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鈴木寛の連載コラム | TOKYO HEADLINE
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衆院選で考える「賢い政府」【鈴木寛の「REIWA飛耳長目録」第11回】

2021.11.08 Vol.747

 

 先の衆院選は自民党が単独過半数を確保したものの、解散前より議席を17減らし261。対する野党第一党の立憲民主党にはチャンスのはずでしたが、こちらも109から96に減らすという「痛み分け」でした。間隙を突くように維新が4倍近い41に躍進。ホームグラウンドの大阪では小選挙区で自民党候補に全勝、全国各地にも比例で一定数の当選者を出しました。

 今回の総選挙、有権者が自民党にも野党にも一定の変化を求めたと言えるでしょう。無党派層が特に多い東京では維新が比例で85万票を獲得しました。これは2年前の参院選東京選挙区では54万票、昨年の都知事選では61万票でしたから上積みです。夏の都議選で底力を見せた小池知事、都民ファーストの会が今回参戦していれば、維新も順調ではなかったでしょうが、本質的な話は、「第三極」に支持が集まるということは、それだけ老舗の政党に対してドライに見ている方が多く、新しい受け皿を渇望していると言えるでしょう。

 さて選挙が終われば政治は法律を作り、行政を動かしていくことになります。有権者の、これまでの政治に対する不満は、ある意味、行政のあり方にも変化を求めている側面があるでしょう。特にコロナで国も地方自治体も未曾有の財政出動をしたあとで、経済は傷ついて税収の回復には時間がかかりますし、この冬の第6波にもどう備えるか、しかし経済は再生しなければならないという、トレードオフ、コンフリクトをこれまでになく詰め込んだ状況に直面しています。

 そもそもコロナになる前から日本は30年間、経済が成長しませんでした。行政府、国会と立場を変えながらも現場で苦闘し続けたつもりですが、政策づくりが本当に難しくなりました。政治や行政の現場ではこれまでにない発想力が必要だと痛感します。そしてその発想力の源となるのが、昔ながらの凝り固まった制度や経験則に囚われないこと、幅広い視野です。

 このほど『ワイズガバメント 日本の政治過程と行財政システム』(中央経済社)という新刊を研究者や実務経験者の同志と上梓しました。元会計検査院長の重松博之先生、そして経営学の大家、野中郁次郎先生には力強くお導きいただきました。野中先生といえば不朽の名著『失敗の本質』で経営組織論の観点から旧日本軍の敗戦した要因を分析したことが、1980年代当時は実に斬新でした。そして今回は令和の時代の「賢い政府」はどうあるべきか。政治・行政システムの問題点や動かし方を、野中先生をはじめ、皆さまと論じています。やや難解かもしれませんが、日々の政局の底流にある本質的な問題を見通す視点を養うには、おすすめです。

 

岸田政権発足:教育ビジョンなき政治の風景【鈴木寛の「REIWA飛耳長目録」第10回】

2021.10.11 Vol.746

 日本のリーダーが変わりました。昨年9月に首相に就任した菅義偉氏が自民党総裁選に出馬をせず、岸田文雄氏、河野太郎氏、高市早苗氏、野田聖子氏の4人で争われ、岸田氏が総裁に就任。第100代の内閣総理大臣に選出されました。

 話を総裁選に戻します。今回は四者四様、それぞれの個性がぶつかり合って、政策的な論戦はそれなりに盛り上がりました。年金制度のあり方について河野氏がドラスティックな改革案に言及すると、財源に関して他の候補者たちから増税の可能性を提起されて、選挙開始後に新たな「争点」として浮上したあたりは、何かと政策が後回しになり、数合わせに終始しがちだった歴代の総裁選と比べても興味深い出来事でした。

 あらかじめ想定されていた争点は、喫緊の最重要課題であるコロナの感染拡大防止策とコロナで打撃を受けた経済の再生でした。その一方で、総裁の任期は3年。総選挙で与党を勝利に導けば、さらにその先も見えてきます。何が言いたいかというと、出遅れていたワクチンの大規模接種が大幅に巻き返し、出口戦略が具体的に語られる段階です。つまり感染が収束した後の日本をどうするか。教育者としては10年後の人づくりについて、それぞれの候補者がどう考えているのか、論戦を気にしていました。

