなく、映画やお芝居、アパレルや飲食など、さまざまなプロジェクトを通じて「Love, Dream, Happiness」のメッセージを届けます。【LDH バトン】では、LDHに所属するアーティストやタレント、アスリートたちに、Dream(夢)について聞いていきます。
今回は、8月1日にミニアルバム『LOVE, LIFE & LAUGHTER』をリリースする、Leolaさんです。
今回は、8月1日にミニアルバム『LOVE, LIFE & LAUGHTER』をリリースする、Leolaさんです。
テレビで歌っている人たちみたいに私もなりたいと思った
――子どものころの夢を教えてください。
お花屋さんとか、ケーキ屋さんとか。みんながなりたいと思うものになりたいと思っていましたけど、小学校の高学年ぐらいからは歌いたいと思うようになっていたと思います。……なぜそうなったのか覚えていないんですけど、テレビで歌っている人たちみたいに私もなりたいと思ったんだと思います。ただ純粋に歌うのが好きだったんです。歌が好きな家族に囲まれて、みんなで一緒に歌いながら育ったんです。母とは子守歌や童謡の本を見ながら、出かけたときはカーステレオに合わせて歌いました。
――そのころの、Leolaさんはどんな女の子だったのですか?
かなり活発で、かなりおてんばだったと思います。小学生のころ、すごく山奥に住んでいた時期があって、頑張れば30分ぐらいの道のりを、花を摘んだり木の実を拾ったりしながら道草して、家に着くまで3時間ぐらいかかったり。あまりにも遅いって、車で迎えに来られることも時々ありました。今、自然がすごい好きなのはその頃の影響なんだろうと思います。
――いま、アーティストとして活動されています。歌いたいという夢が、より明確に、目標になったきっかけは何ですか?
いま考えてみると、きっかけだったかなと思うのは中学1年生の時に親戚の前で歌ったことだと思います。ちょっとしたお祝い事があって、小さなステージで、『月のしずく』(RUI、柴咲コウの別名義)を歌いました。「上手だね」ってほめてもらえたのが、すごくうれしくて。ステージで歌うって楽しいな、ほめられてうれしいな、もっと歌いたいなって思ったんです。そこからですね、受けはしませんでしたけど本屋さんでオーディション雑誌をコソコソ覗いてみたり、発表会やステージで歌えるような機会があれば、歌ってみたいと思っていました。
――現在のような活動を始めるきっかけはオーディションだったと思いますが、それはもっと後になってから?
大学に進学して上京してからです。高校時代に音楽が好きな子で集まってバンドを組んで、そこでボーカルをやったんですけど、そこでより具体的になったんだと思います。YUIさん、中ノ森バンド、東京事変、アヴリル・ラヴィーンとか、メンバーそれぞれが好きなアーティストや楽曲をコピーしつつ、オリジナルの楽曲も作って。だんだん「歌いたい」という夢に挑戦もしないで終わりたくないという気持ちが強くなってきました。大学では軽音サークルで活動するんですけど、それと同時に、履歴書やデモを送ってみたりしていました。LDHのオーディションを受けたのは、その頃のLDHには女性シンガーがあまりいなかったし、チャンスがあるかなって。バンドをやっていたこともあって、ダンス&ボーカルユニットで歌うというイメージは自分になかったですし、とにかく自分がどこまで行けるものか試してみたかったんです。
――今はアーティストとして活躍されています。「夢は実現した!」という感覚はありますか?
……そうですね。「よくここにいるな」ってってところに立っていると思います。これは現実なのかと思うこともありますし。
――子どものころの夢を教えてください。
お花屋さんとか、ケーキ屋さんとか。みんながなりたいと思うものになりたいと思っていましたけど、小学校の高学年ぐらいからは歌いたいと思うようになっていたと思います。……なぜそうなったのか覚えていないんですけど、テレビで歌っている人たちみたいに私もなりたいと思ったんだと思います。ただ純粋に歌うのが好きだったんです。歌が好きな家族に囲まれて、みんなで一緒に歌いながら育ったんです。母とは子守歌や童謡の本を見ながら、出かけたときはカーステレオに合わせて歌いました。
――そのころの、Leolaさんはどんな女の子だったのですか?
かなり活発で、かなりおてんばだったと思います。小学生のころ、すごく山奥に住んでいた時期があって、頑張れば30分ぐらいの道のりを、花を摘んだり木の実を拾ったりしながら道草して、家に着くまで3時間ぐらいかかったり。あまりにも遅いって、車で迎えに来られることも時々ありました。今、自然がすごい好きなのはその頃の影響なんだろうと思います。
――いま、アーティストとして活動されています。歌いたいという夢が、より明確に、目標になったきっかけは何ですか?
いま考えてみると、きっかけだったかなと思うのは中学1年生の時に親戚の前で歌ったことだと思います。ちょっとしたお祝い事があって、小さなステージで、『月のしずく』(RUI、柴咲コウの別名義)を歌いました。「上手だね」ってほめてもらえたのが、すごくうれしくて。ステージで歌うって楽しいな、ほめられてうれしいな、もっと歌いたいなって思ったんです。そこからですね、受けはしませんでしたけど本屋さんでオーディション雑誌をコソコソ覗いてみたり、発表会やステージで歌えるような機会があれば、歌ってみたいと思っていました。
――現在のような活動を始めるきっかけはオーディションだったと思いますが、それはもっと後になってから?
大学に進学して上京してからです。高校時代に音楽が好きな子で集まってバンドを組んで、そこでボーカルをやったんですけど、そこでより具体的になったんだと思います。YUIさん、中ノ森バンド、東京事変、アヴリル・ラヴィーンとか、メンバーそれぞれが好きなアーティストや楽曲をコピーしつつ、オリジナルの楽曲も作って。だんだん「歌いたい」という夢に挑戦もしないで終わりたくないという気持ちが強くなってきました。大学では軽音サークルで活動するんですけど、それと同時に、履歴書やデモを送ってみたりしていました。LDHのオーディションを受けたのは、その頃のLDHには女性シンガーがあまりいなかったし、チャンスがあるかなって。バンドをやっていたこともあって、ダンス&ボーカルユニットで歌うというイメージは自分になかったですし、とにかく自分がどこまで行けるものか試してみたかったんです。
――今はアーティストとして活躍されています。「夢は実現した!」という感覚はありますか?
……そうですね。「よくここにいるな」ってってところに立っていると思います。これは現実なのかと思うこともありますし。