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鈴木寛の連載コラム | TOKYO HEADLINE - Part 2
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難問に向き合い続ける時代の人づくり【鈴木寛の「2020年への篤行録」最終回】

2020.12.14 Vol.736

 この度、国立福島大学の学長特別顧問に就任しました。福島大学は、国が現在計画している福島県沿岸部の「国際教育研究拠点」づくりに際して、国内外の知恵と人脈を集結し、地域を結びつけるハブとなります。この構想の実現・発展に向けても、三浦浩喜学長のお力になりたいと思います。

 東日本大震災の時、私は文部科学副大臣でした。震災後、OECDが子どもたちの教育を通じた復興サポートとして「OECD東北スクール」プログラムを構想した際、私が日本側の窓口として後押しをいたしました。このプログラムは、地域の復興を担う人材とグローバルで活躍する人材を育成することが目的で、福島大学が事務局を担っていただき、この時、三浦先生をはじめ、大学のみなさまから多大なご尽力をいただきました。

 OECD東北スクールは2012年3月、約100人の中学生・高校生が東北各地から集結。2014年8月、OECD本部のあるパリにて、東北の復興を世界にアピールするイベントを開催・成功させるという空前のプロジェクト学習でした。そして「復幸祭」と銘打ったイベントは2日間で15万人が来場する大成功でした。

 このときの日本の高校生の各国の大使や大臣へのプレゼンテーションが共感を呼び、「OECD教育2030プロジェクト」につながります。国内でも「地方創生イノベーションスクール」構想に引き継がれ、福島県立ふたば未来学園も創立され、未来創造探求の先進校になっています。
 子どもたちにとって学びの核心となるのは、緊張とジレンマを克服すべく苦闘して身につけた経験と自信です。これが、まさに大人になって、「正解」も「前例」もない、難問ばかりのいまの世の中に巣立っていった時、それぞれの強みになります。

 東北、福島は震災のあと、高齢化や医療過疎といった問題が顕在化してきました。そして今年のコロナ禍にあって、東京、日本全体も高齢化、デジタル化の遅れといった難問が噴出しました。

 いまの大学生の世代は、令和の時代を担い、22世紀への道を作っていくことが使命である一方で、そうした難問から逃げずに粘り強く向き合い、「解」を考えねばなりません。教職員も、当事者の一人として背中を見せ、若い人たちに何かを感じ取ってもらう必要があります。福島で学びのカタチをつくり、東京、日本、世界へ発信する…。私もその一翼を担う覚悟です。

(東大・慶応大教授)

■本連載「鈴木寛の2020年への篤行録」は今回で終わりです。7年の長きに渡り、ありがとうございました。1月からは連載名を新たに「鈴木寛のREIWA飛耳長目録」と題してお送りします。

「学びのデジタル化」が生む、新たな価値【鈴木寛の「2020年への篤行録」第85回】

2020.11.09 Vol.735

 この連載は「2020年の篤行禄」と銘打ち、7年間続けてまいりました。連載を始めた頃の「2020年」といえば、言うまでもなく東京オリンピック・パラリンピックの開催イヤーです。

 私もそれを念頭に置いた上で、「祭りのあと」にこそ日本や東京が直面する試練は本番を迎える、では、年々複雑化する社会課題にどう向き合っていくべきか、私が知る限りの「篤行」(人情に厚い誠実な行い)を綴ることで、読者の皆様のご参考に少しでもなればという思いで書き続けてきました。

 その2020年も残り2か月。まさか「祭り」の開催そのものが宙に浮くとは夢にも思いませんでした。原因となった新型コロナは、私たちがこの7年、意識し続けてきた「祭りのあと」の社会課題を一気に可視化しましたが、大学教員として私が否応なしに向き合ったのが学びのデジタル化です。

 長年、学生たちと新しいツールを活用しているつもりでしたが、慶應SFCの新学期早々、私の「公共哲学」の講義を、それも1000人規模の受講者がいるのをオンライン化するのは、もはや「社会実験」でした。ZOOMの代理店を務める企業、技術に明るい講師、助手たちの力も借りながら、私にとっても一大挑戦です。