 報道を見る限りでは、奨学金制度の減免や卒業後の年収に応じた方式にするなどの改革案、学費や生活費で困窮する学生たちへの支援など、安倍政権時代に私が大臣補佐官を務めていたときに議論し、すでに着手した毎年7000億円を投じた苦学生への給付型奨学金や授業料無償化政策などを追認するような発言に終始し、新味に欠けていました。果たして、各候補は、すでに始まった支援策を知った上で議論しているのだろうか?という疑問すらわきました。これらの政策に加えて、今後、どうしたいのかを聞きたいところでした。

 岸田氏の公約集をみても分配政策の観点から、教育費の支援といった言及にとどまり、具体的な数字もなく、未来に向けた考えがわかりません。例えばAIが人間の知能を超えるシンギュラリティがあと二十年ほどで訪れる可能性がある中で、知識詰め込み型の旧来型教育からどう転換するのか、岸田氏の問題意識を知りたいところでした。

 正直、野党も似たようなもので中長期の教育ビジョンが全く語られていないのが実情です。衆議院の解散総選挙を前に永田町の光景を寂しくみている日々です。

 

五輪パラ閉幕:コロナ後のスポーツの価値【鈴木寛の「REIWA飛耳長目録」第9回】

2021.09.13 Vol.745

 東京オリンピック・パラリンピックが全日程を終了しました。1年延期した末に、開催の是非をめぐって世論が二分し、無観客開催という異例づくめとなりましたが、懸念されたテロや大規模クラスターなどの緊急事態はなく、「東京2020」をなんとかやり切ることができたこと、招致段階から関わってきた全ての関係者に心より感謝を申し上げます。本当にお疲れ様でした。

 私自身が政治家時代、特に心血を注いだ課題がオリパラでした。まだ東京での開催をめざしている段階でしたが、2009年から文部科学副大臣に着任してからは正式に招致担当となり、難題を一つ一つクリアしていきました。国立競技場の建て替えは、巨額の費用がネックでしたが、toto法の改正でサッカーくじの当選金を引き上げ、一定の財源確保に努力するなどして財務省の理解を得る流れを作り、明治神宮や地域住民などへの周知理解も行いました。

 オリパラを開催したかった理由はたくさんありますが、スポーツに限って言うならば、21世紀の時代に合わせたスポーツの価値を再定義し、広く日本社会の中でその社会的役割の重要性を意識するように根付かせるためのオリパラを「起爆剤」にする思いでした。

 当時スポーツ庁はまだなく、文科省が所管するスポーツ行政は私が担当でした。その際、こだわったのが、スポーツ振興法を半世紀ぶりに改訂して制定したスポーツ基本法です。高齢化社会を見据え、国民一人一人がスポーツをやって元気になってほしい、トップアスリートの活躍を見て感動や豊かな気持ちを味わってほしい、地域社会がスポーツを通じて豊かなコミュニティを作ってほしい…いわば、スポーツを「する権利」「観る権利」「支える権利」をスポーツ権として定義し盛り込んだのが新法の特徴でした。

 小池知事就任により、私は、委員会から引きましたが、コロナ禍でオリパラも根底から揺らぎました。あまりにゴタゴタが続いたためスポーツ基本法に込めた理念のような話、スポーツが社会にもたらす役割などは世の中で忘れ去られてしまったようで忸怩たるものがあります。

 一方で、ラグビーワールドカップは、そのレガシーとして、英国名門の「ラグビースクール」が日本校を創設する構想を大会開催中に発表しましたが、ついに、場所が千葉大学柏の葉キャンパスに決定。着々と準備がすすんでいます。

 コロナはいずれ収束すると私は信じています。そのとき「東京2020」のレガシーを次代に継承していくために、社会におけるスポーツの価値を皆で呼び覚ましていかねばなりません。    

(東大、慶應大教授)

五輪大会中の吉報!国際数学オリンピックの快挙【鈴木寛の「REIWA飛耳長目録」第8回】

2021.08.09 Vol.744

 

