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鈴木寛の「2020年への篤行録」第41回 AI時代の人生戦略

2017.02.13 Vol.684

 AI(人工知能)の進化で、人間の仕事が奪われる未来の問題がますます注目を集めています。AIが2045年には人間の知能を超える特異点「シンギュラリティー」を迎えるという話の認知度が急速に上がっているように感じます。現在小学生の私の息子はその頃、30代後半。今年生まれた赤ちゃんは28歳。教育に携わる者としては、いまの子どもたちが、AI時代も食べていけるようにするには、どうすべきか危機感を覚えながら、日々の仕事に取り組んでいます。

 そうした中、成毛眞さんの新刊「AI時代の人生戦略」(SB新書)が先月発売されました。書き出しから「『私は文系人間だから、理数系の話は苦手』などと言ってられない時代が、とうとうやってきた」と指摘します。日本マイクロソフト社長などを歴任された成毛さんだけに、サイエンスやテクノロジーに対して無頓着なままでは、これからの時代に生きていくことがいかに大変であるのか見通しておられるのです。

 成毛さんは、STEM教育の重要性を提唱します。STEMとは、科学(サイエンス)の「S」、テクノロジー(技術)の「T」、エンジニアリング(工学)の「E」、マセマティックス(数学)の「M」を並べた造語です。さらに、テクノロジーの進化と密接な関わりのあるアート(芸術)の「A」も含めた「STEAM」という考え方も紹介しています。

 AI時代に、AIを「使う側」になるのは一つの生存戦略ですが、「三角関数も二次方程式もわからない人が、AIやロボットを『使う側』に回れるとは思えない」という成毛さんの指摘は、まったくその通りです。OECDが世界各国の15歳に課す学力到達度調査(PISA)で、日本の子どもたちの科学的リテラシーは欧米よりは高めですが、油断はなりません。本でも指摘されるように、私立大学の文系の入試では、理数科目が免除されておりますし、文系と理系の垣根がなくなっていく時代の人材育成として非常に問題があります。

 実は、この本では、私が成毛さんと対談した章が収録されています。私のパートでは、科学的リテラシーを引き上げていく取り組みとして、高校の科学部の人口を野球・サッカーと同程度に引き上げていくことや、大学入試改革の必要性など、STEM教育の意義を成毛さんと語り尽くしました。

 また、堀江貴文さんも成毛さんと対談し、最新ビジネス動向についての対談を通じて、イノベーターがAI時代を見据えながらいま何を考えているのか、非常に興味深い内容になっております。ぜひご一読ください。
(文部科学大臣補佐官、東大・慶応大教授)

【鈴木寛の「2020年への篤行録」】第39回 トランプ現象はただのポピュリズムではない

2016.12.12 Vol.680

 早いもので今年の本コラムもこれが最後になりました。年の瀬にかけて、激動の2016年を象徴するようなニュースが相次いでいます。言わずもがなのアメリカの大統領選。数々の暴言もいとわなかったドナルド・トランプ氏が勝利し、6月に行われたイギリスの国民投票でEU離脱を決めたのに続いて、全世界に衝撃を与えました。

 ヨーロッパでも余波が続きます。本稿締め切り間際の12月4日、オーストリアの大統領選で、移民締め出しなどを訴えていた極右政党の候補者が敗れたものの、得票率が半数近くと、あと一歩まで勝利に迫りました。同日に行われたイタリアの憲法改正を問いかけた国民投票で、反対票が賛成票を上回り、改憲によって議会制度を改めようとしたレンツィ首相の退陣が決まりました。反対派を後押ししたのが、ユーロ離脱などの反グローバル政策を掲げる新興政党の「五つ星運動」でした。

