Notice: Function _load_textdomain_just_in_time was called incorrectly. Translation loading for the all-in-one-seo-pack domain was triggered too early. This is usually an indicator for some code in the plugin or theme running too early. Translations should be loaded at the init action or later. Please see Debugging in WordPress for more information. (This message was added in version 6.7.0.) in /home/newthl/www/tokyoheadline/wp-includes/functions.php on line 6114
COLUMN | TOKYO HEADLINE - Part 20
SearchSearch

長島昭久のリアリズム 国家と安全保障を考える(その八)

2015.08.10 Vol.648

 靖国問題を完結させるにあたり、私の解決策を提示したいと思います。まず断っておかねばならないことは、私は「東京裁判史観」には立たないということです。東京裁判は事後法に基づくものであり、罪刑法定主義に反しています。インドのパール判事が喝破したように、これは勝者によって一方的に敗者が裁かれた正当性の疑わしい裁判です。よって、私たちがA級戦犯だとか、B級、C級などという分類に振り回される必要はありません。靖国問題の解決策として「A級戦犯分祀」という議論がなされますが、次はB級、さらにC級へと波及してしまうに違いなく、意味を見出せません。

 私は、少なくとも満州事変以降、国策を誤り、国際秩序から大きく脱輪して行った戦争の指導者は、軍人であれ文民であれ、靖国神社にお祀りする理由はないと考えます。私はことさらその指導者たちの失敗を咎めようというのではありません。戦争を指導して兵士を戦地に送った高位高官は基本的に畳の上で亡くなっています。畳の上で亡くなった人々は靖国神社に祀られないのが原則です。「昭和殉難者」の中には、軍人でもない廣田弘毅元首相や松岡洋右元外相ら、本来は靖国に縁もゆかりもない文民までが紛れ込んでしまいました。

 ですから、前回紹介したように、厚生省からA級戦犯の祭神名票が靖国にわたった時、当時の筑波藤麿宮司は、「戦争指導者を靖国に祀ることは明治以来の靖国の伝統を壊すことになる」と考え、合祀を見合わせました。同時に、そのまま放置するのも忍びないということで、日本に関わる戦争で命を落とした方々の魂を「怨親平等の精神」に則り敵も味方もおしなべてお祀りしようと「鎮霊社」を建立し、昭和殉難者をそこに祀ったのです。

 私は、ここで、国家のために命を捧げた方々をお祀りするという国家的事業を一宗教団体に丸投げしてきたことの異常さについて、改めて問題提起したいと思います。戦後70年を経て、過去幾度か試みられて挫折した靖国の「国有化」を今一度真剣に模索すべき時が来たのではないでしょうか。そもそも宗教法人への国会の介入は憲法上禁じられていますので、現状のままでは、どの方をお祀りするかは靖国神社に委ねるほかなく、その意味では「分祀論」も机上の空論に過ぎません。国有化のプロセスに入って初めてどなたを慰霊対象とすべきかについて国会の慎重な審議に付されることになるのです。その暁には、きっと1975年(昭和50年)以来果たされていない天皇陛下「御親拝」を実現することができると確信しています。
(衆議院議員 長島昭久)

広告PRのスペシャリストが考察 「いかすぜ日本」~クールなJAPANを世界に売り込もう!vol.2

2015.08.09 Vol.648

 皆さん、暑いですね~!連日の猛暑、熱帯夜で大変でしょう。今回は季節柄、涼しいトピックにしました。「いかすぜ、日本の滝!」です。

 小生は滝が大好きです。機会さえあれば、滝を訪れ、安全を確認し、気合を込めて入ります。自分にとっては浄化と祈りの行為ですが、同時に楽しいです。時に凍えるほどに酷寒ですが、生き返った気分になります。また、猛暑の季節にも、最適のリフレッシュ活動です。ちなみに滝の語源は「滾つ(たぎつ)、激つ(げきつ)」。また、滝が多い三重県には「多気(たき)」の地名もあり、「気」との関係が伺えます。やはり自然現象として激しく漲る水には神秘的なパワーがあるのです。

