避難場所以外の災害時の代々木公園の使い方とは
「渋谷未来デザイン」が4回目のクロストークを開催
渋谷区にある代々木公園B地区にスポーツとエンターテインメントの聖地として3万人規模のスタジアムパークを造るという構想を持つ一般社団法人「渋谷未来デザイン」が1月30日、4回目のクロストークを行った。
昨年9月に行われた第1回では、日本トップリーグ連携機構 代表理事 会長の川淵三郎氏らが参加。この構想についてさまざまな意見が飛び交った。
その後、第2回ではスポーツをテーマにJリーグのサポーターや代々木公園利用者、第3回ではエンタメ業界の有識者が参加。ここでは実体験をもとにしたさまざまな意見が出された。
今回は「防災」に視点をあて「都市防災と公園づくりの未来」をテーマに防災のスペシャリストである首都大学東京の市古太郎氏、専修大学の佐藤慶一氏、国土交通省都市計画課課長補佐の一言太郎氏が参加した。
市古氏は災害復興と都市防災研究のスペシャリスト。東日本大震災や熊本地震の時に町がどういう防災機能を担ったか、そしてそこで何が起こったかといった事例を多く研究してきた。
そんな市古氏は「都市防災の視点から都市運動公園を考える」というテーマで大震災時の公園の役割について時間の経過と合わせて説明。発生時は避難場所としての役割を果たすが、時間の経過とともにボランティアの活動拠点、がれきの集積所、仮設住宅の建設用地というふうに変わっていくことを説明。こういった視点からの代々木公園に関する防災スキームを解説した。
その一方で、「代々木公園は避難所とか仮設住宅や自衛隊の支援基地になることが、東京が復興を目指すうえで本当にいいことなのか。ストレスを抱えてしまっている人たちを元気にする機能が代々木では可能なのではないか。東日本大震災の時に自粛という行動パターンに違和感を感じた。本当にあれでよかったのか。ああいうムードを突破できるのはこの渋谷区か代々木公園なのではないか」といった新たな視点も提示した。
災害時の渋谷区の課題とは
佐藤氏は表参道の防災マンガマップを作るなど、東京や渋谷といった地域の持つ防災力に着目した研究を続けている。
佐藤氏は原宿・表参道で災害が起こった時に関係するであろう地域の人々を集めて行ったワークショップでの議論の内容を紹介した。
東日本大震災時の帰宅困難者の状況や、そういった時の街としての課題について言及した。例えば来街者は本人の安全や家族の安否や帰宅、会社や仕事のことが優先となるため、街で困っている人の対応はなかなかできない」といった例を挙げ「地域でやらなければいけないことは山ほどあるが、では誰がやるのか?」といった問題についてはなかなか答えが出ていないことを明かした。
そのうえでワークショップで出た「すぐにできないことをやろうとしても難しい。まずは今のリソースでできることを始めてはどうか」という言葉を紹介した。
一言氏は国土交通省に入省後、公園緑地・景観課などを経て、平成27年にスポーツ庁に出向。「日本で初めてスポーツ施設の施策を担当する部署ができ、その時の担当補佐」というキャリアから「公園と防災は密接な関係がある」視点で話を進めた。
そもそも都市公園とはなんなのか? その機能は? なぜ作られたのか?という疑問について「火災の延焼防止、避難場所」「地震発生時の後方支援拠点」などといったいくつかの理由を説明する。
当初は予算の関係でなかなか進まなかった公園の整備が1923年の関東大震災で一気に進んだという。それは「オープンスペースがないと市街地は危ない」ということを身をもって知ることになったから。その後の整備の過程では空襲に対する防空緑地。焼けとどまらせるための目的としてもオープンスペースは重要だったという。
今回のスタジアムは民間での運営を構想していることから、その民間事業者との連携や規制が多いなかでどう柔軟に使いこなすことが大事かという話も。
そして現在について「オープンスペースの価値というものが日本の歴史上最も高まっている時期」との認識を示した。
また渋谷未来デザインの金山氏はスタジアムの防災力について「場があるとそこに見に来る人消費する人が出てくる。それを受け入れるホスト側の仕組みも整う。普段のエンタメイベント時の人をどうさばくかというのは災害でも役に立つ可能性がある。また地域スポーツは結束力を高める可能性を持っている。地域のチームを愛する気持ちが世代を超えた交流、助け合う気持ち、感動を分かち合う気持ちを作るのではないか。ハードだけではなく、何かあった時に一致団結する効果。心の防災力を宿せるのではないか」と期待した。
渋谷未来デザインでは2月には子供たちを対象に「どのような代々木公園がいいのか」というクロストークをワークショップ形式で開催する予定。