 欧米で既存の政党を批判する勢力が躍進している背景として、ポピュリズムの激化を指摘する見方があります。ポピュリズムとは日本語で「大衆迎合主義」、つまり有権者の人気取りを最優先にした政策を掲げる政治手法で、たとえば厳しい財政状況を無視して税金を下げるような公約をします。日本では実感がありませんが、移民の流入が深刻な問題になっている欧米諸国では、治安の悪化や雇用が奪われることへの懸念から、移民の受け入れに消極的または反対する自国民も多く、「メキシコとの国境に壁を築く」と宣言したトランプ氏のように“現実離れ”した公約を掲げる候補者もいます。

 ここで私が感じるのは、世界各地で取りざたされる「トランプ現象」を、ポピュリズムと切り捨て、あるいは冷ややかに見ているだけでは、正確に事実を直視していないのではないか、ということです。米大統領選でクリントン氏勝利を確信していた日米のメディア、あるいは有識者と呼ばれるエリートの人たちが、なぜ予測を外したのか。あるいは、結果が出た後に「隠れトランプ支持者がいた」などと分析していますが、早くからトランプ氏の勝利を予測していた数少ない専門家の発信内容を確認すると、共和党の予備選挙参加者がうなぎのぼりに増えるなど党勢拡大の基調だったことが見落とされていた実態があるようです。

 私はアメリカの選挙の専門家ではありませんが、トランプ氏とその支持者たちをよく思わない既存のエリート層が数々の「不都合な真実」に目をつぶっていたのではないかという気がしてなりません。「トランプ現象」は俗説を疑って考えてみることの重要さと、本質に迫る洞察力と分析力を身につける必要をあらためて教えてくれたのではないでしょうか。

(文部科学大臣補佐官、東大・慶応大教授)

鈴木寛の「2020年への篤行録」第35回 ネットが存在感を見せた都知事選

2016.08.08 Vol.672

 都知事選は、小池百合子さんが291万票を集める圧勝を収め、初の女性都知事に就任しました。今回の都知事選もテレビが盛り上がる「劇場型」の様相となりましたが、これまでと違うのはインターネットで広がった論調が、投票行動に一定の影響を与えた可能性が強く感じられる点です。

 3年前の参院選でインターネットを使った選挙活動が解禁された当初は、匿名の書き込みによる誹謗中傷が目立ち、ネット選挙の負の側面がクローズアップされました。ただ、リアルの投票行動に顕著に影響したかどうか微妙な面もありました。

 ところが、今回の選挙戦、地方の首長を経験した有力候補者の出馬が伝えられると、陣営がセールスポイントに掲げた実務能力が本当なのか、有名ブロガーが大手ポータルサイトのニュースブログで検証記事を書いたり、著名な元政治家がネットメディアのインタビューに対し、都政の裏事情について“爆弾”発言をしたりして、その内容がものすごい勢いでネット上に拡散しました。

 この3年間の変化で特に大きかった点として、まず有力ネットメディアの台頭が挙げられます。アメリカでは2000年代にハフィントンポストが米大統領選に影響を与えたと言われますが、日本でも近年、そのハフィントンポストが朝日新聞との合弁で日本に進出したほか、前述の大手ポータルサイトで有識者や有名ブロガーの個人ニュースブログが発足。ほかにも新しいプレイヤーが登場し、新聞・出版から若手の優秀な人材が移籍する動きも出ています。

 そしてスマートフォンの普及も大きな変化です。良質なコンテンツを作る媒体が育つと、今度はそれを拡散する環境が整いました。スマートフォンのニュース・キュレーションアプリサービスの利用者が激増し、新聞、テレビ、出版等の伝統メディアが配信する報道記事と一緒に、エッジの効いた有力なネットメディアの記事も多くの人が見るようになります。新聞、テレビは選挙戦中、政治的公平性を過剰に慮る余り、特定候補者のネガティブ報道は抑制的になります。そんな既存メディアに物足りなくなった若い世代が、ネットメディアの記事を読み、投票判断の材料にするようになったのでしょう。