 当初から私が意識したのは、大教室のオフラインの講義をそのままネットに持ってこないこと、逆にオンラインだからこそできることを追求しました。例えば双方向性をいかに持たせるか。もちろんネット時代の当初から言われてきた課題ですが、リアルタイムでのチャット機能やアンケート機能が充実したサービスが登場し、学生の“コミット感”は間違いなく高まりました。

 ご承知の通り、私の教育方針は、既存のモデルに捉われず、学生たちが自ら「道無き道」を突き進み、新たな道を築き上げるように鼓舞することです。このオンライン講義に当たって、すずかんゼミでは、有志が授業設計部を立ち上げ、各種ツールの有効な活用法などを企画し、学びの場をより実りあるものに設計するように努力してきました。

 従前のリアル講義にない新しい価値を築けたと思いますが、学生たちの行動力、発想力を磨く良い契機にもなったと思っています。学内でもオンライン講義の先進事例としても高く評価をいただき、ZOOM本社のCEOからも「先進ユーザーとして、改良のための意見を聞かせてほしい」とご要望いただき、声をお届けしました。試練を糧に変えた経験と自信を学生たちが培ってくれたことが最上の喜びです。   
        
(東大・慶応大教授)

ポスト安倍時代:教育財源はどう確保する?【鈴木寛の「2020年への篤行録」第84回】

2020.10.12 Vol.734

 前回のコラムでは、安倍政権の歩みを教育行政の観点から振り返りました。幼児教育の無償化、私立高校の無償化、低所得者世帯向けの大学無償化という一大業績を残しましたが、いずれも数兆円規模の大型投資を伴いました。

 しかし、総理が交代し、コロナ対応でも財政出動が続きます。少子化と高齢化で教育への公的投資がますます厳しくなって行く中で、次世代を育てるための財源はどう確保すればいいのでしょうか。

 ポイントは、いかに現場に近いところで「再配分」するかです。まず一つは「営利」での民の力です。これまでの民間の営利教育は、塾などをみればわかるように利用する側の経済力の格差が課題でした。もし、塾などの事業者側がソーシャルビジネス的な発想を取り入れて、低所得者世帯向けの割引を行うとどうでしょうか。

 これは民間事業者の努力だけではもちろん難しいので、行政側も積極的な事業者を減税で支援したり、大阪市のように塾通いのクーポンで家庭を応援したりすることが望ましいですが、それ以上に必要なのが民の力。投資やクラウドファンディングなどを通じて事業者を応援するような社会全体の意識改革です。突き詰めれば、お子さんがいない8割の家庭が、お子さんのいる2割の家庭を「未来」のためにサポートできるかどうかです。

 もう一つの民の力は「非営利」部門です。

 子どもたちの学習支援を通じて将来の格差をなくそうというNPOが各地で頑張っています。

 また、学校への支援は勉強だけではありません。地域住民にもできることがあります。その基盤となるのが、地域社会が学校運営に参画するコミュニティスクールです。導入から15年以上経ちますが、全国の小中学校などの2割にあたる7600校にまで広がっています。

 こうした学校の中には、ボランティアの市民がコロナの危機で力を発揮したところもありました。校内の消毒を市民が手伝い、一時休校の折にはITコーディネーターが、家で使っていないパソコンをかき集めてオンライン学習を下支えするといったこともあったそうです。

 そうした民の力を糾合できる首長の存在も極めて重要です。都内では渋谷区の長谷部健区長が、小中学生の家庭の通信費を補助するなどオンライン学習の普及で一際冴えた手腕を見せました。

 公的な制度な枠に基づきながら、民の力をいかに活用して再配分するか。コロナ禍を機に創意工夫がさらに問われます。

(東大・慶応大教授)

安倍政権が健闘した教育投資と限界【鈴木寛の「2020年への篤行録」第83回】

2020.09.14 Vol.733

 安倍総理が持病の悪化を理由に退任を表明されました。8年近くの長期政権にあって、私自身も約4年間、文科省で、下村、馳、松野、林の各大臣の下、大臣補佐官として数々の改革に携わる機会を得ました。

 二度目の安倍政権は、教育面でも大学改革、英語教育改革、教育委員会制度見直しをはじめ、歴代の政権と比べても多岐に渡る施策を実行しました。それをもたらした教育再生実行会議を官邸に置き、官邸主導によるトップダウンの意思決定が非常に強かったことも特徴に挙げられます。

