【徳井健太の菩薩目線】第43回 食べログに載らない“漂流定食屋”には、人生の学びがある
俺は、点数3.0を下回るお店には入店できないカラダにさせられてしまった。
食べログは、 人間の考える力を上書きしてしまうほどの説得力を持っている。食べログを問題視するニュースが定期的に聞こえてくるけど、食べログを見ずにお店を決めることができる人が、果たしてどれくらいいるんだろう。実際、俺は食べログ信者と後ろ指をさされても否定できないし、食べログに従って選んだ店では、コースを頼むことだって珍しくない。そんな俺が、「この支配(食べログ)からの卒業」を迎えるかもしれない。
先日、近所を嫁と散歩していると、いかにも昭和なたたずまいの定食屋を見つけた。信者である俺は、さっそく食べログの評価を調べてみた。が、驚くことに掲載されていない。外観をよく見れば、長年、開閉を繰り返してきたからか、 木製の扉と入口にはすきまが生じている。どうしてこんな店が、現代にいたるまで生存し続けているのか、気になって仕方がなかった。と同時に、この状況でも営業し続けているってことは、美味しいのかもしれない。日を改めて、訪れてみようと心に決めたんだ。
某日。その定食屋に足を運んだ。内観はさらに昭和。昭和40年代、 『男はつらいよ』に登場してもおかしくない空間。ラーメン500円、チャーハン500円……値段も止まっていた。店内を見渡すと、おそらくは70代のお父さんと、娘さんだろうか40代~50代の女性、2人でお店を回していた。
「この価格帯だから存続しているのかも」。味ではなく、常連たちに支えられているタイプのお店なのか? ところが、そんな杞憂を吹き飛ばすほど、俺が頼んだチャーハンは美味かった。今まで食った中で、1、2を争うほど美味かった。あまりにそのチャーハンの衝撃が大きかったから、“本当にあのチャーハンは美味かったのか”を確かめるため、その日以降、外食をする際にチャーハンがある店では、比べるためにオーダーしてしまうほど、その味に憑りつかれていた。
気が付いたんだよね。食べログに載ってない、美味しいお店がまだ日本にはそれなりに存在しているんだなって。時代に振り回されることなく、いつ巡り会えるとも分からない人知れずひっそりと営んでいる、時代を漂流しているようなお店。思い返せば、その定食屋は近所にあった気がする。視界に入っていたのかもしれないけど、目に留めることはなかった。ずっとあったのに、ある日突然、巡り会う。漂流しているような店が、日本には存在するんだよね。
店内でチャーハンの余韻に浸ってると、俺が敬愛するeastern youth の「月影」という曲が流れてきた。幻聴だったのかもしれない。本当に流れていたのか定かではないんだけど、閉まりの悪そうな木の扉の外に出たら、俺は生まれ育った北海道別海町にトリップしてしまうのではないかと思った。有線をかけない店。荒々しいギターが聞こえる中で、食べログに載っていない店の集合体こそが、本来の日本の姿だったんだなって思ってしまった。
見た目を気にかけない店は不味そうな店
誰かを連れていくときは食べログに頼ってしまうかもしれない。でも、一人で飯を食べるときは、点数とは切り離された世界に根を下ろす漂流定食屋に行こう。今後、よりデータ重視のAI時代が訪れるだろうし、そもそも昭和の佇まいを残す店が減少することも明らか。文化財のような雰囲気を誇る定食屋に行かないことは、何か大きな後悔をもたらすように思ったんだ。
だからと言って、手あたり次第、それっぽいお店に行くような真似はしない。そんな定食おサセみたいなことはしたくない。ある程度、美味そうな店と不味そうな店を見分ける目が必要になる。
美味そうな店については何となく嗅覚が似るものだけど、不味そうな店となると人ぞれぞれ、個体差があるかもしれない。俺が思う不味そうな店。それは、見た目を気にかけない店。内観というよりも、盛り付けだよね。「美味い」と自信があって作る人であれば、盛り付けにもそれなりに気を遣うと思うんだ。そこに気を配らないってことは、作っている本人に料理への愛情がないのではないのかと勘ぐってしまう。「俺が作った料理は絶対に美味いぞ。さぁ食ってみろ」って出された料理が汚らしいって、矛盾しているとしか思えないよね。
美味しく見せようとしていない時点で、味も美味しくない可能性が高い。逆に言えば、店内が決してきれいじゃなくても、見た目が美味そうだったら期待値が上がってしまう。そこが漂流定食屋の優劣になるんじゃないかな。まぁ、目の前に料理が置かれている時点で、食わなきゃいけないから、結局は味で判断するんだろうけど。でも、美味しく見せようとする努力を怠る時点で、お里は知れる。これって料理に限った話じゃない。自由を気取っていたとしても、ダメそうと思われない態度が必要ってことだと思う。好き勝手やればいいって話ではない。漂流定食屋は、人生の学びが詰まっているんだ。
周りの評価以上に、自分の物差しをいかに磨いていくか。周りの点数や評価に文句を言うのなら、そういった気持ちが大事だと思うんだよね。
※【徳井健太の菩薩目線】は、毎月10日、20日、30日更新です
◆プロフィル……とくい・けんた 1980年北海道生まれ。2000年、東京NSC5期生同期・吉村崇と平成ノブシコブシを結成。感情の起伏が少なく、理解不能な言動が多いことから“サイコ”の異名を持つが、既婚者で2児の父でもある。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。公式ツイッター:https://twitter.com/nagomigozen