 自分の「滝好き」は兄の影響です。彼はパリの大学で文化人類学を教えています。年齢は15歳離れていますが、子供のころ、毎年夏休みに帰郷する兄に連れられ文化的拠点を中心に日本列島を広く旅しました。そこで、仏教徒でもある彼は、滝を見ると季節を問わず、入って祈るのです。「付いていきたい」の一心で僕も参加しました。それが病み付きになりました。まあ、当時は「祈る」とか「滝行」というより、遊びでしたね。特に夏などは、大はしゃぎです。気が付いたら、ずっと滝を求める生活をしています。

 滝行は日本の伝統文化といえます。真言密教、修験道、神道などの行事として定着しています。根幹にある思想は自然界のいたるところに宿る神を拝み敬う。その最たる象徴が滝なのでしょう。言い換えれば、日本列島における最古の「崇拝の場」は「滝」なのかも知れません。また、宗教的な意味合いの延長線で、昔も現在も多くの方々が観光として日本中の滝を楽しんでいます。栃木の「華厳の滝」、熊野の「那智大滝」、茨城の「袋田の滝」は日本の3大名瀑と呼ばれており、毎年数千万人が訪れています。世界遺産の熊野は滝の宝庫で平安時代から巡礼と称した観光が盛んでした。「蟻の熊野詣で」と称したくらい、江戸時代には日本中から多くの人々が那智の滝を目指して訪れていたようです。でも、このような名瀑は自分には向いていません。滝行が「規制」されているからです。祈りの一環として滝に入るのが、従来の目的であるのに、そんなことをしたら「始末書」を書かされたり、警察を呼ばれたりします。うんざりです。滝をエンジョイする際には管理体制に気をつけましょう!

 海外の方々が日本を訪れ、よく驚かれるのは自然の豊かさです。近代日本のイメージは「都会」なのでしょうが、実は日本の七割が山岳地帯であり、豊かな自然にあふれています。それがゆえに、雨量が多く、山々が連なる日本列島は滝の宝庫なのです。ただし、滝を求めて旅すると素晴らしく整備された林道に驚かされます。ほぼどこでも容易にアクセスできるのです。

 そこで提案です。古代から滝を拝み、はたまた楽しんできた日本列島の住民に学び、海外からの観光客の皆様にも滝めぐりを通じて日本の自然を満喫して頂いたらいかがでしょう? インバウンド観光客が本年度には1800万人に達します。最初はどうしても観光の内容が都会中心になりがちですが、リピート客を狙うなら自然と文化の融合企画がもってこいだと確信します。観光庁やJTB、近畿日本ツーリストなどがタッグを組んで滝観光を世界にアピールしましょう! 滝は海外にも通用する立派な日本の観光資源なのです。

大谷ノブ彦 カタリマス!(裏) 第47回 70年目の原爆の日に思うこと。

2015.08.07 Vol.648

 広島、そして長崎に原爆が投下されてから70年目を迎えました。黙とうを捧げ、犠牲になった方々に心を寄せながら、思うんです。自分はその思いを自分のなかに留めておくんじゃなくて、外に伝えていかないとって。それが僕の仕事じゃないかって。戦争反対。それだけは伝えていきたいんです。

 70年前に起きたこと。現在もアメリカでは6割の人が原爆投下は正しかったと考えているという話を聞いたことがありますが、それってどうなんだろうって思わずにはいられません。

 こういう話をすると、パールハーバーであったり、日本が他の国にしたことについてはどうなんだ、という議論になりがちですが、それって水掛け論でしかないんじゃないかな。もちろん、悪いところがないわけじゃないと思う。当時の日本が戦争を始めたということ、それ自体についても思うところがあります。ただ、そういう細かいこと、広がったことを考える前に、もっとシンプル、簡単でいいんじゃないですか。爆弾を落とすこと、命を奪うこと、そういうことをしていいのか悪いのか。そこを考えたい。