 安倍政権は、幼児教育の無償化、私立高校の無償化、低所得者世帯向けの大学無償化という一大業績を残しましたが、毎年2~3兆円規模もの予算確保が必要な、これらの施策を実現できたのも、官邸の強い力があって財務省を動かすことができたからです。

 霞が関では文部省の時代から大蔵省のほうが伝統的に力関係で強く、教育予算を確保しようとしても、年々悪化する財政難と高齢化という二つの壁を前に苦戦を強いられてきました。安倍政権の官邸主導スタイルには色々な評価はありましょうが、総理個人の教育改革への強い思いと、それを具現化するガバナンスの仕組み作りが数々の壁を打破したことは確かです。

 残念ながら道半ばに終わった取り組みもありますが、安倍政権が終わってしまうと、教育への公的投資がこの8年間のように継続できるかといえば難しいと言わざるを得ません。

 振り返ればこの長期政権は好調な経済に支えられました。政権初期のアベノミクス政策で持ちなおした景気は、戦後最長クラスの6年間も持続し、税収はバブル期並みの63兆円にまで伸びました。経済基盤が安定しないと投資への意欲はわかないものです。

 しかし、その景気がしぼみはじめた矢先、コロナ禍に見舞われました。4~6月期のGDPは3四半期連続のマイナス、年率換算で戦後最悪の27.8%の落ち込みとなりました。飲食、観光を筆頭に多くの産業が大打撃を受け、景気の急激な悪化による税収減は必至です。加えて過去にない規模での財政出動をすでに強いられている中、投資への余力が削られています。次期政権からの教育予算編成は年々厳しくなります。

 教育への公的投資が行き詰まりを見せる中、次世代を育てるための財源はどう確保すればいいのでしょうか。来月のコラムは“ポスト安倍”時代の教育投資のあり方について展望します。

(東大・慶応大教授)

幕末とコロナ:激動の時代の人づくり【鈴木寛の「2020年への篤行録」第82回】

2020.08.10 Vol.732

 さる7月4日、慶應大学総合政策学部 鈴木寛研究室と山口県萩市が地域おこしと人材育成を連携して行う連携協力協定を結びました。

 今回のコラボレーションにより、地域おこしの連携や、実践する人材の育成について、萩市の皆さんと一緒に行うことになりました。その第一弾として、萩市内の高校の魅力アッププロジェクトを開始します。具体的には、すずかんゼミが萩の高校生の探究学習を支援させていただきます。

 調印式は世界遺産にもなっている松下村塾にて、私と萩市の藤道健二市長が出席して執り行われました。調印式には市内に3つある高校の校長先生もご出席いただき、早速今後について意見交換もさせていただきました。

 私の人づくりの人生は通産省から山口県庁に出向していた1993年から1995年までの2年間、20回、この松下村塾に通ったことから始まりました。すずかんゼミの、そして私が教育をライフワークに定めた原点がここにあります。この日を迎えられて、感謝、感激でした。

 初めて松下村塾を訪れた日の記憶はいまでも鮮明です。まず驚いたのはその規模。わずか八畳と十畳の二間しかないのです。そんな狭い平屋建ての茅葺小舎に、延べで92名の塾生が学んでいたのです。もうひとつ驚きなのは、吉田松陰が松下村塾で教えていたのは、実家で身近な人たちに教えていた期間を含めても、実質2年ほどしかなかったことです。
 こぢんまりとした小屋で、わずかの期間にどのような教育をしたから、高杉晋作や伊藤博文のような偉人たちを輩出できたのか、私の人づくりへの探究心がむくむくと芽生えていきました。松蔭に関する書籍、それこそ山口でしか手に入らない貴重な文献を含めて読み漁るうちに印象的だったのは、現代の学校教育と比較しても実に先進的な取り組みをしていたことです。

 一つだけ挙げると、まさに今で言うアクティブラーニングの考え方だったといえます。大河ドラマで、高杉たちが「豊臣秀吉とナポレオンが戦ったらどちらが強いか」で論争するシーンが描かれていましたが、実際の松下村塾も議論を重視していました。当時の寺子屋や藩校は先生が書物の知識を一方的に教えることが普通でしたので実に画期的でした。

