【徳井健太の菩薩目線】第23回 「千鳥のドッカン!ジブン砲」の被災地ボランティアで学んだこと

助けてもらった誰かが、必ず誰かを助けている



 伺った愛媛県西予市宇和町は、昨年の台風21号による西日本豪雨被害の被災地。愛媛県も大きな被害を受けていたなんて、恥ずかしながら知らなかった。情けないよね。そんな俺が行って、本当にいいんだろうかって。怖さや戸惑いもあったけど、一方で、実際に目で見ないと分からないこともあるだろうって。

 宇和町は、ダムが決壊したことで、下流の集落に甚大な被害を及ぼす恐れもあった。ところが、土砂が流れ込んだ60代の夫婦が暮らしていた一軒の民家が壁となり、結果的に下流にあったその他の民家は助かった。「思い出の詰まった民家に再び住みたい」という60代家主の思いを知った住民たちは、なんとかその思いを実現しようと動いたというんだ。

 住民たちは、重機を扱うボランティアがいることを調べ、そのことを行政に伝え、お願いし、そして番組に登場した一般社団法人「OPEN JAPAN」さんが、宇和町に赴いたという背景がある。俺が行ったときは、すでに「OPEN JAPAN」さんが3カ月ほどかけて屋内に流れ込んだ土砂を大方取り除いている状態。泥の中に埋まっていた家を、あの状態に戻したというわけ。一部分だけを切り取って考えちゃいけないってことだよね。放送で伝えたことは、ホント、一部分中の一部分に過ぎないんだ。

 番組でも伝えたけど、「OPEN JAPAN」の萬代さんは、石巻市の人。「助けてもらったから今度は自分が誰かを助ける」。ボランティアは、その連続だと教えてくれた。北海道胆振東部地震が発生した際、愛媛県から厚真町に向かった人たちもいたそうだ。知らないことだらけだよ。助けてもらった誰かが、必ず誰かを助けている――。言葉にするのは簡単だけど、行動に移すのはとてつもないことだよ。

 家主さんは、照れ屋で放送には登場しなかったけど、カメラが回っていないところでお礼を言ってくれて……。俺なんか、ホントに短い時間しかできなかったけど、とっても丁寧に「ありがとう」って言われて。俺が今まで生きてきた、どのありがとうよりもありがとうに聞こえたのね。だから、最後に感極まってしまった。俺の方こそ、「ありがとうございました」なんだよね。知らないことを、たくさん教えてもらった。

 俺は、続けていく。同時に、自分の気持ちにも自信が持てた。最初は、重機をうまく扱いたいって気持ちがあったけど、ロケが終わるころには、そんな気持ちはなくなっていたよね。「俺も誰かに心からありがとうって言われるようなことをしよう」という気持ちしかなかった。それくらい家主さんのありがとうは、心の中に残り続けているんだよね。





※徳井健太の菩薩目線】は、毎月10日、20日、30日更新です
【プロフィル】とくい・けんた 1980年北海道生まれ。2000年、東京NSC5期生同期・吉村崇と平成ノブシコブシを結成。感情の起伏が少なく、理解不能な言動が多いことから“サイコ”の異名を持つが、既婚者で2児の父でもある。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。
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