〈インタビュー〉青木真也の思う自らの強さの秘密「限りがあること、自分の手持ちの武器、自分の弱さを知っていること」【4・29 ONE】
「なんで怒っているの?」の“なんで”が分からないのが問題
--前出の著書の中で格闘技界の大先輩である前田日明氏のもとへ挨拶をしに行った時のエピソードがありました。
「僕のほうが下なんだから、下に入らないといけないじゃないですか」
--そういうことができていないケースは世の中にたくさんあります。
「めっちゃ多いですよ。一番危惧するのは、作り手が分かっていないときが多いんです。それが一番つらいかなって思います。作り手というのはイベントを作る側ですね。僕の場合だと、僕はONEに出場する日本人選手とは並びたくないと思っています。格が違いますから。そう言うと“青木は扱いづらい”とか言われます。でも格が違うんです。それを分からない。“なんでこの人、怒っているの?”とか“なんで並びたくないって言ってるの?”と言われる。その“なんで”という部分がみんな分からない。それが問題なんです」
--かつてPRIDEに参戦していた小川直也はオープニングの入場式には現れなかった。そして当時のPRIDEはそれを許していた。そういうこと?
「それが正しいんです。平等じゃないんだから。なんか最近はみんな平等ってなっているじゃないですか。それは実は不平等なんです。だって、格が違うんだもん。それをみんな平等にしちゃうというのは、こんなこというと偏屈な人というか、旧態依然な考え方の人と思われるんですけど、やっぱりそこはすごく大切だと思いますね。“この相手だから、襟のついたものを着ていかないといけないな”とか“この相手だからスーツを着ていかないといけないな”というところでも“別に関係ねーよ、短パンで行っちゃえ”みたいなことも実際あるわけですよ。そういうのがなくなっちゃっているのは寂しいなと思うんですよね。だから僕は超わきまえていますよ。例えばONEに出ても“この子がメインでこの子が背負っているんだから、俺はここでは絶対に座らない”とか考えますもん。年が下だろうがなんだろうが。そういうことを考える人がいなくなったというのは厳しいですよね」
--それは格闘技界だけではないと思います。
「そうなんですよね。やっぱり良くも悪くもSNSが良くないですよね。僕は今、Clubhouseなんて怖くてできなくなっています。何が怖いって、たまたま三浦崇宏さん、高木三四郎さん、ABEMAの北野雄司さん、あとスーパー・ササダンゴ・マシン選手と喋っていた時に、そこのルームに幻冬舎の見城徹さんが入ってきたんです。みんな恐縮しちゃって“見ていただいてありがとうございます”みたいになっちゃった。それを見たときに“SNSって危ないな。ちゃんとわきまえないと”と思いました。全員が同じフィールドじゃないですか。ツイッターもそう。ちょっと怖いなと思うのが、ファンとかが石井館長にリプを飛ばしたりしているわけです。それを見て“これ、わきまえないと危ないな”って怖くなっちゃいました。“応援しています”とかは分かるんです。でも“さすがにこの人と五分で議論かわしちゃまずいだろう”みたいな時もありますよね。僕なんかは“格が違う。この人のほうが格が上だ”とか思っちゃうタイプなので、そう思うことがあるんですけど、石井館長にリプを飛ばすような人にはそういう感覚はないんですよね。怖いなと思いますよ。誰か絶対、そういうことで火傷する奴が出てきますよ」
--それは教育の問題なんでしょうか? 例えばいじめ問題なんかも含めて。
「それはきれいごとしか言わなくなったからですよ。いじめについては僕はいつも言うんですけど“いじめはダメ”って言うけどなくなっていない。いじめはなくならない、というところから始めないとダメなんです。だからいじめに負けないように、いじめと戦って、どう強く生きていくかということを見せていかないといけない。特に格闘家というものは。だから僕がよく言うのは、木村花さんが亡くなったときに、みんなが“誹謗中傷は良くない”ということを言い始めた。有名な格闘技選手も。なんかバカだなって思ったんですよね。だって俺たちは、いじめられても納得がいかなくても強く生きていくというメッセージを出さないといけないのに、そこで“いじめ、良くないよ”みたいなことを言ったら、ACの前園の広告じゃないんだからって思ったんですよね。みんなが正論というか虚しい美しさばかりで、現実のことを喋らなくなった。それがなんか寂しいですよね」
--その中で青木さんが本音をずばずば言う。
「僕は本当のことしか言いたくないですから。現実というか、人間はダメなものであって、人間は失敗するものであって、人間はいびつなものであって、それこそが美しくて、それを愛さない限り本当の表現であったり本当の平和なんかないというのが僕の理屈なので」