 幕末・維新から150年余。既成概念がひっくり返る中で、時代を切り開く人材の育成が求められている点で、コロナ禍の現在とも共通します。まずは松下村塾の御恩に報いるため、萩の高校生に恩送りしたいと思います。萩から日本中、世界中の同士と共に教育維新を胎動させていきます。

(東大・慶応大教授)

「9月入学」頓挫でも残った宿題【鈴木寛の「2020年への篤行録」第81回】

2020.06.08 Vol.730

 新型コロナウイルス感染対策による一斉休校の長期化を受けて急浮上した「9月入学」移行ですが、少なくとも今年度や来年度からの導入については、結局1か月ほどで見送りの公算になりました。

 私は前回のコラムで大学の議論と小中高の議論を分けるべきと申し上げました。そして特に影響の大きい小中高については、保護者、児童・生徒、教職員の意見も十分に踏まえ、当事者である校長先生に、意見を集約してもらうべきと申し上げました。休校中だったので、子どもたち、保護者の意見がどこまで出てきたかは微妙なところですが、全国連合小学校長会は5月14日、声明文を出して拙速な議論に事実上の待ったをかけ、全国知事会でも、長野県の阿部知事が冷静に議論をリードされました。

 5月中旬にNHKが「9月入学」に賛否を尋ねた世論調査では賛成41%、反対37%とほぼ二分する状況に。ただでさえ大きな制度変更には世論の力強い後押しが不可欠です。世の中全体がコロナの第一波をしのぎ、経済社会活動の再開が最優先という中では、時間がなさすぎました。

 この決着で、賛成派も反対派も、お互いほっとしてもらっては困ります。今、一番、検討しなければいけないのは、大学入試のタイミングです。私は、今の入試のタイミングを遅らせて、高校卒業後の4月とか5月に合格発表とすべきだと思います。
 大学の入学は、慶應のSFCはじめ春・秋併用となっており、学部ごとに各大学の学長が定めることができることとなっていますので、高校関係者と大学関係者が協議して、大学の秋入学枠の定員を大幅に増やすべきだと思います。秋の入学までの時間は、学力が十分な人たちは、ギャップ・タームにして、様々な実地経験を国内外で積んでいけばいいですし、学力が十分でない人は、改めて、大学での学びについていけるような、学び直しを秋までにやり直すことにあてていけばいと思います。

 さらに、高校の修得主義の要素を増やして、学力修得が不十分な場合は、卒業を半年のばして、3年半の通学を可能にすることも検討すべきです。一方で、学力修得が確認できれば、授業時数にかかわらず単位認定を行い、2年半での早期卒業も認めるべきです。現在は、定時制だけが修業年限を3年以上としており、9月の卒業も認めていますが、全日制も同様に扱いにすべきです。ぜひ、こちらの議論もしっかりと行ってください。(東大・慶応大教授)

「9月入学」急浮上は良いが、改革をサボるな【鈴木寛の「2020年への篤行録」第80回】

2020.05.07 Vol.web Original

 新型コロナウイルス感染拡大の長期化に伴い、学校の9月入学論が急浮上しています。安倍総理も4月29日の衆議院予算委員会で「前広に様々な選択肢を検討していきたい」と踏み込みました。

 9月入学への移行はすでにご承知のように、海外留学がしやすく、また逆に外国人留学生の受け入れもスムーズになるメリットは非常に大きいと思います。さまざまな価値観に刺激されることは重要です。

 知らない土地、違う文化、言葉の壁などで悪戦苦闘するもの。しかし、それが「財産」をもたらすのです。私の学生時代で一つ大きな後悔があるとすれば、長期留学をしなかったことです。留学未経験の私がそう言えるのは、社会に出て30歳になる前、ジェトロに出向し、オーストラリアでシドニー大学の研究員として1年駐在する機会がありました。

 当初は寮に1人住まいだったのですが、英語力向上も目的に、当時の日本では珍しかったシェアハウス形式の住居に引っ越しました。2人のルームメイトと過ごし、語学力はもちろん外国人との意思疎通できることの自信も培えました。この1年の経験は、役所、議員、大学教員と舞台を変えても世界各地のキーパーソンと直接やり取りできる武器をもたらしました。

