このコーナーでは愛犬ポータルサイトワンダホーのフォトコンテストに応募されたかわいい犬の写真を毎日ご紹介。
コラムカテゴリーの記事一覧
世界中の親子に観てもらいたい、映画ドラえもん「のび太の新恐竜」【黒田勇樹のハイパーメディア鑑賞記】
こんにちは、黒田勇樹です。
とりあえず、この猛暑の前に芝居が終わっていてちょっとホッとしている今日この頃です。
新型コロナで換気は良くしなきゃいけないんだけど、それだと冷房が効かないってどんな罰ゲームすか!
とりあえず皆さん、熱中症にはお気をつけて。
来週から始まる「シーボルト父子伝」も宜しくお願い致します!
今週は鑑賞記です。
【ひめくりワンダホー】めるもちゃん(7歳2カ月)
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【ひめくりワンダホー】福助くん(1歳7カ月)
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徳井健太の菩薩目線 第70回 「コロナがルールを変えることで、テレビはきっと面白くなる
“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第70回目は、「コロナがルールを変えることで、テレビはきっと面白くなる」、独自の梵鐘を鳴らす――。
幕末とコロナ:激動の時代の人づくり【鈴木寛の「2020年への篤行録」第82回】
さる7月4日、慶應大学総合政策学部 鈴木寛研究室と山口県萩市が地域おこしと人材育成を連携して行う連携協力協定を結びました。
今回のコラボレーションにより、地域おこしの連携や、実践する人材の育成について、萩市の皆さんと一緒に行うことになりました。その第一弾として、萩市内の高校の魅力アッププロジェクトを開始します。具体的には、すずかんゼミが萩の高校生の探究学習を支援させていただきます。
調印式は世界遺産にもなっている松下村塾にて、私と萩市の藤道健二市長が出席して執り行われました。調印式には市内に3つある高校の校長先生もご出席いただき、早速今後について意見交換もさせていただきました。
私の人づくりの人生は通産省から山口県庁に出向していた1993年から1995年までの2年間、20回、この松下村塾に通ったことから始まりました。すずかんゼミの、そして私が教育をライフワークに定めた原点がここにあります。この日を迎えられて、感謝、感激でした。
初めて松下村塾を訪れた日の記憶はいまでも鮮明です。まず驚いたのはその規模。わずか八畳と十畳の二間しかないのです。そんな狭い平屋建ての茅葺小舎に、延べで92名の塾生が学んでいたのです。もうひとつ驚きなのは、吉田松陰が松下村塾で教えていたのは、実家で身近な人たちに教えていた期間を含めても、実質2年ほどしかなかったことです。
こぢんまりとした小屋で、わずかの期間にどのような教育をしたから、高杉晋作や伊藤博文のような偉人たちを輩出できたのか、私の人づくりへの探究心がむくむくと芽生えていきました。松蔭に関する書籍、それこそ山口でしか手に入らない貴重な文献を含めて読み漁るうちに印象的だったのは、現代の学校教育と比較しても実に先進的な取り組みをしていたことです。
一つだけ挙げると、まさに今で言うアクティブラーニングの考え方だったといえます。大河ドラマで、高杉たちが「豊臣秀吉とナポレオンが戦ったらどちらが強いか」で論争するシーンが描かれていましたが、実際の松下村塾も議論を重視していました。当時の寺子屋や藩校は先生が書物の知識を一方的に教えることが普通でしたので実に画期的でした。
幕末・維新から150年余。既成概念がひっくり返る中で、時代を切り開く人材の育成が求められている点で、コロナ禍の現在とも共通します。まずは松下村塾の御恩に報いるため、萩の高校生に恩送りしたいと思います。萩から日本中、世界中の同士と共に教育維新を胎動させていきます。
(東大・慶応大教授)
動物病院に飼い主さんが連れてくる犬の怪我って?
