【徳井健太の菩薩目線】第27回 ネットニュースをどれだけ摂取しても栄養素にはならない
あえてバカがはびこれるようにしているようにも見える
今やネットでウケる発言は、それなりに効果を持つようになった。俺たちがテレビで話した内容も、ネットでウケる部分ばかりが切り取られ、勝手にクソニュースに転用される。ネットTV番組にコメンテーターや論客として登場する人にしても、あえてネット向きの発言をしているなって横で見ていて感じることも多い。
媒体によって、スタンスを変えること自体は否定しないけど、ネットで支持されそうな意見、ネットリテラシーの低い人たちに迎合したアクションをしたところで、この先に何があるんだろうと思ってしまう。先述したような“髪の毛は生えてこない”ってレベルの情報がまかり通るような荒野で支持を得る。文字通り、不毛だと思うんだけど。まぁ、自己満足にはつながるのかもしれない。
俺たちは、舞台の上に立ったり、スタジオで話をしたりすると、反応がダイレクトに返ってくる。それこそお金を払って見に来てくれているお客さん、お金をかけて番組を制作しているスタッフが目の前にいる。ウケたらほっとするし、スベれば穴に入りたくなる。目の前で反応が分かるからこそ、自分たちに対する評価も受け止めることができるし、「気を抜いていると死ぬ」と感じることができる。そういうリアルな感覚とは違う評価を求めている人って、何に渇望しているんだろうか。
例えば、SNSの“いいね”とか“リツイート数”。あれって結局、何の評価なの? 信者よろしく熱狂的な固定ファンがいれば、内容の良し悪し関係なくネットにおける評価は好意に満ちたものになるわけだよね。その数字は、化けの皮が剥がれる前までは第三者にも通用するのかもしれない。だけど、フォロワー数をお金で買っていたなんてニュースがあったように、結局、その評価が当てになるのかって言われると、疑問符の連続だよ。
ネットの中の数字が、本当に評価できるものなのか否か。万能とも言われていたインターネットの世界で、いまだそれをクリアにしていなのはどういうことなんだろう。完璧に治る風邪薬を開発しちゃったら困る、というような話と近いものがあるのかもしれないね。
ネットを信用しすぎちゃいけない。ネットでしか幅を利かせられない人も信用しすぎちゃいけない。結局、真贋を見極められるかどうかは、日々の実生活の行いと直結しているんだから、滑稽だよ。ネットを上手に活用できる人って、とどのつまり現実社会でもうまくやっている人。インターネットのご利用は計画的に、ってことだよ。
※【徳井健太の菩薩目線】は、毎月10日、20日、30日更新です
【プロフィル】とくい・けんた 1980年北海道生まれ。2000年、東京NSC5期生同期・吉村崇と平成ノブシコブシを結成。感情の起伏が少なく、理解不能な言動が多いことから“サイコ”の異名を持つが、既婚者で2児の父でもある。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。