 また、東大の前濱田総長の9月入学改革構想に協力し賛同していましたので、“バリバリの9月入学論者”と思われているようですが、両手をあげて賛成かといえば、いくつか意見があります。

 まず、私は、大学の議論と小中高の議論を分けるべきだと考えます。大学については、すでに大学の判断で9月入学にすることができるようになっています。慶應SFCは学部も大学院も、東大も公共政策大学院は、9月、4月どちらでも入学可能です。大学は、秋・春入学併用がいいと思いますし、大学が決めることです。高校の卒業時期とのずれですが、ギャップタームとして、有意義な時間になりますし、入試も、むしろ高校卒業後に行えばいいので、公立校長は喜ぶでしょうから、時期のずれは、全く問題ありません。

 小中高は、私がまず申し上げたいことは、素人考えの議論はやめて「小中高の校長に、意見を集約してもらいましょう。外野は、その議論をじっと見守りましょう」ということです。当然、校長たちには、保護者、児童・生徒、教職員の意見もよく取材してもらって決めてもらいます。もっといえば、こうしたときに校長たちが黙っているのは、どうかと思います。自分たちの現場なのですから、もっと、能動的・主体的に議論し発信してほしいと思います。

 これまでも、何度となく、秋入学は検討されてきましたが、便益とともに、新たな負担や混乱も生じます。そのトレード・オフを見極めて、判断してください。今年の導入であれ、来年になるにせよ、校長たちが新たな準備にエネルギーを注げるのか、現場でないとその実現可能性は判断できません。校長たちが出した判断ならば、どんな結論であっても、みんなで応援しましょう。

 今回、9月入学を、政治家や一部の首長たちが提起し、メディアが乗っかっているのは、論点ずらしであったり、視聴率狙いのネタづくりのような気がしてなりません。

 つまり、長らく教育にしっかり投資してこなかったツケがこの局面で回ってきていているのです。平成後半にやるべきだった改革をサボってきた責任をうやむやにする論点ずらしにしか、私には、見えないのです。

 すでに3月の一斉休校から2カ月以上が経過。連休明けには緊急事態宣言の1か月延長が正式決定される公算です。6月に事態が好転しているか予断を許さない中で、すでに小中学生の生活リズムの乱れの報告があり、学力低下への懸念が強まっています。

 頼みのオンライン学習も、文科省調査(4月16日)では、「双方向型のオンライン指導」ができている学校はわずか5%。教育委員会作成の動画活用(10%)、それ以外のデジタル学習(29%)を含めても半数に届いていません。OECDとハーバード大学が共同で緊急調査していますが、新型コロナになってからのオンライン授業の利用状況は先進国最低です。

 なぜ、そうなってしまったのでしょうか?教育の情報化だけに議論を絞れば、機器と通信環境については市町村長、オンライン学習を立上げ運営できる人財の確保と育成については国政と知事の責任です。これまで教育の情報化や教育人材の充実をサボってきた地域の首長や、教育予算確保に関心を示してこなかった政治家やメディアが、突然、9月入学に躍起になっているのは、どうも解せません。

 小中高の「9月入学」は、もちろん意味はあります、それだけに、遅れたオンライン学習導入の責任をごまかすための議論に、使われてなりません。真に子供たちの未来のための真摯な議論のなかで決めていってほしいものです。(東大・慶応大教授)

コロナ危機克服が人を成長させる【鈴木寛の「2020年への篤行録」第79回】

2020.04.13 Vol.729

 今年は桜の見頃が例年より早く訪れましたが、新型コロナウイルスの影響で世の中の花見ムードは消え失せました。私も半世紀以上生きてきて、これほど緊張感に包まれた春を迎えるのは初めてです。

 日本は当初抑え込んだように見えましたが、3月下旬から感染者が急増。4月7日には初の緊急事態宣言も発令されました。一説には、中国から入ってきたウイルスの第一波が失速した後、欧米からの帰国・入国者が持ち込んだ亜種のウイルスが第二波として広がっているという指摘もあります。

