日本にも食のD to Cは起きる!ニューノーマル時代の食産業に思うこと 楠本修二郎氏(カフェ・カンパニー株式会社 代表取締役)
「令和の今こそ “ハーモナイズ”の場を作るのがカフェの仕事」
「WIRED CAFE」「Planet3rd」など“飲食店”の枠にとどまらないコンセプトで、新たな日本のカフェ・シーンを作り上げた食とカルチャーの仕掛け人・楠本修二郎さん。コロナ禍において多大な影響を受けた飲食業界にあって、日本の食の未来をどう見据えているのか。
楠本修二郎(くすもと しゅうじろう) 早稲田大学政治経済学部経済学科卒業後、株式会社リクルートコスモス(現・株式会社コスモスイニシア)に入社。その後、大前研一事務所を経て、1999年スタイル・ディベロップ株式会社を設立。2001年にカフェ・カンパニー株式会社を設立。飲食事業の他、地域活性化事業、商業施設のプロデュースなどを展開。
「当時、僕がカフェをやると言うと飲食業界の人からよく“どうやって儲けるつもり?”と聞かれましたね」と「WIRED CAFE」誕生前夜を振り返る楠本修二郎さん。
「カフェの客単価平均はレストランに比べて低い。でも僕は外食産業の数式を変えて考えてみた。2時間で4000円とれなくても30分でコーヒー500円がモジュールになっていればいいんです。しかもみんなのリビングにもオフィスにも応接室にもなるようなコミュニティーの場所を作れば密度が高まるしそのほうが面白い、と思ったんです」
“飲食店としてのカフェ”の枠にとどまらないカフェづくり。その根底にあるのは、小学生時代に出会った“アメリカンカルチャー”、大学時代に出会った“コミュニティーが生まれる場所としての飲食店”そして、多くの人との出会いの中で培われた“ごちゃまぜ文化”を愛する感性。
「小学生のころ、福岡にあった米軍基地の近くに住んでいたんです。鉄条網をくぐり抜け、誰もいない住宅地を歩き回ったりしていました。僕がアメリカンミッドセンチュリーのデザインが好きなのはこのときの原体験から来ています。西日と、すてきなデザインのチェア、おいしいコーヒー…それがどんな空間か、これだけで伝わるでしょう(笑)。僕は、共感を生む場所を作りたいと思うようになりました」
大学進学に合わせて上京。
「レゲエやカントリーのライブハウスなどで働いていて、そこで“エンタメと飲食が近い場所”の楽しさを知りました。どちらも知る人ぞ知るコアな人ばかりが来る店で、他にそんな店がないから、ときに世界の一流の人なんかも来たりする。偏愛性の高い場所を作ると世界中の面白い人とつながるコミュニティーができるんだ、これはすごいメディアだと思いました」
自分の居場所にもなり、集う場所にもなり、メディアでもある場所。そこには多彩なカルチャーが流れる。
「僕は世界史フェチで、文化の伝播の話が大好きなんです。インドネシア語で“混ぜる”を“チャンプル”と言うんですが、沖縄でチャンプルー、長崎でちゃんぽん。海流の流れをたどって伝播したと思われる、この“ごちゃまぜ文化”をカフェに生かしたいと思った。初期に作ったお店では、僕が博多出身で屋台文化が身近だったこともあって、シンガポールのホッケンミーなどを出していました。そんなカフェどこにもなかったですね(笑)。そういう異文化のハーモナイズを生むのがカフェの仕事じゃないかとも思うんです。まさに令和のコンセプトですよね」
在学時代から起業を意識し、経験を積むために就職。不動産、コンサルティングなどでさまざまな経験と出会いを経て独立。
「最初にやっていた店は月収200万ほど。キャットストリートの開発後に東急東横線の高架下に出した複合カフェ〈SUS〉も定期借家期限内ギリギリで資金回収できたという状況でしたが、僕が優先していたのは、まずカフェの価値観を育てることでした」
いつしかその価値観も定着。しかし今年、外食産業は大打撃を受けた。
