インタビューシリーズ【 LDH バトン ~夢~】Vol.13 Crystal Kay
EXILE、三代目J Soul Brothers、E-Girlsなどが所属するLDH JAPANは、音楽やダンスだけでなく、映画やお芝居、アパレルや飲食など、さまざまなプロジェクトを展開して「Love, Dream, Happiness」のメッセージを届けます。【LDHバトン】では、LDH JAPANに所属するアーティストやタレント、アスリートたちに、DREAM(夢)について聞いていきます。
今回は、Crystal Kayさんです。
今回は、Crystal Kayさんです。
「歌って踊る」のはすごく自然な感じだった
――子供のころの夢を教えてください。
ドルフィントレーナー! それとフィギュアスケーターかな。なぜそう思っていたのか思い出せないけど、イルカと一緒に泳ぎたかったのかな(笑)。フィギュアスケーターは、近くにスケートリンクがあって、よく行っていたから。ただただリンクをグルグルまわっていただけですけど。たぶんそれが小学校1年生とかそのくらいのころだったと思います。
――そのころの自分は、どんな子供でしたか?
天真爛漫……だったかな。バーベキューやディナーではパフォーマンスしてましたね、マイケル・ジャクソンとか、ジャネットとか。そういえば、私が一番最初に音楽を口ずさんだのは2歳の時なんです。ベースラインだったらしいんですけど(笑)。
――「アーティストになりたい」と思うようになったのはいつですか?
実は、そう思ったことがないんです。「そうなるものだ」と思っていたから。母は歌をやっていて、父もバンドでベースを弾いていました。だから子供のころからそういう場に連れて行ってもらっていて、私にとって「歌って踊る」のはすごく自然な感じだったんです。
――「こうなるものだ」とは思っていても、何かしないとそうはなれませんよね。
私は本当にラッキーだなって思っているんですけど、4歳のころ、母の知り合いだったCM会社の社長さんが子供の声が必要だからって、使ってもらったんです。そこから、たくさん歌っていくなかで、11歳ぐらいのときに全日空のCMソング(『FLY AWAY』)と『ビタミンウォーター』(『Eternal Memories』)でたくさん問い合わせをいただきました。それをシングルにしてデビューって感じだったんで……。
――そう考えると、「夢がかなった」感覚はもしかして、今もなかったりするのでしょうか?
うーん、夢がかなったかあ…。デビューしたときはアーティストになったって意識はなくて、楽しく歌っているって感じでした。「アーティストになる」ってことを意識したのは、初めてライブをしたときかもしれません。自分の前に人がいて、「ああ、私の歌を聞いてくれる人がいるんだ」って。怖さというか責任を感じた瞬間だったと思います。15歳でしたね。
「イーストとウエストの懸け橋になりたい」
――いまは、「夢」を持っていらっしゃる?
はい。まずは…2020年のオリンピックで国歌斉唱することかな。それとは別に、2019年で20周年を迎えるので、その時にいいライブをバンとやりたい。ワールドツアーもしたいですね。最近はいろいろな意味でボーダーの意識は薄れてきてると思っていますが、イーストとウエストの懸け橋になりたいんです。
――その「夢」を実現するために何かしていることはありますか?
韓国でライブをしたいなって思っています。歌謡祭のようなイベントには出演したことはあるんですが、自分でライブをしたことはないんです。私は、アメリカと韓国のハーフですし、もっとライブをしていてもいいんじゃないかって思いますけど、行けていない。なぜだろう。しばらく前に、プロデューサーとそんな話をしていました。日本語、韓国語、そして英語で曲を作って、向こうのアーティストともコラボしたり、とか。そんなところからかなって思います。
――夢に向かって頑張っている人に向けてアドバイスをお願いします。
小さい夢を作ってひとつずつ達成していけば、いつかその夢って叶うと思います。いつもそのことを考えながら動いていると、自然といろいろとつながっていくんです。ユニバースがつながるというか、エネルギーが引き寄せるのかな、進むべき方向だったりすべき選択が分かってくるし、会いたい人にも会えたりする。私もそれをやり続けないいとなって思っています。
――子供のころの夢を教えてください。
ドルフィントレーナー! それとフィギュアスケーターかな。なぜそう思っていたのか思い出せないけど、イルカと一緒に泳ぎたかったのかな(笑)。フィギュアスケーターは、近くにスケートリンクがあって、よく行っていたから。ただただリンクをグルグルまわっていただけですけど。たぶんそれが小学校1年生とかそのくらいのころだったと思います。
――そのころの自分は、どんな子供でしたか?