 そのあたりは確定的な分析を待ちたいところですが、新型コロナウイルスは、第2次大戦後に人類が直面した感染症としては最強の難敵であることは確かです。難敵である所以は、発生期には正体がわからず、有効な薬も治療法も見出せない、ようやくおぼろげながら敵の姿が見え始めると、今度は新たな症例も報告される…。

「想定外」は医療・行政の現場だけではなく、企業も同様です。顧客の動きが急減し、従業は在宅勤務せざるを得ない。資金繰りも過去になく悪化する…存亡の危機に瀕している企業も続出しています。コロナ危機は、まだ出口が見えない分、リーマンショックや3.11よりも経済的な影響は深刻です。

新型コロナ:3.11に学ばないテレビ【鈴木寛の「2020年への篤行録」第78回】

2020.03.09 Vol.728

 東日本大地震からまもなく9年を迎えるところで、新型コロナウイルスの感染拡大という新たな国難に直面しました。国の専門家会議は2月24日に「今後1~2週間が感染拡大を収束できるか瀬戸際」と訴え、安倍政権は大規模イベントの中止や延期、さらに小中高の休校を要請しました。

 本稿執筆時点(3月4日)でも感染拡大がとどまる気配はみられません。「温かくなればウイルスの動きが鈍くなる」との楽観的な見方もあるようですが、2003年のSARS(重症急性呼吸器症候群)のケースでは、WHOが終息宣言をしたのは夏場でした。

 確立された治療法はまだありません。新薬の開発導入には時間を要します。未曾有の危機に陥っているという点では、原発事故のときに放射性物質が拡散した事態と共通します。国民が不安と困惑の連続にいるなかで、専門家やメディアは科学的なエビデンスに依拠し、楽観にも悲観にも偏ることなく、正確なファクトを打ち出して「正しく恐れる」ように呼びかけるべきです。

 しかし原発事故直後の報道と言論は、すさむばかりでした。ネットで真偽不明の情報が飛び交う中で、当時の売れっ子科学コメンテーターまで「日本にはもう住めなくなる」と発信したこともありました。

 テレビ報道でも放射線モニタリングの最高値だけを強調し「福島は危ない」と煽って風評被害が拡大。某局のプロデューサーが「水素爆発の映像を流せば数字(視聴率)が取れる」と平然と私に言ったときの衝撃は今でも忘れられません。この報道のおかげで、福島に医薬品などの支援物資を届けるドライバーがいなくなり、救急搬送患者や病気療養中の方が亡くなりました。

 避難と籠城、二つの選択肢を、各人のケースに応じて、慎重に見極めて判断する必要があったのに、東京のテレビが避難のみを喧伝し、それに煽られた菅直人総理(当時)は、寝たきりの高齢者の避難を強行。その結果、避難などの震災関連死が1600名に及ぶ二次被害が相次ぎました。避難関連死について、NHKを除くテレビ各社は、いまだに、自らの責任に十分に言及していません。

 今回の新型コロナ感染拡大でも、まるで希望者全てにPCR検査を受けさせるべきかのような、医療資源が有限であることを無視した論者をテレビは登場させています。

 政府の対処が後手に回ったのは確かで、批判、非難もやむを得ません。しかし科学的、医学的根拠が不十分、あるいは根拠はあっても非現実的な言説がはびこるメディア空間のありようを見ていると、3.11から何も学んでいないと思わざるを得ません。

(鈴木寛)

クリステンセン教授の訃報に思う“日本のジレンマ” 【鈴木寛の「2020年への篤行録」第77回】

2020.02.10 Vol.727

 彼のことを大学の講義で学生たちに紹介していた、まさにその日のことでした。ハーバード大学経営大学院のクレイトン・クリステンセン教授の訃報に接しました。名著『イノベーションのジレンマ』は、日本でも広く読まれた偉大なる経営学者です。まだ67歳。白血病で闘病中でした。

 同書をまだ読んでない学生にはまさに必読だとずっと薦めてきました。企業の栄枯盛衰がなぜ起こるのか、その本質を見抜いた慧眼は、イノベーションのメカニズムを解剖し、見事に理論化しました。グローバル化やデジタル化でこれからも経済動向が千変万化していくでしょうが、クリステンセン教授の打ち立てた理論は不朽のものといえます。