 興味深いのは、新聞、テレビからの選挙報道を主に接していた親世代までもが、若い世代からネットメディアが抉り出した情報に口コミで伝わる動きが見られたことです。新しい情報の流れ方が生まれつつあるように感じます。ただし、若い世代は、接触した情報を精査する能力も高めねばなりません。欧米よりもメディアリテラシー教育で立ち後れる日本で重い宿題を残しました。 (東大・慶応大教授)

鈴木寛の「2020年への篤行録」第34回 18歳のための都知事選「テレビ選挙」講座

2016.07.11 Vol.670

 本稿の締め切りは、参議院選挙の投開票日(7月10日)の前になりますが、テレビや新聞の報道は、参院選よりも東京都知事選(7月31日)の方が盛り上がりそうな雰囲気です。

 都知事選は、この四半世紀、「テレビ選挙」と言われています。80年代までは、ほかの地方の知事選と比べて、メディアの取り上げ方に大きな差がなかったのですが、90年代から、テレビを意識した候補者のパフォーマンス合戦が激しくなり、タレント出身で無所属の候補者が政見放送とポスターを貼るだけの選挙活動で政党推薦の候補者を破って当選したこともありました。この間、特定の支持政党を持たない人たちの増加に対し、各政党とも、首都特有の選挙の難しさに頭を悩ませています。

 テレビ、特に民放各局の選挙報道が過熱すると、どのようなことが起きるでしょうか。ニュース以外の情報番組でも、主婦やお年寄り向けに、噛み砕いて取り上げるのはよいことですが、番組の作り手が「分かりやすさ」を追求する余り、どうしても誰と誰が出るかばかりに焦点を当てた報道が中心になります。

 今回の選挙戦は、任期途中で辞任した舛添前知事がやり残した政策的な課題は一体何だったのか、そこをしっかり検証するのが筋ですが、あれだけ連日、辞任に至るまで報道していた割に、辞めた後のことは置き去りにされがちです。

 選挙が「劇場化」してしまうと、候補者の方も本気で勝ちに来ている陣営もあれば、都政とは関係のない、自らの主義主張をしたいだけの陣営、新しい方法論を試すことに注力する陣営など、次の都政に向けた本来の政策論争からやや逸脱した選挙模様になりかねません。今度の都知事は、オリンピック・パラリンピックの開催準備という歴史的使命はもちろんのこと、かつてない超高齢化対策、一向に解消されない待機児童問題など、難題が山積みです。

 前回のコラムでは、参院選を迎える18、19歳の有権者のみなさんに向け、「各政党・候補者がどのような公約を掲げているのか、他党の公約や専門家の指摘と擦り合わせて一つ一つ吟味をする」と書きました。テレビの選挙報道は、あくまで一つの判断材料として、自分の頭で考え、友や師と議論すべきなのは、都知事選も同じです。

 参院選で初めて投票した都内の18、19歳の有権者の皆さんにとっては、良い意味でも悪い意味でも、テレビが選挙をどのように取り上げ、どれだけの影響を投票行動に与えるのか、そして視聴者である皆さんが、そうした選挙報道にどう向き合うか、格好の実践の場が来たと言っていいでしょう。

(文部科学大臣補佐官、東大・慶応大教授)

【鈴木寛の「2020年への篤行録」】第33回「18歳選挙権」にわかブームにするな

2016.06.13 Vol.668

 衆参同日のダブル選挙は、熊本地震の影響もあって見送りになったものの、6月1日の国会閉会後、各政党は参院選に向け「選挙モード」に入っています。朝日新聞の世論調査では、参院選の投票先を選ぶ際にもっとも重視する政策を尋ねたのに対し、「医療・年金などの社会保障」が最多の53%。続いて「景気・雇用対策」(45%)、「子育て支援」(33%)と生活に密着した内容が相変わらず多く挙げられました。

 今回の参院選、なんといっても注目は「18歳選挙権」初適用です。諸外国では選挙権年齢が10代に引き下げられており、日本もやっとこの潮流に乗ることになりました。何よりも我が国は「シルバー民主主義」と言われるように、少子高齢化で多数派のシニア世代の意見が通りやすいのが実状です。若い世代の政治参画のすそ野を広げていくためにも、この「18歳選挙権」導入が実現することを心から歓迎したいと思います。

