作家・いしいしんじ3年ぶりの小説集『マリアさま』をめぐる言葉と音

蓄音機“コロちゃん”で〈『マリアさま』のためのサウンドトラック〉より選曲したSP盤の音に聴き入る
辻山:いしいさんがリトルモアさんのホームページで、なんで蓄音機がいいのかという話をされていて、音楽をかけた時にそこで演奏しているようなんだとおっしゃっていますね。

いしい:レコードというのは溝を引っ掻くことで、蓄音機のレコードはすごい圧力をかけてレコードを引っ掻いて、レコードを削っていくんですね。レコードはどんどん減っていって、30回くらいかけたら聴けなくなるんですよ。自分の身を削りながら、その削った粉を音にしてガーっと出してるという、そういうものなので覚悟が違う(笑)。

辻山:せっかく蓄音機の話になったので、1曲目なんにしましょう。

いしい:この蓄音機はコロンビアの蓄音機だから“コロちゃん”っていう名前なんですけど、レコードプレーヤーで言えばカートリッジというところに鉄の針を装着します。それからターンテーブルの部分が駆動するためのゼンマイを巻きます。じゃあエルヴィス・プレスリーの「Hound Dog」です。

https://open.spotify.com/playlist/6ogWm9lephg0AYRESMHSay

いしい:これはエルヴィスが23歳の時で57〜58年の録音なんですけど、50年代の音楽なのにまさしく“なつかしくて新しい音楽”ですよね。次はこの小説に朝吹真理子さんが出てきますよね(「チェス」)。朝吹真理子さんの『TIMELES』という小説の中にいまからかける歌が出てくるんですよ。マリー・ブライアントという人の「Don’t Touch My Nylons」という曲なんですけど、かんたんに言うと「私のブラに触らないでよ」というナイロンブラの歌です。

https://open.spotify.com/playlist/6ogWm9lephg0AYRESMHSay

いしい:蓄音機の再生というのはご覧のとおり電気を使わないですね。1940〜50年のスタジオで空気が揺れている振動を、マスター盤の上にそのままの形で削っていく。その上を針がトレースすると、40〜50年代のスタジオの空気の振動が版画みたいに出てくるんです。面白いのは歌はすごくハスキーに、語りかけるように歌って、ラッパがよく聴こえたはずです。ドラムスとかはめちゃ遠いんですよ。マイクが1本しか立ってないんです(笑)。

辻山:いしいさんはそもそも蓄音機ってどういう感じで出会われたんですか?

いしい:音楽評論家の湯浅学さんがレコードの師匠なんですけど、「いま神保町で蓄音機のメンテしたやつ安くていいの売ってるから、いしい君絶対買ったほうがいい」って言うんです。翌日に行ったら売約済みになってて一日遅かったかなと思ったら、後ろから「蓄音機買うんだったら、もっといいの出しますよ」って(笑)。家に送ってもらってエルヴィスの「Hound Dog」をかけたら家がガーっと揺れて、どれくらいすごかったかというと、漫画かと思ったんですけど台所にいた(妻の)園子さんがフライ返しとフライパンを持って「なになになになに!?」って(笑)。ここにエルヴィスがいるように見えたんですよ。蓄音機ってこんなにすごいのかと思って。

※その他の選曲はリトルモアの特設サイトをご覧ください → http://www.littlemore.co.jp/maria-sama/


いしい:自分がやっていることと蓄音機の再生がものすごく通じていることがだんだん分かってきたので、「新潮」という文芸誌で「チェロ湖」という長篇小説を書いていて。蓄音機の針で物語を釣るという小説なんですけど、蓄音機と「あっち」に行ってしまった自分の大切な人たちに導かれながら、まだいまは「ここ」でできるなという感じを持ちながら書いています。

辻山:いま「物語を釣る」という表現をされたんですけど、小説の書き始めは針を垂らして待つような感覚なんですか?

いしい:本当にそのとおりですね。言葉にならないかたまりがいっぱい僕の体の中にあるんですよ。黒い水面があって、底のほうから黒くて丸い風船みたいなものが上がってくる気配がする。ズボッと手を突っ込んで闇雲に探っても風船を割っちゃうから、浮上してくるのをひたすら待つんです。水面に浮かんだ時にそっと手のひらを乗せて、風船が上がってくるのと一緒にすぅっと引き上げていく。だんだん黒かったところにいろんな字が見えてきて、それを書いていくという感じなんですよ。

辻山:長篇と短篇だと書く態度というか、気持ちの持ちようみたいなものは全然違うわけですか?

いしい:ゼロからその小説が出てくる時はどちらも同じなんですけども、短篇というのはだいたい長くても3日、早かったらその日のうちに書いてしまうわけですよ。それはすごく気が楽なんです。黒い水面の話でいったら普段から小さい泡があるんだと思うんですよ。終わるのは分量とか決まっている場合が多いから、短距離走みたいなもんで楽しいんですよね。

辻山:読んでいて短距離走の分だけ不条理でもありますし、自然なのはすごく自然なんですよね。そのへんはやっぱり大事にしてきたものを、ちゃんと摑み取ってらっしゃるんだなというふうに、いま聞いて思いましたね。

いしい:さっきインタビューで「虎が銀座通りを走るっていう話(「虎天国」)、あんなのよく書きましたね。他の作家の人は思いついても、いいなと思って書かないですよ」って言われて(笑)。僕は物語として大事なものだと感じたから書いたので、変にパッと思いついただけの出まかせだけで済むようなものだったら書かないと思うんですよね。なにがそれを決めているかって、自分で選んでいるんじゃなくて、自分のさらに奥のほうから響いてくるものの気配があるかどうか。あるいはその物語の種を拾い上げて、種に水をかけてできるだけ自然に育つように。その物語が物語としてこっち側に行きたいと言ったら、「そっち行くの!?」と思ってもそっちの目もあるのかと。それは自分としては変に自分勝手に曲げちゃいけないという考えなんですよ。
『マリアさま』(リトルモア)
『マリアさま』
【著者】いしいしんじ【発行】リトルモア【定価】本体1500円+税
【URL】http://www.littlemore.co.jp/maria-sama/
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