【インタビュー】高良健吾 × 多部未華子 映画『多十郎殉愛記』で名匠・中島貞夫監督が20年ぶりに復活!
『木枯し紋次郎』や『まむしの兄弟』『狂った野獣』など数々の傑作を撮り続けてきた84歳の巨匠・中島貞夫監督が20年の沈黙を破り、平成最後の今の世に放つ“ちゃんばら”時代劇! 中島監督の思いを全身で体現した主演・高良健吾と、ヒロイン多部未華子が作品、そして中島監督への思いを語る。
高良健吾
中島貞夫監督のアナーキーな現場に挑む
幕末の世に、鬼神のような剣の強さを持て余しながら無為に生きる男・多十郎。小料理屋の女店主・おとよが寄せる思いにも、ともに脱藩した同郷の志士にも背を向け続けていたが、ある日故郷から腹違いの弟・数馬が上京。脱藩浪人を警戒する京都見廻組に目を付けられてしまう…。
映画界のレジェンド中島貞夫監督が20年ぶりにメガホンをとる注目作。主人公・清川多十郎役、ヒロインおとよ役を任された高良健吾と多部未華子は目を輝かせて「光栄だった」と振り返る。
高良健吾(以下:高良)「僕はもともと『まむしの兄弟』シリーズを見ていたり、あとは東映太秦といえば“実録もの”なども見ていましたね。出演させていただくことが決まってから、改めて中島監督の過去作を拝見しました。『まむしの兄弟』もそうですし『893 愚連隊』、『日本の首領』シリーズなど、目につくタイトルをもう一度見直したんですけど、改めて中島監督の映画は“アナーキー”だなと思いました。実は、東映太秦で最初の現代劇を撮ったのも中島監督なんですよね。僕も現代劇をいろいろやらせてもらってきましたが、中島監督の映画って、ある意味、現代の作品よりとがっているんじゃないかと思う。有名なところだと『まむしの兄弟 懲役太郎』で(菅原文太が演じる主人公の)入れ墨が雨で落ちるところとか面白いですよね。あと『893 愚連隊』の最後も、いきなりバン!と壊されるというかすごく面白い終わり方だと思います。中島監督の作品では、今まで繰り広げられてきたことがいきなり壊れる、みたいなイメージがあります」
多部未華子(以下:多部)「私も、中島監督の復活にふさわしい作品を作ろうと、みなさんが意気込んでいる作品に携わることができて光栄でした。最初に中島監督にお会いした時は、本当に緊張していたのですが、監督は最初から最後まで変わらずにフラットな方でした」
そんな2人にとって特に挑戦だった部分や難しかった部分は。
多部「この作品に限らず、どの役も難しいのですが、おとよは今までの自分のイメージに無い役だったことや、町娘を表現する所作が難しかったです。特に監督からは“手の表情”についてよく指示をいただきました。以前に『大奥』で女将軍を演じた時にも太秦のスタッフさんから所作についてたくさん教わっていましたが、今回は町娘の庶民らしい所作が必要で、それが難しくて。どのタイミングで襟元や帯に手を当てるのかなど、正解がよく分からないものが多くて難しかったです」
高良「僕はやはり殺陣です。これまで自分が見てきた殺陣は“斬る”ことを目的とした、きれいで早い殺陣だったんですが、多十郎の剣は斬るのが目的ではなく、きれいでも早くもない。ひと太刀、ひと太刀がおとよと数馬を逃がすためなんです。自分の道を開くためや大人数と戦うための一振りではない。だけどちゃんばら時代劇の主人公として殺陣で魅せていかなければいけない。そこは挑戦した部分だったと思います。自分の殺陣がどうとかではなく、多十郎の剣は渋いなと思いますね」
汗や体温すら感じるような生身の剣であると同時に、時代劇の主人公としてのほれぼれするカッコよさ。
高良「多十郎の剣にはすべて理由があるんです。大人数を相手にするなら竹林じゃないと戦えないとか、複数を相手にするなら何かを背にしないといけないとか。そういうことを監督が全部、説明してくれるんです。あと、通常は事前に練習して本番を撮るんですけど、今回は現場に行くまで何をするか分からなかったんですよ。現場に行ってから段取りで殺陣をつけていき、本番までに何十手もの動きを覚えるという形でした。実際、その動きを全部覚えることはできなくて、なんだっけ、あ、こっちだ、次こっちか…となるんですけど、それが命のやり取りに見えるらしいです。本番で、どうする、どっちだと必死にならないとついていけない、そういう殺陣でした」