 一方で、参院選に向けた「18歳選挙権」を巡る報道を見ていると、各党の若者向けアピール合戦といった目先の現象にとらわれ、本質的な意義が正確かつ深く理解されないのではないかという危惧を抱いています。3年前の参院選をご記憶でしょうか。インターネットを使った選挙活動、いわゆる「ネット選挙」が解禁されたのがこの選挙戦でしたが、マスコミが大々的に報じた割に若い世代の投票率が劇的に改善することもなく、期待されたネット上の政策論議もあまり見られず、むしろ中傷やデマ、ネガティブキャンペーンが横行する等、「から騒ぎ」に終わった感があります。今では政治や選挙のネット利用の意義が忘れ去られています。

「18歳選挙権」は「ネット選挙」の轍を踏んではなりません。すなわち、にわかブームにしてはならないのです。

 政治や社会を変えるのは、とても時間がかかります。かのマックス・ウェーバーが「政治という仕事は、情熱と判断力の両方を使いながら堅い板に力をこめて、ゆっくり穴を開けていくような仕事です」と述べたように、本来の政治は、地味で地道なことの積み重ね。さらに「子育て支援を充実するなら他の財源を削る」といった様々な矛盾や葛藤、トレードオフがあるのです。

 そうした現実を直視し、仲間たちと熟議する。待機児童問題に悩む子育て世代などの当事者たちに話を聞くと理解が深まります。もちろん、皆さんが当事者世代である奨学金問題や社会保障の世代間格差について、各政党・候補者がどのような公約を掲げているのか、他党の公約や専門家の指摘と擦り合わせて一つ一つ吟味をする―。初めての一票を投じるまで、その重みをぜひ感じてください。
(文部科学大臣補佐官、東大・慶応大教授)

【鈴木寛の「2020年への篤行録」】第31回 AIの進化を見据えて自分を磨く時代

2016.04.11 Vol.664

 驚くニュースが飛び込んできました。グーグル傘下のベンチャーが開発した囲碁のAI(人工知能)、その名も「アルファ碁(AlphaGo)」が、世界最高峰の呼び声のある韓国の棋士と5局対戦し、4局で勝利しました。

 すでにチェスは90年代後半、将棋は数年前にトッププロを破っていますが、碁は、チェスや将棋と比べて形勢判断が複雑とされ、「囲碁はあと10年程度はかかる」という予測もありました。AIが人間の知性を上回るシンギュラリティー(技術的特異点)が2045年頃に訪れるという話もありますが、チェス、将棋、囲碁の世界においてはシンギュラリティーの一足早い“到来”です。

 前回、大学入試で記述式を大幅に増やす改革を論じましたが、その狙いの一つはシンギュラリティー時代への対応。工業化社会の名残で「教科書や先生に教わったことを間違いなくできるようになる」という人材育成では、もはや通用しません。コンピューターに置き換わる仕事がどんどん増えて行くでしょう。だからこそ、情報化社会の時代では、自分で物事を考えて、生産性を高めていかないとならず、考え、書く力を養う契機を作るのが入試改革なのです。

 今年大学に入学した皆さんは、シンギュラリティーが起きるメドとされる2045年は50歳前後。まだまだ現役バリバリのビジネスパーソンです。そこまで待たなくても、囲碁や自動運転のように、シンギュラリティーが訪れるのがもっと早い分野もあることでしょう。つまり、皆さんは、未来を見据えた上で、人間でなければできないことは何かを常に考えながら、学問をし、師や友と語らい、自己研鑽をしていかないとならない時代に生きているのです。

