話題のノンフィクション『つけびの村』は『ツイン・ピークス』なのか 映画史研究家・春日太一が読み解く、高橋ユキの作家性
WEBサービス「note」発で話題の書籍『つけびの村 噂が5人を殺したのか?』著者の高橋ユキ
春日:高橋さんが取材で得たたくさんの情報の中から、一つひとつの情報を出すか出さないか、あるいは読者に読み取ってほしいという雰囲気を出すか出さないかに心を配って書いているのがすごく伝わってきます。本当に隠したい場合は完全に隠すこともできるじゃないですか。
高橋:この本は“噂”がテーマなので、どこまでなにを出すかというのは相当悩みました。そのうえで、これは自分が聞いたことをそれなりに出したほうが、村の噂について伝わるんじゃないかというふうに覚悟を決めました。
春日:おっしゃる通り、この本のキモって「コープの寄り合い」にぶつかったところから、どう構成を考えられるかだと思います。それはなんなのかといったら、すべて“噂”ですよね。噂話は現在進行形でこの村に続いている。証言だと思って聞いているものも噂で、高橋さん自身が噂に巻き込まれていっている部分でもあるわけです。
高橋:自分が主体として噂を流しちゃいけないという部分はかなり注意していました。でも帰った後にはきっと、私の噂も流れていたでしょうね。村に立ち入って取材をさせてもらう以上、仕方のないことだとも思いますが。
春日:取材している最中、この村の怖さを感じましたか?
高橋:金峰(みたけ)ほどシビアではありませんが、私も北九州の田舎で育ったので、それほど特異な恐怖は感じなかったですよ。この村に特有というより、多かれ少なかれ、日本のいろんな地方に似たような状況があるんだろうなという感じです。だから、わりと我がことのように読んでもらえるんじゃないかなという思いはありました。
春日:司馬遼太郎の『街道をゆく』じゃないですけど、この本には紀行文の要素も多分にあって、それがリアリティを担保しているところがある。東京から徳山、徳山の描写から金峰の集落に入っていく時間や距離、途中のコンビニであったり。地方をドライブした時にそういう光景って誰しも経験していると思うんですよ。だからこの村に点在している人たちが生々しく浮かび上がってくるし、そこにいる高橋さんの具体像も見えてくる。これを映像的に書いているのは、狙ってやった?
高橋:そうですね。いきなり私が村に行って取材して「証言を取ったのだ」みたいなのはあまりハマらないテーマだったので。自分のドタバタぶりまで見せるイメージで書きました。
春日:上手いのは高橋さんの一人称の章もあれば、完全に保見一族の章もある。途中で視点を変えるとか、章によって変えるのは、読者が離れるんじゃないか、テンポが変わるんじゃないかと書き手は怖かったりしますけど、けっこう視点を変えても成り立つんだなと思いました。そのへんの構成についてはどうですか?
高橋:それは意識しましたね。裁判の傍聴記事を書く時には、基本的に自分の視点は入れないんですけど、今回は自分の視点で物語が進む場所がけっこう多いので、その瞬間に自分の感じたことや状況を書くようにしようとか。時事ネタも、読者の追体験の支えにできるかもしれないと、意識して入れました。
春日:淡々とセルフ突っ込みを入れていく感じもね、とても面白かったです。「私が未解決事件の被害者になってしまう」(107ページ)とか。僕も書き手なので、ついディテールに目がいっちゃうんですけど、「銀縁眼鏡のレンズが汚れて曇っているのが気になった」(104ページ)とか。
高橋:いや、本当に気になったんですよ! ちょっとそっちに気を取られそうになるくらい。
春日:これだけシリアスな取材の中で、高橋さんはよくそこに目がいっているなという。そういった描写の一つひとつがこれまでの本になかった手応えを感じさせてくれたのかな。
高橋:この本は“噂”がテーマなので、どこまでなにを出すかというのは相当悩みました。そのうえで、これは自分が聞いたことをそれなりに出したほうが、村の噂について伝わるんじゃないかというふうに覚悟を決めました。
春日:おっしゃる通り、この本のキモって「コープの寄り合い」にぶつかったところから、どう構成を考えられるかだと思います。それはなんなのかといったら、すべて“噂”ですよね。噂話は現在進行形でこの村に続いている。証言だと思って聞いているものも噂で、高橋さん自身が噂に巻き込まれていっている部分でもあるわけです。
高橋:自分が主体として噂を流しちゃいけないという部分はかなり注意していました。でも帰った後にはきっと、私の噂も流れていたでしょうね。村に立ち入って取材をさせてもらう以上、仕方のないことだとも思いますが。
春日:取材している最中、この村の怖さを感じましたか?
高橋:金峰(みたけ)ほどシビアではありませんが、私も北九州の田舎で育ったので、それほど特異な恐怖は感じなかったですよ。この村に特有というより、多かれ少なかれ、日本のいろんな地方に似たような状況があるんだろうなという感じです。だから、わりと我がことのように読んでもらえるんじゃないかなという思いはありました。
春日:司馬遼太郎の『街道をゆく』じゃないですけど、この本には紀行文の要素も多分にあって、それがリアリティを担保しているところがある。東京から徳山、徳山の描写から金峰の集落に入っていく時間や距離、途中のコンビニであったり。地方をドライブした時にそういう光景って誰しも経験していると思うんですよ。だからこの村に点在している人たちが生々しく浮かび上がってくるし、そこにいる高橋さんの具体像も見えてくる。これを映像的に書いているのは、狙ってやった?
高橋:そうですね。いきなり私が村に行って取材して「証言を取ったのだ」みたいなのはあまりハマらないテーマだったので。自分のドタバタぶりまで見せるイメージで書きました。
春日:上手いのは高橋さんの一人称の章もあれば、完全に保見一族の章もある。途中で視点を変えるとか、章によって変えるのは、読者が離れるんじゃないか、テンポが変わるんじゃないかと書き手は怖かったりしますけど、けっこう視点を変えても成り立つんだなと思いました。そのへんの構成についてはどうですか?
高橋:それは意識しましたね。裁判の傍聴記事を書く時には、基本的に自分の視点は入れないんですけど、今回は自分の視点で物語が進む場所がけっこう多いので、その瞬間に自分の感じたことや状況を書くようにしようとか。時事ネタも、読者の追体験の支えにできるかもしれないと、意識して入れました。
春日:淡々とセルフ突っ込みを入れていく感じもね、とても面白かったです。「私が未解決事件の被害者になってしまう」(107ページ)とか。僕も書き手なので、ついディテールに目がいっちゃうんですけど、「銀縁眼鏡のレンズが汚れて曇っているのが気になった」(104ページ)とか。
高橋:いや、本当に気になったんですよ! ちょっとそっちに気を取られそうになるくらい。
春日:これだけシリアスな取材の中で、高橋さんはよくそこに目がいっているなという。そういった描写の一つひとつがこれまでの本になかった手応えを感じさせてくれたのかな。
郷集落の手前で突如現れる「宇宙ステーション」(162ページ)