自分のためにしか働かない【SOD女子社員・負け犬女の働き方改革】#5
写真は昨年開催したイケメンフェスティバル2019の準備風景。開催前日なのでボロボロです…
会社に行けなくなった私は、年間最大40日もある有給休暇を使い果たす寸前だった。
しかもまだ元気だった頃に、友達とブラジル旅行に行くことを決めており、飛行機も宿もとってあったので、一週間ほど会社を休む予定になっていた。
会社を辞めるにも、次の仕事のアテもなければ蓄えもなく、転職活動をする時間もない。
そして辞めたとて、不眠症でパニック障害も抱えている自分を雇ってくれる会社などあるのだろうか。雇ってくれたとして、ちゃんと働けるのだろうか。
不安ばかりだった。
ブラジルから帰ってきた2017年の4月、GIRL’S CHを離れ、営業部での生活が始まった。
それまでは上司が気にしない(のかあえてそうしてくれていたのかわからないが)人だったので、多少の遅刻は大目に見てくれていたが、営業部ではそうはいかなかった。
1分でも始業時間に間に合わなければ遅刻となり、注意される。
当然のことだ。
しかしその替わり、退社時間も毎日同じくらいであることが多かった。
出勤・退勤の時間が固定され、規則正しい生活を送れるようになった、いや、送らざるを得なかった。
遅刻はペナルティや評価ダウンにつながり、そうなれば自分はもうこの会社でも他の会社でも働けない、まさに背水の陣。
私の人生の最優先事項は「遅刻をしないこと」になった。
とにかく普通の人間にならなければ。
その一心だった。
遅刻をしないことを最優先にした生活は、本当につまらなかった。
同じ時間に起きて同じ時間に寝る。
何かに感動しても、その心地よさを感じながら夜更かしする余裕はない。
悲しい気持ちを気が済むまで引きずることもできない。
やることと言えば毎日、同じように会社に行って、帰ってきては転職情報を眺めることぐらい。
山もなければ谷もない生活。
私にとってはこの毎日が苦痛だった。
しかし、意外にも、それを毎日続けることが、徐々に私の自信になっていった。
毎日同じ時間に会社に行き、決められた時間を勤務することができる、それだけで少しだけ普通の人間に近づけたような気がした。
なかなか薬の量は減らなかったが、徐々に電車に乗ったり、でかけたりすることができるようになった。
そしてそれから1ヶ月、2ヶ月、と悩み立ち止まりながら日々を過ごしているうちに、巻き込まれる形で始まったのが、第一回目の「イケメンフェスティバル」というイベントの準備だった。
開催当時、連載でレポート記事を掲載したので詳しくはそちらをご参照いただきたいのだが(https://www.tokyoheadline.com/383066/)、このイベントはSOD本社をまるまる使って、そこに女性向けのサービスを営む店舗さんにブースを出してもらい、お客様に楽しんでいただくという内容である。
2017年当時、GIRL’S CHでこのようなイベントを開催したことがなく、何を用意すればいいかも、何が正解なのかもわからなかった。
はからずも、この期間に離れていくスタッフもおり、物理的にも人手が足らない。
というわけで、私も営業部の業務をしつつもイベント準備に合流することになった。
イベントは楽しかった。
毎日寝食を惜しんで準備しても、なにも苦にならない。
仲間たちと朝まで作り物をしていても、眠さや疲れはあれど、心のどこかは楽しんでいた。
当日は不測の事態が次々と起こり、あっという間の一日だった。
つらいことやしんどいことも山のようにあったが、喜びを感じる瞬間もたくさんあった。
やはり私は、「つらいことはないけど、感動することもない毎日」よりは、「ものすごくつらいことはあるかもしれないけど、ものすごく楽しいこともあるかもしれない毎日」が好きだということを、このイベントを通して再確認したのだった。
ただ同時に、巻き込まれるように始まった仕事だったので、自分に最終的な責任や決定権はなく、それが悔しくもあり歯がゆかった。
準備しているうちにイベントに対する思いが強くなったのに、このイベントが自分のものではないというジレンマでつらかった。
イベント終了後に一人会社に残り、朝方まで精算をして、大雨の中歩いていたら涙が止まらなくなってしまった。
なぜ私は自分の評価にならないことをこんなに頑張っているのか、なぜこんなに頑張っているのに報われないのか。
それはその仕事を「自分のもの」にできていなかったからだ。
いつも会社の意向や上司の顔色を気にして、怒られないように働いていた気がする。
私に足りなかったのは、「仕事を自分のものにする」ことだったのではないだろうか。
誰かのために、会社のために、自分を後回しにしてガムシャラに頑張っていた。
自分を雑に扱ってきたツケが、そもそもの体調不良を引き起こしたのだろう。
もっと自分本位で生きていたら、そもそも体調も崩さなかったかもしれないし、部署異動もなかったかもしれないし、転職するとかどうとかでいちいち悩まなかったかもしれない。
全部「かもしれない」の話ではあるが、大切なことに気付くまでにずいぶん遠回りをしてしまったように思う。
2017年の年末、もう私は自分のためにしか働かないと、心に決めた。
しかもまだ元気だった頃に、友達とブラジル旅行に行くことを決めており、飛行機も宿もとってあったので、一週間ほど会社を休む予定になっていた。
会社を辞めるにも、次の仕事のアテもなければ蓄えもなく、転職活動をする時間もない。