 東京オリンピックが紆余曲折を経て開幕しました。個人的には、国会議員時代に超党派で招致をめざした議連の事務局長を務め、国立競技場の建て替えに際しては明治神宮などの関係者の調整に奔走しました。ただ、そうした思い出もかすんでしまうほど、コロナ禍での大会開催を巡っては国論が割れました。また、感染防止で無観客となり、日本の子どもたちや若い人たちが世界の一流アスリートのプレーをその目でみられなくなり、観戦で訪日する観光客もいなくなるなど、招致時に期待された国際交流が大きく制約されことがもっとも悔いが残ります。

 とはいえ、開催国として選手たちの健闘に勇気をもらった人たちも多いでしょう。本稿が掲載される頃に閉会式を迎えますが、前半戦を終えた時点(8月1日)で、日本勢の金メダル獲得は中国、アメリカに次ぐ17個。銀と銅を含めた総合でもオーストラリアと並ぶ5位につけています。誰もが金を有力視していた選手たちの思わぬ失速もあったものの、スケートボードやサーフィンなどの新競技で日本勢が大活躍しました。

 そんなオリンピックシーズン真っ盛りの中、嬉しいニュースが届きました。世界107か国の数学にすぐれた高校生が参加する「第62回国際数学オリンピック」で、日本から参加した6名の高校生たちが全員メダルを獲得したのです。我が母校、灘(兵庫県)の2人も銀と銅をそれぞれ取り、東京都からは開成、筑波大附属駒場、麻布の3人が参加。そして開成3年の神尾悠陽さんが日本勢2年ぶりの金メダルに輝きました。

 この大会、欧米の歴代メダリストたちの中には、日本でタレント活動をされていておなじみの数学者ピーター・フランクルさん(ハンガリー出身)がいます。フランクルさんは1971年の金メダリストでした。メダリスト出身の数学者で、「数学分野におけるノーベル賞」と言われるフィールズ賞を授与された方々が多数おられます。

 日本のメダリストたちも国内外の名門大学で数学者として研究活動をされていて、将来同賞を獲得する人が出てくるのではと期待もしています。また、研究者だけでなく、世界的に有名な外資系証券会社のトレーダーとして活躍するなど実業界でその才覚を生かしているOBもおられます(ちなみに彼は灘OB)。オリンピック、パラリンピックのこの時期、「知のアスリート」たちの活躍にもご注目いただければと思います。

(東大、慶應大教授)

自治体首長のコロナ対応、成否を分けたの何か?【鈴木寛の「REIWA飛耳長目録」第7回】

2021.07.12 Vol.743

 前回の本欄で、新型コロナワクチンの大規模接種をめぐる各地の混乱から、日本の行政機構のロジスティック能力が著しく低下していることを述べました。医療従事者と高齢者への接種は順調に進んでいた矢先、今度はワクチン不足により、政府が職域接種を一時中止する事態に。見込みの甘さをまた露呈してしまいました。また行政能力の低下を痛感させられます。

 一方で、少し時系列がさかのぼりますが、各地で混乱が続く中でも自治体によっては首長が見事なリーダーシップを発揮して住民の接種を順調に進めています。私が生まれた神戸市では、久元喜造市長が、神戸生まれの楽天・三木谷浩史会長兼社長からの協力申し出で、ヴィッセル神戸の本拠地、ノエビアスタジアム神戸を大規模接種会場のひとつに設置。市内9か所の集団接種会場と、800の病院・診療所の個別摂取も併せた猛スピード接種により、5月末時点で15万人ほどだったのが、6月に入ってから1か月で40万を超える規模まで増やしました。ここにきて、前述した国のワクチン供給不足のあおりで接種の新規予約を停止しましたが、ひとつの方向性を示したと思います。

 久元市長は私より一回り上の67歳。灘高校、東大法学部の先輩でもあります。自治省(のちに総務省)時代は地方行政に関わり、総務省の自治行政局長などを歴任後、神戸市の副市長へ。8年前に市長に就任されました。地方自治のスペシャリストとしての見識を平時の行政運営だけでなく、このコロナ禍という歴史的有事でも存分に発揮されました。