家族の一員として毎日の生活に彩りを加えてくれるペットたち。飼い主は、大切な彼らが元気で安全に暮らせるように、つねに気にかけることが必要です。気を付けるポイントを、動物病院の看護師みるまめさんが教えてくれます。
イージス・アショア配備計画「撤回」の意義(中)【長島昭久のリアリズム】
前回の最後で、「河野決断」の第二の意義は、抑止力をより確実なものとするための「反撃力」保有の議論を喚起したことにあると述べ、それは我が国戦後の安全保障戦略を根本的に転換する可能性があると指摘しました。ならば、その効用と正当性につき、国内的にも対外的にも説得力ある説明が必要です。
最大の効用は、抑止力の強化です。抑止には、①報復により耐え難い損害を与えることで相手に攻撃を思いとどまらせる「懲罰的抑止」と、②相手の攻撃的行動を物理的に阻止する能力によって攻撃そのものを無力化する「拒否的抑止」があるとされます。また、②の拒否的抑止は、弓矢にたとえると、②a.射手をターゲットとする「積極的な手段」と、②b.飛んでくる矢を払いのける「受動的な手段」とに分けられます。我が国のミサイル防衛はもっぱら②b.に徹し、それ以外の①や②a.は米国による拡大抑止に委ねてきました。
ワシントンやニューヨークに届くICBM開発に成功しつつある北朝鮮のミサイル脅威の動向次第では、米国が本土防衛で手一杯になり、日本を射程に収める数百発のノドンやスカッドERなど中距離ミサイル排除を後回しにせざるを得ない状況も視野に入れておく必要があります。その場合、北の飽和攻撃や奇襲攻撃に対し、受動的な②b.能力だけで十分であると果たして言い切れるでしょうか。
ただし、①の懲罰的抑止は相手国の大都市や人口密集地への大量報復攻撃(通常は核兵器を使用)を行うもので、我が国が取り得る現実的な手段とは到底言えません。また、②a.についても、移動式発射機(TEL)から放たれる北のミサイルを適時に探知、追尾し、肉薄して精密攻撃を行う能力を保有するには膨大なコストを要することから、これも現実的な選択肢とは言えません。
我が国が新たに保有を検討すべき抑止力は、弓矢のたとえでいうと、「射手を支援」する関連施設―たとえば、滑走路や指揮通信施設、戦闘機等の格納庫や弾薬庫、燃料タンク等―を確実に無力化しうる能力だと考えます。これが、俗にいう「敵基地攻撃能力」です。もちろん、我が国が先制攻撃を行うことはありませんから、相手の攻撃の着手を感知した時点でこの能力を発動するとすれば、これはまさしく「自衛反撃能力」(佐藤正久参議院議員)というべきものです。
このような自衛反撃能力の保有であれば、「誘導弾などによる攻撃を防御するのに、他に手段がないと認められる限り、誘導弾などの基地を叩くことは、法理的には自衛の範囲に含まれ[る]」とした昭和31年の鳩山内閣答弁とも合致し、かつ、その反撃対象が相手国の軍事施設に限定されることからも、「性能上専ら相手国国土の壊滅的な破壊のためにのみ用いられる」と定義され、憲法上保有が許されないとされてきた「攻撃的兵器」にも当たらないものと考えます。(「下」に続く)
(衆議院議員 長島昭久)
【ひめくりワンダホー】むくもくん(11歳5カ月)
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【ひめくりワンダホー】あいちゃん(2歳8カ月)
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GENERATIONS 関口メンディーの「メンディーのコラムンディー」第11回 涙腺の話
突然ですが、皆さん最近いつ泣きました?”泣いた”っていうのは、
女子高生とかがよく使う「電車乗り過ごして、学校遅刻してしてまじ泣いた」みたいな
テンション下がったレベルのそれではなくて、
もう涙袋の上から溢れんばかりに涙がこぼれ落ちるレベルのやつ。
何故この話をしようかと思ったかというと僕自身、最近涙腺がユルユル過ぎて、、、笑
もう崩壊しちゃってると思う、あれは。年齢的な部分もあるんですかね?
メンバーとかにも、メンさん変わってるとかサイコパスみたいなことを言われるんですけど、
自分自身、小さい頃から感情を表立ってめちゃくちゃ出す方ではなかったし、
必要な感情が多少欠落していたような部分もある気もする。
小さい頃から少年野球でしごかれて、
男は泣くな! 男が泣いて良いのは人生で3度だけだ!みたいなことを
当時の監督にずっと言われてきたし。
1度目は「生まれた時」
2度目は「母親が亡くなったとき」
3度目は「財布をなくした時」
それだけだ!って。
今考えてみると、3度目のとこは何? オチなの?
もしかしたらしょんぼりした僕らを和ませようと思った監督の心遣いなのかもしれないが
当時の僕らはただただそれを鵜呑みにするだけ。
てか、財布を落として泣いたことが人生1度もないのは俺だけ?!笑
まあこの”男の人生泣いて良いのは3度説”には諸説あるっぽいのでおいておきますが、、、。
涙を流してストレスを解消する”涙活”という言葉があるくらいだから
男は泣くな!みたいな時代でもないのかも。