 そのためにも戦争を知ることが大切です。僕自身、どうやって戦争に触れてきたかといえば、記念館を訪れる、語り部の方たちにお話しを伺うというのもそうですね。それと、黒澤明監督の映画もあります。それをきっかけに自分で調べたりして、緩やかに自分の中に入れてきたように思います。その蓄積された情報をもとに、戦争について考え続けているんだと思います。僕には息子がいますが、彼もまた関心を持って同じように緩やかに情報を入れていってくれたらなと思います。僕や誰かが正しい、間違ってるって言うのではなく、彼自身で積み重ねて行ってほしい。僕はそれを見守りたいと思っています。


 原爆の日。記念式典が行われましたが、ふと思ったことがあります。厳かな式典とはまた別に、あのころできなかったであろう楽しいことをやる、やってやろうっていうイベントっていうのもいいんじゃないかって。それに参加しながら、当時のこと、その時代を生きた人たちのことを思う。そういうのをね。……日本でやるだけじゃなくてさ、これだったらアメリカでもできるんじゃないかな。そんなことも考えました。

大谷ノブ彦 カタリマス! 第15回 ベタなことをやって夏休みを回収したい

2015.07.27 Vol.647

 世の中はもう夏休み。喜んでいる人がほとんどだろうけど、なぜかうちの息子はそうでもないようなんですよ。学校が好きなのかな、休みはつまらないみたいなんですよね。

 僕の場合、『キキマス!』が月〜木でありますし、週末は夏フェスがあります。8月には舞台『テイラー・バートン〜奪われた秘宝〜』も控えていますし、なかなか夏休み気分は味わえなさそうなんですが、できることならば、夏休みっていえばこれだよねっていうベタなこと、いつも以上にベタなことをしたいって思っています。

 いろんなことがあるんでしょうけど、僕は家族がいるので家族でよりベタなことをやりたいんですよね。というのも、この間、家族で動物園に行ったんですけど、カミさんにすごい言われたんですよ。「一生懸命お父さんやってるね、すごい無理してる」って。お父さんをやるのが……下手なんだろうなあ。異常な行動力というか、人のことを考えていないというか、家族をおいて1人でスタスタ歩いて行っちゃう。だからね、多くの人がやっていることをやってみたいなって思うんですよ。バーベキューとかね。一緒に出掛けたり、カルピスを作って一緒に飲むだとか、キャッチボールをするだとか。もっとボール遊びができるところ、あるといいのになって思います。本当にできるところが少ないですよね。まあ、今は足が骨折してますから、フォームについてアドバイスぐらいしかできないんですけどね……。

大人になると、無駄なことというか必要じゃないことを行動に移すことは億劫になりがちです。僕がこういうベタなことをしたいのも、きっと息子がいるから。それにベタなことをすることで、自分ができなかった夏休みの過ごし方を回収したいっていうのもあるかもしれないですね。

 自分が親ではなく子供だったらどんな夏休みを過ごしたいか?……そうだなあ、釣りがしたいですね。海でも川でもいいんだけど、誰かに釣り方を教えてもらってね。

さて『キキマス!』では、夏休みを盛り上げていきます。いろんな夏の過ごし方、お聞きしたいですね。一緒に楽しめることも考えていますのでお楽しみに。

小池百合子のMOTTAINAI
新国立競技場 平成版「空気」の研究

2015.07.27 Vol.647

 梅雨が明けたとたんに、永田町の「空気」に変化が生じています。各種世論調査では、安倍政権不支持が支持を上回るものも出てきました。

 安全保障関連法案での衆院採決に加えて、新国立競技場問題、直接政治には無関係ですが、名門企業・東芝の利益水増し経理問題などが相まって、暗雲が立ち込めてきたといった感じです。

 安保法制については、ありがたいことに戦後70年の長きに渡って、国内の平和を享受できたものの、それゆえにテーマそのものへの拒否感が強い。ミサイルだの、軍艦だのといったハードな言葉を聞いただけで耳を塞いでしまうため、なかなか国民の理解が深まらないのが現実です。