 千葉市でもコロナ禍が起きた当初から、当時の熊谷俊人市長が国の基準にとらわれずにPCR検査をスムーズに受けられるようにし、病床を確保。SNSで最新の感染警戒情報をわかりやすく伝えるなどし、その名声は県内に広く知られるところに。3月の千葉県知事選では過去最多の得票で圧勝しました。

 久元さんも熊谷さんも、決断力、実務経験、実践力に目を見張るものがあります。とかく、首長は大都市は特にプレゼンテーション能力が注目されがちですが、コロナ対策では実行力、マネジメント力で成否がわかれたのではないでしょうか。国が地方に権限移譲を進めているなかでは、選挙で誰を選ぶのかがますます重要だということも少しは認識されたのではと思いたいのですが。

 

ワクチン敗戦:プロジェクト能力の衰退【鈴木寛の「REIWA飛耳長目録」第6回】

2021.06.14 Vol.742

 医療従事者から始まった新型コロナワクチンの大規模接種が、高齢者対象に移って1か月が経過しました。当初おぼつかなかったワクチンの確保も堅調に進みだしたこともあり、5月中旬以後の追い上げペースは加速しました。本稿執筆(6月6日)時点で、医療従事者のうち対象者のすでに99%超が1度目の接種を終え、7割が2度目も打ちました。そして65歳以上のお年寄り約3500万人のうち、2割弱が最初の接種を済ませています。

 とはいえ、世界的にみれば、ご承知のとおり、日本は先進国のなかでは接種が断トツに遅れており、決してほめられたものではありません。米英などの先行した国々が経済再開を本格化。日本はÍ∑まさに「ワクチン敗戦」の様相で、自国で開発したワクチンを新興国に大盤振る舞いしている中国の動きも含めて、我が国の行く末をただ案じるしかない状況には忸怩たるものがあります。

 それにしても、高齢者接種手続きの不備は残念でなりませんでした。私も80代の父と母が対象者。地元の区から指定された日に、インターネットから予約をすることになっていて、私はその日は時間を空けて両親の予約作業を代わりにやるために自宅に待機。4時間かけて接続を試みましたが、ダメでした。仕切り直しで後日、2回目の予約作業にトライし、3時間かかった末になんとか予約することができました。

 私と同じように、ネットができない老親の予約作業を引き受けても、まともに接続すらできずに苦労した人たちが日本国中、何百万人といたはずです。私のケースでいえば、1回目に殺到してシステムが動作しなくなった時点で、区役所は問題がわかっていたはずです。それなのに改善されないとは、役所の担当者も、システム開発を受注したベンダーの側も、想像力が足りないとしか言えません。これはデジタル的な動きというよりも、リアルでアナログな世界で人がどういう動きをするのか想定が甘い。高齢者の一人の予約を、家族総出で行えば、自宅の固定電話や、本人の携帯だけではなく、息子、娘のパソコンやスマホ、あるいは孫のスマホまでも使う世帯がいるでしょうから、アクセスが殺到するのは火を見るよりも明らかです。

 全国各地でもこのような光景が繰り広げられたのを見ていると、かつて役所にいた者としては、日本の行政機構のロジスティック能力がここまで弱体化したのかという衝撃と同時に、利用者の動きを先読みし、前例のない事案でも綿密な段取りを進めていくプロジェクト能力がいかに不足しているか思い知らされた痛恨事でした。

 

東大文系が数学を入試に出す理由【鈴木寛の「REIWA飛耳長目録」第5回】

2021.05.10 Vol.741

 少し前のことですが、今年の大学入試を振り返る報道のなかで、早稲田大学の受験者数減少が話題になっていました。早稲田は毎年10万人以上が受験してきたなかで、今年は約9万1,000人に減少しました。数学を必修化した政治経済学部の一般入試のほうは、前年比で28%減となる3,495人。報道では早稲田の入試改革に否定的な論調が目につきました。

 しかし、私からすれば「新しい教育様式」に踏み出した、早稲田の大いなる一歩だと思います。7年前、メディアへの寄稿で私は、日本史や世界史でマニアックなクイズのような出題をする早稲田の「知識偏重型」入試について厳しく申し上げたこともありますが、その後、私自身が文科省で入試改革を主導していく中で、いちはやく数学の必修化というかたちで成果をみせてくれたのが早稲田の政経でした。