「4月、5月の売り上げは前年比で10%前後という状況でした。その後、回復してきてはいますがコロナ禍による影響は続くでしょう。これは前から言っていることですが、日本だけではなく世界的に“食”は変わるべき時に来ている。アメリカでも小売りでD to C市場が拡大していますが、日本の食分野でもD to Cの変革は起きると思います。リアルの価値を知る人がオンラインをうまく使うと、ネットの一時的な流行で終わらないビジネスになると思う。日本の食産業が少しずつでも、みんなでDX化していって、ハーモナイズしていけばいいなと思っています」
「カフェの客単価平均はレストランに比べて低い。でも僕は外食産業の数式を変えて考えてみた。2時間で4000円とれなくても30分でコーヒー500円がモジュールになっていればいいんです。しかもみんなのリビングにもオフィスにも応接室にもなるようなコミュニティーの場所を作れば密度が高まるしそのほうが面白い、と思ったんです」
“飲食店としてのカフェ”の枠にとどまらないカフェづくり。その根底にあるのは、小学生時代に出会った“アメリカンカルチャー”、大学時代に出会った“コミュニティーが生まれる場所としての飲食店”そして、多くの人との出会いの中で培われた“ごちゃまぜ文化”を愛する感性。
「小学生のころ、福岡にあった米軍基地の近くに住んでいたんです。鉄条網をくぐり抜け、誰もいない住宅地を歩き回ったりしていました。僕がアメリカンミッドセンチュリーのデザインが好きなのはこのときの原体験から来ています。西日と、すてきなデザインのチェア、おいしいコーヒー…それがどんな空間か、これだけで伝わるでしょう(笑)。僕は、共感を生む場所を作りたいと思うようになりました」
大学進学に合わせて上京。
「レゲエやカントリーのライブハウスなどで働いていて、そこで“エンタメと飲食が近い場所”の楽しさを知りました。どちらも知る人ぞ知るコアな人ばかりが来る店で、他にそんな店がないから、ときに世界の一流の人なんかも来たりする。偏愛性の高い場所を作ると世界中の面白い人とつながるコミュニティーができるんだ、これはすごいメディアだと思いました」
自分の居場所にもなり、集う場所にもなり、メディアでもある場所。そこには多彩なカルチャーが流れる。
「僕は世界史フェチで、文化の伝播の話が大好きなんです。インドネシア語で“混ぜる”を“チャンプル”と言うんですが、沖縄でチャンプルー、長崎でちゃんぽん。海流の流れをたどって伝播したと思われる、この“ごちゃまぜ文化”をカフェに生かしたいと思った。初期に作ったお店では、僕が博多出身で屋台文化が身近だったこともあって、シンガポールのホッケンミーなどを出していました。そんなカフェどこにもなかったですね(笑)。そういう異文化のハーモナイズを生むのがカフェの仕事じゃないかとも思うんです。まさに令和のコンセプトですよね」
在学時代から起業を意識し、経験を積むために就職。不動産、コンサルティングなどでさまざまな経験と出会いを経て独立。
「最初にやっていた店は月収200万ほど。キャットストリートの開発後に東急東横線の高架下に出した複合カフェ〈SUS〉も定期借家期限内ギリギリで資金回収できたという状況でしたが、僕が優先していたのは、まずカフェの価値観を育てることでした」
いつしかその価値観も定着。しかし今年、外食産業は大打撃を受けた。
「4月、5月の売り上げは前年比で10%前後という状況でした。その後、回復してきてはいますがコロナ禍による影響は続くでしょう。これは前から言っていることですが、日本だけではなく世界的に“食”は変わるべき時に来ている。アメリカでも小売りでD to C市場が拡大していますが、日本の食分野でもD to Cの変革は起きると思います。リアルの価値を知る人がオンラインをうまく使うと、ネットの一時的な流行で終わらないビジネスになると思う。日本の食産業が少しずつでも、みんなでDX化していって、ハーモナイズしていけばいいなと思っています」