 クリステンセン教授の理論では、イノベーションには「持続的」と「破壊的」の2種類が存在します。文字通り、前者は、既存の製品やサービスを前提に技術的な改良を加えていくもので、後者は既存の概念を覆す全く新しいもので市場を塗り替えていくことです。有名な事例としてはカメラを取り巻く一大変化でしょう。

 かつて写真フィルム事業の世界的企業だった米コダック社は、19世紀後半から20世紀にかけ、写真や映画の大衆化に貢献しました。しかしデジタル化の進展で、スマートフォン登場などの「破壊的イノベーション」が起きると市場を食われ続けてしまい、ついに2012年に倒産します。

 しかし、実は同社は世界で初めてデジタルカメラを開発していました。それも1975年のことでしたから、iPhone登場より30年以上も前のこと。既存のフィルム事業の存在が同社には大きすぎてデジタル化に舵を切れなかったのです。まさにイノベーションのジレンマでした。

 コダックの栄枯盛衰の本質は戦後日本にもまさに当てはまります。生前のクリステンセン教授も、「1950年代から70年代初頭は市場開拓型イノベーションか破壊的イノベーションだった」とトヨタやソニーなどの事例を挙げつつ、「90年代以降は持続的イノベーションと効率向上型イノベーションに集中し、非常に堅調だった日本経済の原動力が失われた」と指摘されています(参照:Forbes Japan)。

 日本は成熟化・高齢化を背景に既存のシステムを一度壊す勇気を完全に捨て去ってしまったのでしょうか。私の学生たちの意欲あふれる姿を見ていると、決してそんなことはないと信じています。2020年代の逆襲へ、きょうも学生たちを鼓舞していきたいと思います。
        
 (東大・慶応大教授)

「屋根なし」新国立競技場に見る日本の病【鈴木寛の「2020年への篤行録」第76回】

2020.01.13 Vol.726

 あけましておめでとうございます。いよいよ東京オリンピック・パラリンピックイヤーです。メイン競技場である新国立競技場も完成し、12月15日の竣工式に出席しました。隈研吾先生の見事な設計と、のべ150万人の方々の昼夜徹しての作業のたまもので、世界に誇れる競技場になりました。

 私が文科副大臣時代に建て替えを決断し、明治神宮をはじめ近隣の組織団体にご協力をお願いに回りました。財政難を理由に建設に反対した財務省を納得させるため、toto.法を改正してサッカーくじの収益の一部を財源に充てるように調整したことなど、思い出が尽きません。完成した競技場をみて感無量です。

 ただ1点だけ残念な思いもあります。竣工式の天気は幸いにも目の覚めるような青天でしたが、もし強い雨に見舞われていれば、せっかくの門出に水を差すところでした。新しい競技場には当初の構想にあった可動式の屋根がありません。皆様ご記憶の通り、建設費の高騰を巡る騒動でデザインを変更した際に屋根の設置は見送られました。

 屋根の問題は散々批判されましたが、東日本大震災当時、都内の帰宅難民を対策に携わった経験から、帰宅難民の収容に極めて有効な屋根をつける案を強く主張し、当初は30万人の帰宅難民を収容できるよう計画しました。屋根があれば、大規模なコンサートも天候に左右されずに開催可能で、収益改善にも大きな効果があり、オリンピック後の維持費の問題をクリアできるはずでした。

 竣工式後の懇親会で建設を進めてきた皆さんと屋根の追加工事について議論し、引き続き実現の道を探っていく思いで一致しました。ただし、今度は税金を投入しない形で進めます。税金が絡むと、この国は、マスコミが異様に問題を炎上させ、世論が怪物化して物事が何も解決しない宿痾を抱えています。

 あらためて言いますが、帰宅難民対策としても収益改善にも屋根は本当に重要です。複雑な問題を解決するには知恵の出し合いしかありません。

 私の教え子や友人もメディアに大勢おりますし、一人一人はいい人も多いのですが、組織となると、ひたすら炎上させて、対案は出さず、視聴率稼ぎに執心しがちです。心あるメディアの方だけでも、改心していただき、視聴率の前に、地味で落ち着いた大事な議論の積み重ねを見守ってください。皆でワンチームとなれば、よい社会はなんとか作れます。

(東大・慶応大教授)

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