【徳井健太の菩薩目線】第30回 駅前で笑っていない人が多い街って、引っ越しするのをためらうよね
“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温
かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第30回目は、引っ越すときに気を付けなければいけないことについて、独自の梵鐘を鳴らす――。
かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第30回目は、引っ越すときに気を付けなければいけないことについて、独自の梵鐘を鳴らす――。
俺が最初に東京で暮らした街は、新宿だった。北海道の片田舎から上京してきた俺にとって、東京のイメージは、新宿くらいしかなかった。新宿であれば、「どうとでもなるだろう」という思いがあったことも大きかった。当時、NSC(吉本総合芸能学院)は、赤坂見附と溜池山王にほど近い場所にあったこともあり、丸ノ内線一本でアクセスできることもあって、新宿なら何とかなるだろうと思ったんだ。渋谷から銀座線で赤坂見附に行けることも、池袋に丸ノ内線が走っていることも、上京後に分かったこと。片田舎から上京するってのは、それくらい未知であり無知なんだ。
俺は、全財産である14万円を握りしめ、不動産屋に「これで住める場所を紹介してください」と頼み込み、築何十年の木造アパートに入居することになった。風呂なし、トイレ共同、ねずみが出るような場所で家賃34000円。正直、いま考えると条件に見合わないほど“高い”。場所は、西新宿五丁目付近。十二社通りが近かったから、それなりに賑わいもあった。
その後、豊島区や板橋区に引っ越すことになるけど、振り返ると、売れるかどうかわからない時期に、新宿に居を構えていたことは大きかったと痛感する。当時、NSCの同期の中には、南北線で一本で通える王子・赤羽方面や、千代田線で一本で通える綾瀬方面に住んでいる人間も少なくなかった。ところが、みんな、辞めていった。
新宿は、常にギラギラしていた。オンとオフの切り替わりがないような街だった。我に返る暇がないというか、街に飲まれているというか、とかく売れていようが売れていまいが、渦の中心に引き込まれるような動力が働いていた。自分がぼーっと突っ立っていたとしても、少しずつ位置がずれていくような磁力があった。俺は、たまに思う。もし、住み心地の良い都心の外に暮らしていたら、俺のような自発的に行動することが苦手な人間は、売れていなかっただろうなって。
その街に暮らすというのは、めぐり逢いだよ。“たまたま”でしかないことが、ほとんどかもしれない。新宿を選んだことも、俺自身の東京の情報量が少なかっただけだし、その後に暮らした上板橋は、たまたま住むことになったに過ぎない。ただ、新宿も上板橋も、「いい街だった」と思い返す。なにより後者では、蒙古タンメン中本(本店)と出会えたことが大きかった。板橋区はいろいろと言われるけど、板橋本町、大山、上板橋周辺は活気があって、楽しい街だと思う。『ピカルの定理』の収録のため、上板橋からお台場まで通い続けていたのは、良い思い出だ。
俺は、全財産である14万円を握りしめ、不動産屋に「これで住める場所を紹介してください」と頼み込み、築何十年の木造アパートに入居することになった。風呂なし、トイレ共同、ねずみが出るような場所で家賃34000円。正直、いま考えると条件に見合わないほど“高い”。場所は、西新宿五丁目付近。十二社通りが近かったから、それなりに賑わいもあった。
その後、豊島区や板橋区に引っ越すことになるけど、振り返ると、売れるかどうかわからない時期に、新宿に居を構えていたことは大きかったと痛感する。当時、NSCの同期の中には、南北線で一本で通える王子・赤羽方面や、千代田線で一本で通える綾瀬方面に住んでいる人間も少なくなかった。ところが、みんな、辞めていった。
新宿は、常にギラギラしていた。オンとオフの切り替わりがないような街だった。我に返る暇がないというか、街に飲まれているというか、とかく売れていようが売れていまいが、渦の中心に引き込まれるような動力が働いていた。自分がぼーっと突っ立っていたとしても、少しずつ位置がずれていくような磁力があった。俺は、たまに思う。もし、住み心地の良い都心の外に暮らしていたら、俺のような自発的に行動することが苦手な人間は、売れていなかっただろうなって。
その街に暮らすというのは、めぐり逢いだよ。“たまたま”でしかないことが、ほとんどかもしれない。新宿を選んだことも、俺自身の東京の情報量が少なかっただけだし、その後に暮らした上板橋は、たまたま住むことになったに過ぎない。ただ、新宿も上板橋も、「いい街だった」と思い返す。なにより後者では、蒙古タンメン中本(本店)と出会えたことが大きかった。板橋区はいろいろと言われるけど、板橋本町、大山、上板橋周辺は活気があって、楽しい街だと思う。『ピカルの定理』の収録のため、上板橋からお台場まで通い続けていたのは、良い思い出だ。
物件の条件より駅前の雰囲気を重視すべし
そのときの雰囲気が忘れられず、新しく選んだ場所は、ハイソサとは程遠いエリア。自分を奮い立たせてくれる街もあれば、精神的な落ち着きをもたらしてくれる街もある。要は、その時々で自分が住むべき街は変わってくると思うんだ。
これから引っ越す、上京する予定のある人……特に若い世代に覚えておいてほしいことは、自分の性格や精神状態にフィットしそうな街を選ぶということ。自分の性格と合わないような街を寝床に選ぶと、自宅と会社(学校)の往復ですら苦痛に満ちたものになる。帰りの電車の車窓に映る己の顔が、死神のような顔になっていくんだ。外観がかわいいとか、内装がオシャレとか、住んで一カ月もすれば「どうでもいい」ことだと気が付く。条件以上に、街の雰囲気や路線の活気を重視した方がいい。俺自身、上板橋の前に暮らした場所は、地下鉄が薄暗く、帰宅するたびに暗澹たる気持ちになった。
今は、事前にインターネットで街の情報をそれなりに把握することができる。その上で、住居選びをする際は、“駅前に笑っている人が多い”かどうかを見定めことをオススメしたい。笑っていない人が多い街は、俺の経験上、物を盗む人が多いんだ。また、笑っているように見えて、ニタニタしている奴が多い街も避けてほしい。ろくな街じゃない。
そして、駅の近隣にある公園まで足を延ばしていただきたい。公園に幅広い世代の人が集っている街は、きっと良い街だよ。子どもからお年寄りまで、公園でのんびりと時間を過ごせるような街は、都心であれ郊外であれ、人が暮らす上で大事なものが宿っている地域だと思うんだ。「部屋がかわいい」という判断だけで決めた部屋。その最寄り駅からすぐ近くに、昼間からワンカップを片手に輩が集まるような公園があったら、どうする?
新生活を始める際は、“木を見て森を見ず”状態で物件を決めないように。生活が新しいものになるかどうかは、自分が活きる街を選べるかどうか。新しい場所に住む=新生活、とは限らないんだよ。
※【徳井健太の菩薩目線】は、毎月10日、20日、30日更新です
【プロフィル】とくい・けんた 1980年北海道生まれ。2000年、東京NSC5期生同期・吉村崇と平成ノブシコブシを結成。感情の起伏が少なく、理解不能な言動が多いことから“サイコ”の異名を持つが、既婚者で2児の父でもある。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。