「ビッグデータの時代なのに、データに関する知識や数学に関する知識がないのは困る」と、時代の変化に対応して改革の決断をされた須賀晃一学部長(当時)に改めて敬意を表すとともに、数年後の就活で企業側の反応が必ず良いものになると私は確信します。

 そのあたりのことは、このほど創刊したニュースサイト「SAKISIRU」ではじまった私の連載第1回でも触れたのでお読みいただきたいのですが、本欄では、東大の文系学部はなぜ2次試験でも数学を出し続けているのかを述べてみたいと思います。

 法学部で学ぶ法律は一見すると、法律の知識を習得することに目が行きがちですが、現実社会で起きる出来事について法的に対応する際、法律の文言を知ってさえいれば済むわけではありません。むしろ杓子定規にいかないことのほうが圧倒的に多い。そうなると、法律の知識をどう運用するかが、実社会では問われるわけなので、論理的思考能力、論述能力があるかどうかが重要です。法律オタクと、大学教授ら専門家との違いはその有無です。

 目の前のケースが複雑化するほど論理的思考能力が要求されます。その下地になるのが3つの力。すなわち難問に取り組む「姿勢(アティチュード)」、投げ出すのではなく別の方法を探してでも粘る「耐性(レジリエンス)」、そして仮説を立てて先を見通す「予測力(アンティシペイション)」です。これらはまさに数学で考える力を身につけるものです。

 もし、本欄を気にして読んでいる私大の文系学部の学生がいて、数学をほとんど勉強してこなかったのであれば、まだ時間はあります。もう受験の結果を気にしてなくてよいのです。改めて勉強してみませんか。社会科学、人文科学、どの専攻でも上述した3つの力があれば分析力がぜんぜん違ってきますよ。            

 

文系、理系「分断」の終焉【鈴木寛の「REIWA飛耳長目録」第4回】

2021.04.12 Vol.740

 

 脳科学者の茂木健一郎さんが4月2日付のブログで「東京大学の中に、新たに、英語で教育・研究をするリベラルアーツ・カレッジをつくる」ことを提案されていました。

 東大といえばこれまで入学の段階で、法学部を主にめざす「文一」、医学部に多くが進む「理三」といった具合に、文科、理科それぞれ三類に振り分けられてきましたが、文系、理系の区別をなくし、入学後に自分で科目を組み立てて、専攻は入学してから決めるように枠組みを変えることを提言されています。

 茂木さんも引き合いにされていますが、イエレン米財務長官らを輩出したブラウン大学では導入済み。日本でも秋田県の国際教養大学などではじまっています。しかも「茂木提言」は、全面的なAO入試による変更を訴えるなど、なかなか先鋭的ではありますが、東大が大改革をすれば日本中の大学の入試、教育のあり方を塗り替える可能性を秘めているのは間違いありません。

 もちろん、茂木さんの提案を実現するのは、容易ではありませんが、2030年代以降を見据えた人材育成の方向性としては全くもって理にかなっています。たとえば文系、理系の「壁」を取っ払うことは私も長年指摘しました。私自身も、東大教養学部で藝術・学術・社会をつなぐコンセプト「学藝饗宴ゼミ」を主宰していますが、まさに文一から理三まで所属しているので、茂木さんの提案に賛同します。

 AIの進化で定型的な業務が代替され、産業や働き方が激変される未来において、技術革新や新しい価値を創造することや、AI、データを駆使することが求められます。そのためには、STEAM(=Science、Technology、Engineering、Art、Mathematics)や、デザイン思考の習得が必要になります。

 国としてもすでに高大接続改革において、高校における文理分断の解消に乗り出しているわけですから、大学でもその流れを強化し、幅広い教養を身につけて専攻を見定めていく仕組みに変えていくのは当然のことでしょう。専攻とて文系理系にとらわれる時代は終わりです。

 茂木さんが言われるように、物理学と国際関係論をダブル専攻する学生がいていいのです。いま、まさにコロナ禍で政策現場は前例のない、非常に難しい決断を迫られているわけですが、政治的なリーダーは経済学と医学、二つの知見が求められているのをみても、この複雑な時代に何が重要なのか示唆しているのです。