天真爛漫……だったかな。バーベキューやディナーではパフォーマンスしてましたね、マイケル・ジャクソンとか、ジャネットとか。そういえば、私が一番最初に音楽を口ずさんだのは2歳の時なんです。ベースラインだったらしいんですけど(笑)。
――「アーティストになりたい」と思うようになったのはいつですか?
実は、そう思ったことがないんです。「そうなるものだ」と思っていたから。母は歌をやっていて、父もバンドでベースを弾いていました。だから子供のころからそういう場に連れて行ってもらっていて、私にとって「歌って踊る」のはすごく自然な感じだったんです。
――「こうなるものだ」とは思っていても、何かしないとそうはなれませんよね。
私は本当にラッキーだなって思っているんですけど、4歳のころ、母の知り合いだったCM会社の社長さんが子供の声が必要だからって、使ってもらったんです。そこから、たくさん歌っていくなかで、11歳ぐらいのときに全日空のCMソング(『FLY AWAY』)と『ビタミンウォーター』(『Eternal Memories』)でたくさん問い合わせをいただきました。それをシングルにしてデビューって感じだったんで……。
――そう考えると、「夢がかなった」感覚はもしかして、今もなかったりするのでしょうか?
うーん、夢がかなったかあ…。デビューしたときはアーティストになったって意識はなくて、楽しく歌っているって感じでした。「アーティストになる」ってことを意識したのは、初めてライブをしたときかもしれません。自分の前に人がいて、「ああ、私の歌を聞いてくれる人がいるんだ」って。怖さというか責任を感じた瞬間だったと思います。15歳でしたね。
「イーストとウエストの懸け橋になりたい」
――いまは、「夢」を持っていらっしゃる?
はい。まずは…2020年のオリンピックで国歌斉唱することかな。それとは別に、2019年で20周年を迎えるので、その時にいいライブをバンとやりたい。ワールドツアーもしたいですね。最近はいろいろな意味でボーダーの意識は薄れてきてると思っていますが、イーストとウエストの懸け橋になりたいんです。
――その「夢」を実現するために何かしていることはありますか?
韓国でライブをしたいなって思っています。歌謡祭のようなイベントには出演したことはあるんですが、自分でライブをしたことはないんです。私は、アメリカと韓国のハーフですし、もっとライブをしていてもいいんじゃないかって思いますけど、行けていない。なぜだろう。しばらく前に、プロデューサーとそんな話をしていました。日本語、韓国語、そして英語で曲を作って、向こうのアーティストともコラボしたり、とか。そんなところからかなって思います。
――夢に向かって頑張っている人に向けてアドバイスをお願いします。
小さい夢を作ってひとつずつ達成していけば、いつかその夢って叶うと思います。いつもそのことを考えながら動いていると、自然といろいろとつながっていくんです。ユニバースがつながるというか、エネルギーが引き寄せるのかな、進むべき方向だったりすべき選択が分かってくるし、会いたい人にも会えたりする。私もそれをやり続けないいとなって思っています。
平昌五輪&パラリンピックを盛り上げる「東京2020ライブサイト in 2018」に出演!
12日は井の頭公園へ行こう! クリスタル・ケイさんは音楽ライブで応援
現在開催中の平昌オリンピックの模様の生中継(録画もあり)や、オリンピアンやパラリンピアンによるトークなどさまざまなステージイベント、アーティストによるライブなどが行われる。競技の体験もできる。
クリスタル・ケイさんは、12日(月・祝)に出演する。
イベントは、都立井の頭恩賜公園にて、10~17時まで。入場は無料。飲食などは料金がかかる。
詳細は、イベントの公式ページ https://tokyo2020.org/jp/special/pyeongchang-to-tokyo/livesites/ で。
12日は井の頭公園へ行こう! クリスタル・ケイさんは音楽ライブで応援
現在開催中の平昌オリンピックの模様の生中継(録画もあり)や、オリンピアンやパラリンピアンによるトークなどさまざまなステージイベント、アーティストによるライブなどが行われる。競技の体験もできる。
クリスタル・ケイさんは、12日(月・祝)に出演する。
イベントは、都立井の頭恩賜公園にて、10~17時まで。入場は無料。飲食などは料金がかかる。
詳細は、イベントの公式ページ https://tokyo2020.org/jp/special/pyeongchang-to-tokyo/livesites/ で。