 どう考えても、安保法制を実施した場合、リスクは高まると考えますが、安倍総理などの答弁で「リスクは別次元」と言い切ってしまっては国民の不信がかえって募るものです。むしろ、率直にリスクについて語り、わが国の現状、今後のあり方を論じることが、国民の理解につながると思います。

 安保法制審議もいよいよ参議院に舞台を移しますが、与野党ともに「良識の府」を体現してほしいものです。
 日本人にはイメージしにくい安保法制と違って、2500億円もの建築費が必要な新国立競技場問題はとても分かりやすいテーマです。当初の予算、1300億円だけでも「高い!」と思われていたのに、その2倍と聞けば、批判の的となるのは自明の理でした。

 何よりも五輪選手の強化費にしわ寄せがいくとなっては合点がいきません。仏よりも仏壇にお金をかけることになるではありませんか。安倍晋三首相がようやく「ゼロベースでの見直し」を決めたものの、遅きに失した感があります。
 冒頭、「空気」と表現したのには、昨今の様々な問題には、山本七平氏が記した『空気の研究』を思い出したからです。曰く。「『空気』とはまことに大きな絶対権をもった妖怪である」と。「専門家ぞろいの海軍の首脳に、『作戦として形をなさない』ことが『明白な事実』であることを、強行させ、後になると、その最高責任者が、なぜそれを行ったかを一言も説明できないような状態に落とし込んでしまう」。

 東京へのオリンピック・パラリンピック誘致の際は、誰もが誘致成功の手柄を競い合ったのに、今や責任の所在が不明です。東芝問題も過去の経緯が洗い出されつつありますが、得も言われぬ社内「空気」の支配があったのでしょう。
「空気」という妖怪に惑わされないためにも、自己を確立し、現実と将来をみる的確な情報入手と理解が欠かせません。そろそろ日本の空気症候群から脱皮したいものです。      
(自民党衆議院議員)

ノッポン弟オススメ! from TOKYO TOWER
TOKYO TOWER HIGHBALL GARDEN ROOFTOP ジンギスカン

2015.07.26 Vol.647

 毎日暑いけど、みんな元気? 東京もいよいよ梅雨が明けて、本格的な夏がやってきたね。お兄ちゃんは毎日冷え冷えのハイボールを飲みたいって言っているよ。そんな願いを叶えてくれる場所が東京タワーにオープン!

 その名も「TOKYO TOWER HIGHBALL GARDEN ROOFTOP ジンギスカン」。なんと東京タワーでは初めて、フットタウンの屋上スペースにジンギスカン・ガーデンができたんだ。ライトアップされた東京タワーの塔脚の内側に位置する屋上スペースは、東京タワーの鉄骨の迫力と美しさ、ライトアップの優美さを間近に体験できる、知る人ぞ知る穴場スポット。メインメニューは、1962年のマザー牧場創業以来の伝統の味で、人気№1のジンギスカン。それを秘伝の自家製ダレで食べるとほっぺたが落ちちゃいそうなおいしさ。ラム肉だけじゃなく、牛肉、豚肉のほか各種野菜も食べ放題!

 飲み放題ドリンクも「角ハイボール」はもちろん、生ビール、赤ワイン、ソフトドリンクを取り揃えているほか、東京タワーのライトアップをイメージしたオレンジ色のオリジナルハイボール「東京タワーハイボール」なども用意。さっぱりした味わいでとっても美味しいよ。北海道ザンギなどのアラカルトメニューも超おススメ。ジンギスカン・ガーデンで暑い夏を乗り切ろう!