 人間でなければできないこととは何か? 私がひとつ思うのは、価値判断能力です。卒のない仕事を進めていくオペレーションの部分は機械に取って代わられていくにせよ、政治家が「福祉予算を高齢者向けから子育てに回す」、経営者が「今はこの事業で採算見通しがなくても将来必ず芽が出るから投資をする」などといった意思決定は、人間の領域です。過去にはない発想、イノベーションはまさにそこから生まれます。自分の価値判断能力を高めるにはどうすればいいか、その視点を常に持ち続けていきましょう。
(文部科学大臣補佐官、東大・慶応大教授)

【鈴木寛の「2020年への篤行録」】第30回 「大学生読書ゼロ時代」の入試改革

2016.03.14 Vol.662

 本稿の締め切り直後、東京大学の入試前期日程の合格発表を迎えました。後期日程の入試は今回から廃止されましたが、新たに始まった推薦入試の合格者と合わせ、約3,000人の新入生が決まります。皆様、おめでとうございます。

 そんな大学入試シーズンど真ん中の時期に、気になるニュースが流れていました。全国大学生活協同組合連合会が毎年行っている生活実態調査において、1日の読書時間が「ゼロ」と回答した大学生の数が過去最高となる45%を超えたというのです。

 本を読まない大学生は以前から一定数存在します。同調査では30%台で推移していました。しかし2013年調査で初めて40%台に達し、今回一気に5%も増加したのです。一方、スマートフォンの利用時間は平均155分といいますから、メディア環境の影響は大きいのではないでしょうか。少なくとも一定割合の学生が、本を読まずにスマホに流れていることは容易に想像できます。

 彼らは子供時代からもともと「本嫌い」だったのでしょうか。そんなことは決してありません。文部科学省や様々な民間機関の調査では、小・中学生の時点では本を読んでおり、その成果を裏付けたのがOECD(経済協力開発機構)のPISA調査。日本の15歳は、2012年に加盟国34カ国中、読解力リテラシーは1位でした(総合1位)。ところが高校生になると、本を読まない学生が半数近くに増えてきます。

 本を読まなければ、当然、文章を書く力は身につきません。ベネッセが2013年に大学に行ったアンケートで「文章を書く基本的なスキルが身についていない学生がいるか」を尋ねたところ、「半分以上」と答えた大学が37.2%、「3割くらい」と答えた大学39.8%に上ったそうです。書く力は大学で論文の提出で必要ですし、社会に出てもビジネス用の文書作成が要求されます。

 読書力は文章力と表裏一体なわけですが、私が大学入試改革で、マークシート偏重を改め、記述式をもっと増やしていこうと取り組んでいるのは、「文章力を入試で問うようになれば、生徒も学校も予備校も本気で文章力を身につけようと意識が変わる。本に向き合う気持ちも自ずとわく」と考えるからです。

 ところが、不思議なことに一部の新聞メディアは、大学入試改革で記述式を導入することに「改革ありきの迷走は止めよ」だとか「見切り発車が混乱を招く」などと、ずいぶん批判的です。もう10年余りも教育行政や学校現場では、学力(この場合は文章力や読解力)向上に試行錯誤しているのに、本を読まない大学生が半数近くいる現実を変えることこそ待ったなしではないでしょうか。

 NHK放送文化研究所が先日発表した調査で、平日に新聞を読んでいる20代男性は8%、女性は3%などと若年層の新聞離れが顕著に示されました。若者たちの読書力・文章力を底上げすることは、新聞社の皆さんと“利害”が一致するはずですが……。(文部科学大臣補佐官、東大・慶応大教授)

鈴木寛の「2020年への篤行録」 第15回 世代別選挙区導入の論議を

2014.12.07 Vol.632

「民主主義は最悪の政治形態と言うことが出来る。これまでに試みられてきた民主主義以外のあらゆる政治形態を除けば」。有名なチャーチルの名言ですが、これは第二次世界大戦終結から2年後の1947年の下院演説で語った言葉でした。独裁体制のナチス・ドイツ相手に苦闘し続けた体験、そして冷戦期の始まりでスターリン体制のソ連が新たな脅威になりつつある国際情勢が、こういう皮肉めいた言い方で民主主義を評させたのでしょう。