そして辞めたとて、不眠症でパニック障害も抱えている自分を雇ってくれる会社などあるのだろうか。雇ってくれたとして、ちゃんと働けるのだろうか。
不安ばかりだった。
ブラジルから帰ってきた2017年の4月、GIRL’S CHを離れ、営業部での生活が始まった。
それまでは上司が気にしない(のかあえてそうしてくれていたのかわからないが)人だったので、多少の遅刻は大目に見てくれていたが、営業部ではそうはいかなかった。
1分でも始業時間に間に合わなければ遅刻となり、注意される。
当然のことだ。
しかしその替わり、退社時間も毎日同じくらいであることが多かった。
出勤・退勤の時間が固定され、規則正しい生活を送れるようになった、いや、送らざるを得なかった。
遅刻はペナルティや評価ダウンにつながり、そうなれば自分はもうこの会社でも他の会社でも働けない、まさに背水の陣。
私の人生の最優先事項は「遅刻をしないこと」になった。
とにかく普通の人間にならなければ。
その一心だった。
遅刻をしないことを最優先にした生活は、本当につまらなかった。
同じ時間に起きて同じ時間に寝る。
何かに感動しても、その心地よさを感じながら夜更かしする余裕はない。
悲しい気持ちを気が済むまで引きずることもできない。
やることと言えば毎日、同じように会社に行って、帰ってきては転職情報を眺めることぐらい。
山もなければ谷もない生活。
私にとってはこの毎日が苦痛だった。
しかし、意外にも、それを毎日続けることが、徐々に私の自信になっていった。
毎日同じ時間に会社に行き、決められた時間を勤務することができる、それだけで少しだけ普通の人間に近づけたような気がした。
なかなか薬の量は減らなかったが、徐々に電車に乗ったり、でかけたりすることができるようになった。
そしてそれから1ヶ月、2ヶ月、と悩み立ち止まりながら日々を過ごしているうちに、巻き込まれる形で始まったのが、第一回目の「イケメンフェスティバル」というイベントの準備だった。
開催当時、連載でレポート記事を掲載したので詳しくはそちらをご参照いただきたいのだが(https://www.tokyoheadline.com/383066/)、このイベントはSOD本社をまるまる使って、そこに女性向けのサービスを営む店舗さんにブースを出してもらい、お客様に楽しんでいただくという内容である。
2017年当時、GIRL’S CHでこのようなイベントを開催したことがなく、何を用意すればいいかも、何が正解なのかもわからなかった。
はからずも、この期間に離れていくスタッフもおり、物理的にも人手が足らない。
というわけで、私も営業部の業務をしつつもイベント準備に合流することになった。
イベントは楽しかった。
毎日寝食を惜しんで準備しても、なにも苦にならない。
仲間たちと朝まで作り物をしていても、眠さや疲れはあれど、心のどこかは楽しんでいた。
当日は不測の事態が次々と起こり、あっという間の一日だった。
つらいことやしんどいことも山のようにあったが、喜びを感じる瞬間もたくさんあった。
やはり私は、「つらいことはないけど、感動することもない毎日」よりは、「ものすごくつらいことはあるかもしれないけど、ものすごく楽しいこともあるかもしれない毎日」が好きだということを、このイベントを通して再確認したのだった。
ただ同時に、巻き込まれるように始まった仕事だったので、自分に最終的な責任や決定権はなく、それが悔しくもあり歯がゆかった。
準備しているうちにイベントに対する思いが強くなったのに、このイベントが自分のものではないというジレンマでつらかった。
イベント終了後に一人会社に残り、朝方まで精算をして、大雨の中歩いていたら涙が止まらなくなってしまった。
なぜ私は自分の評価にならないことをこんなに頑張っているのか、なぜこんなに頑張っているのに報われないのか。
それはその仕事を「自分のもの」にできていなかったからだ。
いつも会社の意向や上司の顔色を気にして、怒られないように働いていた気がする。
私に足りなかったのは、「仕事を自分のものにする」ことだったのではないだろうか。
誰かのために、会社のために、自分を後回しにしてガムシャラに頑張っていた。
自分を雑に扱ってきたツケが、そもそもの体調不良を引き起こしたのだろう。
もっと自分本位で生きていたら、そもそも体調も崩さなかったかもしれないし、部署異動もなかったかもしれないし、転職するとかどうとかでいちいち悩まなかったかもしれない。
全部「かもしれない」の話ではあるが、大切なことに気付くまでにずいぶん遠回りをしてしまったように思う。
2017年の年末、もう私は自分のためにしか働かないと、心に決めた。
田口桃子(たぐち・ももこ)
GIRL’S CHプロデューサー。2007年、新卒でソフト・オン・デマンド(株)に入社。
営業、マーケティング等の部署を経て、2012年よりGIRL’S CHの立ち上げに携わる。
以来現在まで、GIRL’S CHの現場リーダーとしてサイト運営をしつつ、オリジナル動画ではレポーター出演等をすることも。
GIRL’S CHプロデューサー。2007年、新卒でソフト・オン・デマンド(株)に入社。
営業、マーケティング等の部署を経て、2012年よりGIRL’S CHの立ち上げに携わる。
以来現在まで、GIRL’S CHの現場リーダーとしてサイト運営をしつつ、オリジナル動画ではレポーター出演等をすることも。