江戸瓦版的落語案内 Rakugo guidance of TOKYOHEADLINE 悋気の火の玉(りんきのひのたま)

2015.07.26 Vol.647

 浅草は花戸川の鼻緒問屋・立花屋の主は、堅物を絵に書いたような人物。しかしある夜、仲間に強引に誘われて吉原へ行ったら、すっかりはまりこんでしまった。しばらくすると廓通いをするよりも、気に入った花魁を身請けして、妾にする方が安上がりと算盤を弾き、早速根岸に妾宅を作って住まわせた。最初は花戸川の本宅へ月に20日、根岸の妾宅に10日が行動パターンだったが、妾ができたことを知った本妻が不貞腐れて始めた。主が「お茶を入れてくれないか」というと「お茶?私の入れたお茶なんか美味しくないでしょ、フン」「嫌な言い方をするね。じゃ、飯の支度を頼む」と言うと「私のお給仕なんかじゃ美味しくないでしょ、フン」と何を言っても邪険にされる。そんなことをされるうちに段々本宅から足が遠のき、20日が妾宅、10日が本宅と逆転してしまった。それがますます気に入らない本妻はついに、根岸の妾に見立てた藁人形を五寸釘で杉の木に打ち付け呪い始めた。その噂を聞いた妾は大激怒。「私が頼んで旦那に来てもらっているわけじゃなく旦那が私に惚れているんだ! そっちが五寸釘なら、こっちは六寸釘だ!」とこちらも丑の刻参りを始めるしまつ。そのかいあって(?)、本宅の妻も根岸の妾も同日、同時刻にそろって急死してしまった。結局旦那は1度に2つの葬式を出す羽目に。ところが初七日を過ぎると妙な噂が。毎晩立花屋の蔵から陰火が上がり、根岸の方に猛スピードで飛んでいくという。さらに根岸でも陰火が上がり、花戸川の方へ。その2つの火の玉が中間の大音寺でカチーンとぶつかり合い、火花を散らし死闘を演じていると。そんな噂が広まると店の信用にもかかわると、谷中の木蓮寺の和尚でもある伯父にお経を上げてもらい、2人の魂を成仏させてもらおうと現地に行くと根岸から陰火が上がり旦那に向かってフワフワと近づいてきた。「お前の気持ちも分かるが、ここはなんとか成仏してもらって…。ちょっと一服したいから、火を貸しておくれ」と、火の玉で煙草に火を点け吸いながら説得していた。すると花戸川からも火の玉がすごい勢いで旦那のところで飛んできた。「お前にもぜひ謝りたいと思っていたのだよ。腹も立つだろうがそこは穏便に…。ちょっとまた一服させておくれ」と妻の陰火にキセルの先を近づけると火の玉はスっとよけて「あたしの火じゃうまくないでしょ、フン」

脱こじらせへの道第3回 女性のセックスは「イク」ことがゴールではありません

2015.07.24 Vol.647

 さて、今回は『「一人エッチでならイケるのに……」セックスでイッたことある?』というアンケートをもとに「こじらせ」からの脱却の道を探ってみたいと思います。

「一人エッチでならある」という人を加えると約7割がイッたことがあるとのことでした。
 まず前提として、この数字を見て「えっ? こんなに?」と感じた人もいるかもしれませんが、この数字は自己申告ですので、少し多めに出ていると思います。
 またこのアンケートに答えようと思った段階で、ある程度「イク」「イカない」ということを意識してセックスやオナニーをしていると思うので、大前提として、「ある」という答えが多く出るということは予想していました。この数字を見て「私は少数派なのか…」というふうには思わないでください。ファッション誌なんかでこの質問を投げたら多分もっともっと少ない数字になるはずですので。

 一言で「イク」と言っても、男性の場合は射精という非常に分かりやすい形がありますが、女性の場合、基準は人それぞれ。7割の人の中でも、その状態は千差万別です。そもそも「イク」「イカない」についてよく分かっていない人が大多数だと思います。
 また、「イク」「イカない」という会話の中で、「イッたことがない」という人は多分ホントにイッってないんだと思います。
「これが多分イッたってことなのかな?」という人は怪しいです。本当はイケてないのに、頭の中で勝手に「イケた」と変換しちゃってる可能性があります。