 この言葉の前段には「民主主義が完全で賢明であると見せかけることは誰にも出来ない」。チャーチルは先見性に優れていた政治家です。早くからナチスの脅威を予告し、首相になる前の政権が宥和的な外交政策を取ることについて反対していました。やがてその予測は的中し、国の危機感が高まったところで彼は政権の座に就くわけですが、独裁国家に大戦で勝利した後、今度は民主主義の機能不全をまるで予見していたかのような言葉に彼の達見ぶりを見て取れます。

 議会制民主主義は民意を反映した政治を行い、独裁的な権力行使を抑制することにメリットがあるわけですが、現代社会のように社会が複雑化し、有権者の価値観が多様化してくると、その世相を反映したように議論が堂々巡りになり、意思決定が滞る、あるいは自分たちの利益を適格に代弁する代表者がいなくなる、という事態に陥ります。まさに民主主義の弱点です。かつて日本の国会で衆参の多数派が分かれた「ねじれ国会」もそうですし、近年では米国議会が連邦債務の上限引き上げを巡って紛糾し、デフォルト寸前まで至ったのが典型的な事例でしょう。そして今は人種を巡る問題で全国的な暴動に直面しています。

 日本でも衆議院が解散し、総選挙が2日からスタートしました。この原稿が掲載される頃には選挙戦は中盤でしょうか。しかし争点が見えづらい選挙と言われ、報道各社の世論調査を見ても解散に納得しない方が6、7割に達します。若者は財政や社会保障制度破たんの可能性を含め、本音の議論を聞きたいのに、各政党は多数派の高齢世代のマーケティングに終始しています。それがまた若者を失望させ選挙から遠ざけてしまう負の連鎖になっています。

 地域別で利害を調整する意味で選挙区がありますが、いっそのこと東大の井堀利宏先生が提唱する年代別選挙区の導入により、各世代の利益を代表する議員を送り出すようになれば政治への関心も回帰するかもしれません。ネット投票を自宅で出来るようにするようにもなれば、選挙の風景は一変しそうですが、まだまだ五里霧中です。しかし、この国に彷徨っている時間は無いのですが。。。

(東大・慶大教授、元文部科学副大臣、前参議院議員)

鈴木寛の「2020年への篤行録」第14回 話題沸騰 G型大学、L型大学

2014.11.10 Vol.630

 このたび文部科学省の参与に着任いたしました。東大と慶応大の教授を兼務していますので一度ご辞退申し上げたのですが、学識経験者として非常勤でも構わないということでした。それでも悩んでいたのですが、親しい大学のトップクラスの方々、小学校や中学校など信頼できる現場の皆様にご相談したところ、「文部科学省の中に入って政策の質を上げてほしい」「現場を知っているすずかんにこそ中に入るべき」との声に後押しされました。

 下村大臣からのオファーは、文科省の諮問機関である中央教育審議会(中教審)の安西祐一郎会長と、安西先生を脇で支える文科官僚諸君の「チーム安西」をサポートしてほしいとのことでした。大学入試制度改革やフリースクール・不登校問題などの課題に取り組んでいきます。

 さて、私の「文科省復帰」が公表された先月下旬、経営コンサルタントの冨山和彦さんが安倍総理に提起した今後の大学のあり方が経営者や教育関係者の間で大変話題になりました。プレゼン資料(我が国の産業構造と労働市場のパラダイムシフトから見る高等教育機関の今後の方向性)によると、これからの大学は2つの方向性、すなわち情報産業や製造業等グローバルで勝負する人材を育てる「G型大学」、介護・外食・流通・観光など内需型経済で働く人材を育てる「L型大学」にカテゴライズされるべきとのこと。特に皆さんの注目を集めたのは「L型大学」では、「学問よりも実践力を養うべき」として学ぶ内容の転換を提言していることです。例えば経済・経営系の学部なら「ポーターの戦略論ではなく簿記・会計や会計ソフト」、あるいは工学部なら「機械力学や流体力学ではなく、トヨタ自動車で使われる最新鋭の工作機械の使われ方」というような具体例も示しています。

