【インタビュー】高良健吾 × 多部未華子 映画『多十郎殉愛記』で名匠・中島貞夫監督が20年ぶりに復活!
多部未華子
多十郎の色気は“ふんどし”が決め手!?
現場で動きが決まるというのは、決められた所作を練習するより難しそう。
高良「多十郎という人物だったから、ということもあると思いますが、案外ルールがない感じに、僕もびっくりしました。何でもしてよくて、縛られずにやれたところもあります。ただ監督やスタッフさんが、こっちのほうが色気があるとか面白いといったことを、そのつど指示してくださって。あっかんべえをするシーンも、もとは台本には無くて現場で監督が“高良ちゃん、あっかんべえして逃げていって”と。この時代にあったんだ、と意外でした」
確かに“色気”や“遊び心”は中島作品の大きな魅力。
高良「僕自身は、色気と言われてもまだよく分からないんですよね。何だろう、色気って…」
多部「私も何だろうと思って、ふんどし姿?と思ったけれど…そういうことではないですよね(笑)」
高良「それでいいと思う(笑)。実際、監督は多十郎のふんどしにすごくこだわられていて、衣装合わせで色と長さを決めるのにすごく時間がかかったんです。一番、時間がかかったかもしれない。だから、あのふんどしは監督の中では相当、色気的にも大切な部分だったのかな、と(笑)」
多部「私も当時、スタッフさんから“すごい時間をかけてふんどしを選んでいたんですよ”と聞いていたので、現場で“なるほど、このふんどしが…”と思いながら拝見させていただいていました(笑)」
高良「長さにこだわっていたのは、時代によってふんどしを見せないほうが正しかったり、見せるほうがよかったりということがあるみたいです。多十郎は見せていこうということになったんですが、監督は、普段の長さというより、見えているときの長さにこだわられていました。多十郎は腰を落として、足を開いて剣を構えるので、その形になったときにちょうどよい具合で見える長さになっているんです。だから監督にも腰をちゃんと落としてね、と言われていました。しっかり腰を落とすとちゃんとふんどしが出てくるんですよ。ふんどしが見えるのは殺陣が下手な証拠と言われた時代もあったようなのですが、今回は見えていて良かったですよね。あのふんどしが多十郎のキャラを作ってくれた部分もあるので、感謝しています。自分では絶対に“ふんどしを出していきましょう”なんて言えないし、そもそも分からないですし」
引かれ合っているはずなのにすれ違う多十郎とおとよ。多くを語らない男と女の物語が余韻を残す。
多部「監督は、おとよについては細かなことというより“女は強い”ということ、“おとよは、とても母性愛が強い女性だ”ということをおっしゃっていました。最初にお会いした時も現場でもそうおっしゃっていたので、私も“おとよは母性愛”と常に意識していました。でも母性愛といってもおとよの場合は子供がいるわけでもなく、密かに思い続けている人や守らなければならない人に対する母性。分かりやすく表現できるものではないので、おとよの母性の伝え方は難しかったです。他には、多十郎への愛が、肝が据わっている感じも難しかったですね」
高良「でも、クライマックスでおとよが数馬を連れて逃げるシーンで、監督が、母性愛の強いおとよはもう数馬に向いている、とおっしゃっていてショックでした(笑)。多十郎は彼らを逃がすために命がけで戦っているのに(笑)」
多部「確かに現場でも監督は“おとよには守らなければならないものができたんだ”とおっしゃっていました。突然、サラッとおっしゃるので“あれ? 多十郎のために数馬を連れて行こうとしているんじゃないんだ…”と一瞬混乱しましたけど。面白いなと思いました(笑)」
高良「それが、僕のようにまだ30歳くらいでは分からない、人生経験の差なのかな(笑)」