 アンケートの答えの中に「イケてなくて彼氏に申し訳ない」という答えがあったのですが、これはセックスに対して女性が主体的になれていないという証拠だと思うんです。
 まず男性ありきで、「彼氏がイッてほしがっているから、イカなきゃ悪いな」とか「相手が気にするからイケるようにならなきゃ」とか。

 でも、先ほども言ったように、男性には射精というゴールがありますが、女性はそれがない。たとえば、セックスをパートナーとのコミュニケーションのひとつだと思えば、セックス自体で「イク」「イカない」はそんなに重要ではないって思いませんか?。
 だって会話って必ずオチがなきゃいけないってことはないですよね。そう考えるとセックスも必ずイカなくてもいい。
 つまりセックスにおけるゴールが男女では違うので、必ずしも男性に合わせることはないんです。セックスにおいては男性のゴール=女性のゴールではありません。

「こじらせ」という観点でいうと、「イケる」人の中にも「イケない」人の中にも、こじらせは存在します。

 よく「セックスでイッたことがない。イッてみたいし、イキたいんだけど…」と考える人がいますが、「イク」って先天的にイケちゃう人と、「相手に開発されてイケるようになった」というようにある程度練習みたいなものが必要な人もいます。肉体的な問題もあれば、精神的な問題もあったり、それに、体質的にイケない人というのもいます。
 いずれにせよ、ある程度の努力はしないといけないにしても、「イクための努力」ってなんだか違和感ありませんか?
 彼が好きなの? それとも、ただただオーガズムを得たいの? 何のためにイキたいのか、目的がわかりませんよね。自分で自分のゴールを決めつけて迷走している。

 ただこの場合、「俺のセックスで女はイッて当たり前」と思っている男性が相手の場合だと、本当に厄介です。
 男性には是非、女性のオーガズムには色々あるということと、自分のテクニックが完璧ではないことを、理解していただきたい。

 反対に、「イケる」人の中では、いかに自分がイケるかということを語ってしまう人がいますが、それはちょっと気持ち悪い。イクことにこだわりすぎです。セックスにおいて、「イッていることだけで満足している」のであれば、それは果たしていいセックスだと言えるでしょうか?
 もし「イク」ことだけに重点を置いているのであれば、一度自分のセックスと、相手と、関係性を見直したほうがいいかも。

 イケる人は当たり前にイケるものだと思っているようです。一方、イケない人は自分だけイケてないのかと思っているようで「私おかしいのかな?」とか「イケるようにならなきゃ」とか悩んでいるのかもしれないですが、悩む必要はないんです。
 考えることはいいんですが、悩まなくてもいいことに悩むのはばかばかしい。悩んでもしようがない。
「いつかイク時もあるんだろう」くらいに思っていればいいんです。
 何度も言いますが、女性のセックスの場合はイクのが最終形ではないので、男に合わせてイカなきゃいけないということはありません。

「イク」「イカない」の話をしていて、イケてない私は少数派なのかと思ったら、実はイケてるほうが少数派だったということもあります。

「イク」はセックスの延長線上であってもいいし、なくてもいい。
 そう考えると「別にイケなくてもいいか!」はこじれてないと思いますが、「イケない。どうしよう」とうじうじするのはこじれ、ということになるのではないでしょうか。

大谷ノブ彦 カタリマス!(裏) 第46回 今年の夏フェス、DJ ダイノジはちょっと違う…かも?

2015.07.23 Vol.646

 3連休も終わり夏休みシーズンに入りました。それと一緒に、各地で夏フェスも始まってます。ダイノジ20周年っていうのもあるし、僕もたくさんの夏フェスに出演させていただきます。

 その一発目となったのが20日に台場であった『アフロの変フェス』。僕とレキシの池ちゃんでやってるフジテレビ『アフロの変』(毎週木曜25時25分〜)の公開収録だったんですけど、これが本当にいいイベントだったんですよ。