 私は世の中が求めている人材は3つの型があると考えます。このどれかというのではなく、下記のA、B、Cの要素を組み合わせて、それぞれの若者にあった人生設計を考えていく際の参考となる枠組みとしての話です。1つは人類に新しい価値を創造する「A型」。本田宗一郎さんのような先駆的経営者、山中伸弥さんのようなエポックメイキングな科学者が象徴例です。2つ目は日本で成功した技術やサービスをアジアに輸出する「B型」。こちらは技術力に優れ、異文化コミュニケーションが得意な人材。たとえば、製造業、コンビニ、学習塾、交番、専門学校、病院、鉄道、住宅など日本発祥で他国にも認められるものを、新興国の発展にそれを伝え、活かしていく人材です。「C型」は、高齢化するなかで、医療・介護・観光などソーシャルヒューマンサービスに適した人材、すなわち、世代や立場をこえて相手の立場にたってコミュニケーションできる人材が求められます。

 このA、B、Cのポートフォリオがそれぞれの大学・学部が、社会から求められる比率が異なるということだと思います。例えば、東大医学部も、A型の基礎研究でノーベル賞を目指す学生もいれば、B型の日本の臨床技術を薬や医療機器や病院の輸出の形で国際貢献することをめざす学生もいれば、C型で、将来、地域医療に従事し、また、地域ごとの医療政策に深く関与することをめざす学生もいますので、そのバランスが、それぞれの地域特性、社会状況によって、異なるということだと思います。A,B,Cいずれも大事な仕事です。

 そうなると、冨山さんが言うように「L型大学では六法を広く浅く学ぶ法学部の必要性は低くなる」ではなくて、私なら超高齢化社会を見据え、法学部ではなくむしろ地域医療福祉関係の学部をしっかり整備し、医療や福祉の知識や技能を磨き、合わせて、その学部のカリキュラムのなかで関連法も合わせて徹底して学ぶ体制づくりをし、C型人材の育成に注力すべきと考えます。

 少子高齢化、人口減少、労働生産性、地方創生——大学全入時代にあって、日本社会が直面する課題を解決する人材づくりをどうするか、グランドデザイン作成がいままさに求められています。このタイミングで文科省に復帰した私も、これまでの知識、経験をフル活用して取り組んでいくつもりです。
(東大・慶大教授、元文部科学副大臣、前参議院議員)

鈴木寛の「2020年への篤行録」 第13回 東京オリンピックのソフトレガシー

2014.10.13 Vol.628

 先日、神戸新聞から「関西で東京オリンピック・パラリンピックについてできることとは?」というテーマのコラムをオファーされました。私は神戸の出身で、その地元紙からのたっての願いということで喜んでお引き受けしました。しかし反面、そういった種類の原稿を書く依頼が来た背景を考えると、2020年東京オリンピック・パラリンピックに期待を寄せる「温度差」「地域差」を感じてしまいました。

 どうしても東京との距離が心理的にあるのでしょう。加えて、私も半分は関西人の気質があるので、よく分かるのですが(笑)東京に対する関西独特の対抗意識も影響しているのかもしれません。しかし、改めて言うまでもなく2020年の大会は、東京だけでなく、日本を挙げてのプロジェクトです。都民だけでなく、全国民が一体となった機運が生まれなければ、世界中に大会の熱を伝えることはできません。

