パフォーマー「町田樹」は氷を降りる

(写真:田村翔/アフロ)

 このように書くと「難しい人」にも思われそうだが、町田を形容する際に周囲の人たちが「いい子」という言葉を使うことが何度もあった。彼はすべてにいたって大真面目で、報道陣からの質問にも一つひとつ丁寧に答えてくれる。そこに五輪で有名になったから君たちとは違う、といった雰囲気は微塵も無い。プログラムにも真っ向から大真面目にぶつかって、演技後よく力尽きて動けなくなっている。


 彼のそういう真面目な不器用さは人気があったが、一方で、慣例をぶち壊したり、周囲と歩調を合わせないような行動を疑問視する声もあった。有名になる前の町田は、素直な喋りのどこにでもいる好青年だった。どちらかというと控えめで、技術はあるのに一歩引いたところのある選手だった。「氷上の哲学者」と言われ出してからは、素の町田本人とは別に、独特の言葉を用いてある種「町田樹」というスケーターを作りブランディングしようとしているように見えたが、それにより壁を設けて本当の自分を守ろうとしているようでもあった。


 だが今回会見に現れた町田に、肩肘を張ったような雰囲気は無かった。町田の“完全なる氷上からの引退会見”に、テレビ新聞あらゆる媒体が集まったが、「28歳半ばと言いましたが、アラサーです(笑)」と報道陣を笑わせる場面もあり、会見は和やかに進んだ。拠点を関西から東京へ移して以来使用していたホームリンクの関係者や練習を共にした若い選手たちへ深い感謝の言葉を述べ、「夢は大学教員だがこれでさようならではなく、必ず何らかの形でフィギュアスケート界の力になれるべく努力するので、報道陣の皆様にも今後ともお付き合い願いたい」と頭を下げるような言葉もあった。


 コーチですら寝耳に水だった根回し無しの突然の競技引退から4年、会見での「現役時代の『町田樹-フィギュアスケート、ニアリーイコールゼロ』のイコールの先の数字を大きくしようとしてきた」という言葉通り、人としての幅を広げるべく努力を積んできたのだろう。慣例に抗い作り上げてきたパフォーマー「町田樹」の仮面をゆっくり氷の上に置こうとしている今、ソチ五輪以前の控えめな青年から自信を持った一社会人へと成長した町田の姿が見えた。また自分の行ってきたことに納得し、氷に未練が無い様子が見てとれた。


 8月18~19日のプリンスアイスワールド広島公演でフィナーレを迎える2018年の町田のプログラムは『ボレロ』。フィギュアスケートの歴史をベースに、氷の魔力にとり憑かれてしまった男の悲劇を人間の身体性を表現しながら描く。2015年12月31日、東京で代表作『ボレロ』の上演をもちステージを降りた天才バレエダンサー、シルヴィ・ギエムの日本へのメッセージが思い出される。「さようならは決して簡単なことではありません。どのように言っていいか分からないし本当は言いたくありません。けれど私は踊ることが大好きです。ですから踊りをみなさまのために。このさようならに!」パイオニア・町田樹の新しい道はずっと続いていく。


(取材・文=江口美和)



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