 何が良かったかっていうと、それはいろいろあるんだけど、℃-uteですね。よっぴー(ニッポン放送の吉田尚記アナウンサー)が言ってたんだけど、℃-uteってさ、変わった振りつけっていうか、最初見た人は笑っちゃうような感じがあるんですよ。でもそれが、だんだんカッコよく見えてきてスタンダードになって、そしてライブの鉄板曲になっちゃう。それが本当のポップスなんだって。変なものとしてインパクトを与えていたものが大衆化する。2000人が彼女たちを平等に楽しんでいる……変なものを愛すっていうか、これもいいじゃんって言い合うようなフェスだったんです。それと、℃-uteのファンがどんなグループのパフォーマンスでもすごい盛り上がっていたのにもグッときました。骨折した足を引きずりながらステージを降りて、一緒になってオイコールをしたり、ハイタッチしたりして。℃-uteのファンで良かったって思いましたね。
 

 ちなみに、このイベントではギターまで弾いちゃいました。かじった程度ですけど高校時代にバンドでギターをやってたんですけどね、その日はとにかく練習して臨みました。池ちゃんがしないっていうんでリハーサルもしなかったので、見てくれた人は、それもまた「変なもの」として楽しんでくれたんじゃないかなって思いたいです。

 変だけどいいじゃない、みんな違っていいじゃない。それって、このイベントや番組だけじゃなくて、これから自分がいろいろやっていくなかでのテーマ、人生のテーマでもあります。受けること、盛り上がることばかり考えてやってきたけど、そうじゃなくて、いい曲さえかけていれば俺たちは大丈夫。変なDJでいいじゃないって思うんですよ。

 夏フェスシーズンも本番。DJダイノジも、ロック・イン・ジャパン・フェスティバル、サマーソニック、そして秋のマグロックやフジソニックまでたくさんのフェスに出演します。これまでのDJダイノジを知っていてくれる人がいたら、これまでとはちょっと違う?って感じてもらえるかもしれないですね。

大谷ノブ彦 カタリマス!(裏)
第45回 一杯の立ち食い蕎麦。

2015.07.15 Vol.646

 ここのところ、立ち食い蕎麦に通っています。前から立ち食い蕎麦は好きなんだけど、足を骨折して動きづらいっていうのもあって、立ち食い蕎麦に落ち着いちゃってるんですね。腹が減っている。何か食べたい。いつもの店に行こうかなって思っても、この足では少し距離がある。そんな時に、あたりを見回すと必ずあるんですよ、立ち食い蕎麦が。

 先日、久しぶりに降りた桜木町でもそんな感じで、ふらっと立ち食い蕎麦屋に入りました。ただ、これが衝撃的な出会いだった。全部、自分の好みの店だったんです。

 店は、桜木町の駅構内にある川村屋。「そば」「うどん」と文字が並んだ店先に、もうひとつ…「青汁あります」。さっそく注文を通そうとしたら、青汁は別のカウンターがあるっていうんです。青汁を出す店も初めてなら、別のカウンターがあるとは。そして「はーい」って出してくれた青汁が、ドロドロの生の青汁。これがね、体にめっちゃいいだろうなって味なんですね。蕎麦は、かつおだしの優しい味。いなりずしにはごまも入っている。…うまい。人気メニューは「とりそば」で、煮込んだ鶏肉が入ってるんですよ……やるじゃない、と。

 川村屋さん、明治33年(1900年)にもともとは西洋食堂として始まったそうなんですね。駅周辺の開発があって店舗も移転したりするなかで蕎麦屋に専念。この115年の間にはいろんなことがあって、時代も変わっていくなかで、それに合わせて変化しながら、今もおいしいお蕎麦を出し続けているんですよね。蕎麦をすすりながら、青汁を売ろうとしたときもそんなもの売ったって、なんて反発もあったんじゃないだろうか、いなりずしのごまだってコストが高くなりますよ!なんて意見もあったんじゃないだろうか。それでも、お客さんの健康を考えて……なんて、考えを巡らせていたら、涙が出てきちゃいました。

 その日は本当にお腹が空いていたんで、もう一杯、かけそばを食べようかと思ったんですが、もう無理。泣いている松葉杖の男が「かけそば、もう一杯」なんてシュールすぎるでしょう。一杯のかけそば感がすごいしね。

 この話、13日の『キキマス!』で話したんですが、そしたら反響がすごかった。川村屋さんに行っているっていう話もあったし、おらが村の立ち食い蕎麦話とか止まりませんでした。

 骨折は全治1カ月といわれています。僕の何度目かの立ち食い蕎麦ブーム、しばらく続きそうです。

【新連載コラム】広告PRのスペシャリストが考察「いかすぜ日本」 ~クールなJAPANを 世界に売り込もう!