 文理分断の終焉の動きはますます加速しています。これはすでに社会人になっている皆さんにとっても決して無縁ではありません。大学院などでの「学び直し」にもつながってきます。

 

斬新なビジネススクールをプロデュース【鈴木寛の「REIWA飛耳長目録」第3回】

2021.03.08 Vol.739

 

 時折、大手企業の幹部向け研修や社長候補の若手幹部が学ぶセミナーで講師のオファーをいただきますが、近年はあまりお受けしていませんでした。文科大臣補佐官として公職を優先していたことが一番の理由ですが、新任役員や部長級の方々はビジネスパーソンとして、ある意味「完成」されていて、私からあまり申し上げることがないように感じていたことがあります。

 もちろん、特定の社会課題がテーマの時で当該業界の企業幹部の方々と意見交換するのはむしろ大歓迎で私も現場の知見を大いに学ばせてもらっていますが、いわゆるビジネススクールのような社会人向けの学校、それもリーダー層向けでの講師経験が多くないのは確かです。

 もともと大学教員として大学生や大学院生と学び語らい、あるいは社会創発塾で20代の社会人の皆さんと実践的課題を討議しているように、若い人と学びの場を構築・実践していく方が得意かもしれません。そして、私が主宰する学びの場では、プロジェクトベーストラーニング(PBL)を取り入れています。

 PBLは、現実の課題の解決策を調べ考え抜くものなので、絶対的な「正解」があるわけではありません。ビジネススクールでも現実の企業のスタディケースを使って学びはしますし、討論も取り入れて一つの正解にこだわらずに思考法の訓練はしますが、少なくとも大手企業の幹部クラスの40代後半〜50代のベテランの方々にとっては「今更」と感じる部分も多いのではないでしょうか。

 しかし、このほど企業幹部向けに新たな試みをやってみることにしました。5月に開講する「アゴラ・サーバントリーダーシップ・ビジネススクール」では、3つあるクールの第2クール(今夏)で、私自身がカリキュラムから講師陣のキャスティングまで全体をプロデュースできるとあって、これまでにない「オトナのビジネススクール」にします。

 日本経済が「失われた30年」に突入したのは、企業の新陳代謝による活性化に乏しいこともありますが、既存の大手企業が新風を吹かせる天才的な若者たちとのコラボレーションが足りないと長年感じていました。そこで今度のスクールでは、10代から活躍している私の教え子の起業家たちのプレゼンを聞いて意見交換や討論などを展開しようと考えています。

 良くも悪くも、歴史のある企業が幅を利かせているのは日本経済の現状です。ただ伝統的な大企業にはリソースがあります。企業の内部留保は475兆円と8年連続で過去最大を更新中。これをいかに若い才能への投資に振り向けるか。新しいスクールが、ベテラン役員の皆さんをインスパイアさせ、投資の目利き力を鍛える一助にしたいと思っています。

(東大、慶應大教授)

日本橋が「社会リノベーション」の発信源に【鈴木寛の「REIWA飛耳長目録」第2回】

2021.02.08 Vol.738

 農業や食に関わるビジネスで女性起業家の活躍が注目されています。私のゼミのOG、長内あや愛さんもその1人。2年前、慶應SFCを卒業するタイミングで、日本橋に「食の會日本橋」というレストランを創業しました。

 提供するのは「復刻料理」。福澤諭吉や渋沢栄一が食べたものはどんなものだったか、往時のレシピや食材を研究してきた成果をもとに考案したメニューが並びます。中学生の頃から「14歳のパティシエ」というブログを書き続けるなど、食への探究心は人一倍。SFCを卒業した後は慶應大学院の政策・メディア研究科で学び、今も事業の傍ら、食文化を追究。大学院でも、彼女は私のもとで修士論文をこの1月に書き終えたばかりです。

「福澤諭吉先生が食べたお菓子」も研究テーマの一つ。福澤は江戸末期、幕府使節団の通訳として二度の渡米、一度の渡欧をしています。福澤が要人同士の会談に随行し、訪問先からおもてなしを受ける際に出てきたのが洋菓子です。