2015.07.13 Vol.646

 皆様こんにちは! 今日からこのコラムを担当するベッシャーです。毎月、日本の「いいとこ」を世界にアピールするテーマでいろいろ考えて行きたいと思います。まず、その前にちょっと自己紹介。

「お客さん、日本語うまいね~」。タクシーに乗るとバックミラーを通して必ず言われます。外国人客だと思っている運転手さんが、流暢な日本語に驚くのも分かるけど、正直疲れます。自分は日本生まれ、日本育ち、日本国籍なのですが、皆さんのリアクションはいつもこんな感じです。

 出身は山と海に囲まれた国際的な街、神戸です。両親は戦後、中国から日本に移住したロシア系の難民でした。父母ともに無国籍だったので、日本の国籍法のおかげで、小生は帰化せずに日本人と見なされました。考えてみると確かに日本人の定義は法律であり、外見ではないのですね。

 家庭環境はロシア文化でしたが、学校は中学まで日本の公立に通いました。友達も大勢いて、楽しかったな! その後、14歳で渡米。高校、大学、大学院とアメリカで教育を受けました。英語は最初、とても苦労しましたが、今は仕事やプライベートで使ってます。日本でも、アメリカでもよく「外国人」扱いされ、苦い経験もありますが、いつからか開き直って、自分のユニークな生涯を楽しめるようになりました。

 日本は大好きです。特に自然豊かで、山々に囲まれた原風景がすばらしいと思います。国民も素敵。皆さん、基本的に礼儀正しくて、人を思いやる心が豊かだと思います。仕事柄、いろいろな国を旅しましたが、日本の自然と国民性は最高。世界遺産にしてもいいくらいだと思いますよ。文化庁はUNESCOに申請しないのかな?

 では、本題に入ります。今日のテーマは先のオリンピック招致ですっかりおなじみの「お・も・て・な・し」です。その語源には諸説がありますが、僕が好きなのは「表裏無く、相手を思いやる言動」とする考えです。古代から平安時代までは、態度や感性を意味していたそうです。中世の日本列島に交通網が発達し、多くの人々が伊勢や熊野詣をするようになったころから、客を「持て成す」概念として定着します。あの源氏物語にもいろんな場面で「持て成し」についての批評が表現されています。また、千利休の「茶の湯」はそれを極めた形式です。亭主と客が茶と空間を共有し、心を通い深めていく。すばらしい伝統が形成されていきました。

 このような誇るべき思想だからこそ、世界でも「御もてなし」がそのまま日本語で通用するようになってきたのだと思います。最近パリを旅行した際にも、日本のおもてなし精神を高く評価するフランスの文化人に驚かされました。

 そこで提案です。この誇るべき日本の精神を近隣諸国との外交政策に取り入れてはいかがでしょうか? 最近なにかと刺々しい東アジア情勢が続いていますが、隣国をあえて無条件の話し合いに招いて、「表裏無しで」持て成す。相手の立場を考慮し、相手を思いやる。親切を尽くす。そこで新たに得られた理解を政策や条約に反映させる。これぞ厳しい状況打破を実現する「いかすぜ日本」じゃないですか? ノーベル平和賞絶対ですよ。日本を世界に売り込み、事態を有利に運ぶ英知に他なりません。「??的自衛権」より、はるかに確実に平和と繁栄をもたらす施策でしょう。

 これからは、世界を魅了する「お・も・て・な・し」精神をぜひ外交に生かして頂きたいですね。

Copyrighted Image