 長内さん曰く、お菓子というのは「非日常を演出し、人間にとって栄養価の高いもの」。お菓子を楽しんだ福澤たちは、当時最先端の西洋文化に触れ、のちの日本の近代化に身を投じていったことを考えると、お菓子ひとつとっても、歴史的ストーリーを感じさせます。

 長内さんが店を構えた日本橋は、以前から私にとっても重要拠点の一つでした。2016年にはライフサイエンス領域のイノベーションに取り組む人たちの拠点や人的交流を進める場として、「ライフサイエンス・イノベーション・ネットワーク・ジャパン」(LINK-J)を立ち上げました。ここをハブにするように、日本橋エリアでは300社以上の関連ベンチャー、スタートアップが活躍するまでになってきました。

 日本橋は長内さんにとって「食文化の聖地」。コロナ禍で大きな試練に見舞われながらも、老舗の多いこの街に新しい風を吹かせようとしています。そして、日本橋本町は江戸開府以来、薬屋が商いをし、いまも製薬会社が拠点を置いています。伝統ある「くすりの街」で、私や教え子たちが関わってきたLINK-Jが先進的医療の歴史をこれから作ろうとしています。

 折しも、日本橋の頭上を通っていた高速道路の地下化への動きが加速しつつあります。街づくり、食、医療…あらゆる分野で日本橋エリアがその伝統的リソースを礎に、日本社会に新しい付加価値を提案する「社会リノベーション」の発信源になろうとしています。
          
(東大、慶應大教授)

コロナ時代にも生きる吉田松陰の真髄【鈴木寛の「REIWA飛耳長目録」第1回】

2021.01.11 Vol.737

 あけましておめでとうございます。本年より連載名を新たに「REIWA飛耳長目録」と題し、社会や人生の「難問」に向きあう方々のヒントになると思うことを綴っていきます。

 さて新しい連載タイトルの由来の話から始めましょう。「REIWA」は言うまでもなく「令和」。では「飛耳長目録」とは何でしょうか。ご存知のかたは幕末の歴史にかなり精通されていますね。

「飛耳長目」とは、吉田松陰が松下村塾で学ぶ若者たちに新しい時代の動きや情報を収集することの大切さを説いた言葉です。現代風にいえば、飛耳長目はインテリジェンス、飛耳長目録は見聞をまとめたレポートといったところでしょう。

 なぜ、松陰はインテリジェンスの意義を若者たちに唱えたのでしょうか。松下村塾は、高杉晋作、伊藤博文ら幕末維新の英傑を続々と育てたことでおなじみですが、現代の大学でいえば、各界のリーダーを着実に輩出し続ける“超名門ゼミ”。

 もう四半世紀以上前のことですが、私は通産省から山口県に赴任し、松下村塾などの松陰の足跡に触れたときから、ゼミとしての松下村塾の成功要因をずっと分析し続けてきました。やがて、この「飛耳長目」に秘訣があるように思い至りました。松陰は若い頃、異国の船が日本近海に出没するようになった情勢を受けて、日本各地の海防体制を見聞して回りました。

 これは私の推測ですが、人間は歩く間にさまざまな物事を考えます。あるいは同行者と語らい、議論をして思索を深めます。それまでに書物で学んだ知識を自らの血肉にし、さらに旅先で新しい情報に触れて思考をアップデートし、自らの見識を磨き続けたわけです。百聞は一見にしかず。松下村塾での松陰の“教授”としての実働期間は数年に過ぎませんが、事細かな知識を教え込むよりも、生き様を示し、国の未来を憂う若者たちのハートに火をつけたのではないでしょうか。

 古典を含めた圧倒的な教養と、津々浦々で見聞した最新情報で思考を究め、自分なりのビジョンを形成し、その実現に向けて邁進する――これこそ、のちに時代を変えた若者たちを送り出した、松陰のイノベーター養成者としての真髄だったのだと思います。

 異国船の登場で武家社会が根底から揺らいだ幕末。不確実な世界の展望を拓こうと、自分で見聞きし、自分の頭で考え続けた松陰や若者たちの流儀は、コロナ禍に直面する私たちに大いなる示唆を与えてくれます。 
         
(東大・慶応大教授)

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