 心の距離を埋めて、オリンピック・パラリンピックを「自分事」にしてもらうには、どうすればいいのか、私なりに思案しコラムを書いてみました。東京の読者の皆さんが、神戸新聞を読む機会はほとんどないでしょうから、概略を説明しましょう。関西の方々が今一つ乗り気になれない要因として、国際的なスポーツ大会開催の意義を、インフラや経済効果のような「ハードレガシー」でしか位置付けられないような、高度成長期の価値観にとらわれているのではないかと指摘しました。そこで私は、大会がもたらす「ソフトレガシー」にもっと目を向けるように提案しました。ソフトレガシーとはスポーツを通じた社会教育基盤や、心身の健康を保つためのコミュニティのことです。

 1964年の東京オリンピックに際し、日本中に誕生したのが日本スポーツ少年団でした。野外活動やレクリエーションを通じて、子どもたちの健全育成をしてきました。あれから半世紀が経ち、Jリーグ創設があって地域の総合型スポーツクラブが各地に誕生し、スポーツ基本法制定による後押しも加わって、スポーツのコミュニティが着々と増えてきました。今度は2020年大会を機に、ライブでリアルタイムに各国選手団の活躍を見ることができますから、そうしたソフトレガシーの基盤はさらに整う流れになります。キャンプ地は、全国1700の自治体どこにでも可能性はあります。2002年のサッカー日韓W杯では、カメルーン代表のキャンプ地となった大分・旧中津江村が話題になりました。

「見る」だけでなく、「する」レガシーもあります。コラムでは関西の事例として、元ラグビー日本代表の平尾誠二さんが理事長を務めるNPO法人「スポーツ・コミュニティ・アンド・インテリジェンス機構」(神戸市)を紹介しました。この法人は名門・神戸製鋼ラグビー部の人材や地域のリソースを総動員して、ラグビーの指導から指導論・人材育成の座学まで幅広い層の人たちに展開しています。

 開催地である東京でもソフトレガシーの意義を見落としています。多摩地区ではしばしば「オリンピックの効果が実感できない」という声を聞きますが、キャンプ地に関していえば地方よりも立地条件は恵まれています。選手団との交流は街の歴史に誇るべき出来事になり、触発された子どもたちの視野を大きく広げるきっかけになるのです。
(東大・慶大教授、元文部科学副大臣、前参議院議員)

鈴木寛の「2020年への篤行録」第12回 パリで羽ばたいた東北の子どもたち

2014.09.15 Vol.626

 8月下旬、パリで開催された「東北復幸祭〈環WA〉」に行ってきました。岩手、宮城、福島の中高生が参加した「OECD東北スクール」の生徒たち100人が、世界中に東北復興のアピールと支援への感謝を込めて、2年半をかけて準備してきた一大イベントです。フランス政府とパリ市のご厚意で、なんとエッフェル塔前のシャンドマルス公園を会場に15万人もの方々が来場していただきました。

 OECD東北スクールは2011年春、OECD教育局の皆さんが被災地への教育関連の支援で何ができるか視察のために来日された際、当時文科副大臣だった私の提案もあって始まったプロジェクトです。肝は20世紀型の教育に戻すのではなく、22世紀型の教育を先取りした「創造型復興教育」。私は来日したOECDの皆さんに対し、「亡くなった2万人の御霊にこたえるためにも、残された子供たちがこの地域をもう一回、しっかり盛り立てていくことが最大の供養になる」と申し上げました。OECD教育局は先進各国の教育への取り組みを調査、研究し、教育改革の推進や教育水準の向上を図ることを目的としていますが、世界に先駆けようという前代未聞のプロジェクトです。しかし幹部の方が「日本から始めてみようじゃないか」と提案に乗ってくださいました。そして、震災から1年後の2012年3月、被災3県の生徒たちが集まって、授業が始まります。初回は池上彰さんにファシリテーターを務めていただいて学習意欲を高めてもらいました。目指すは2014年9月、パリで開催するイベントを成功することです。

 生徒たちは企画から実行準備を原則、自分たちの手でやってきました。イベントのスポンサー集めでも企業を回ってプレゼンをしました。熱意に動かされ、経済同友会や楽天、ユニクロ等の大手企業も多数賛同してくださいました。プロジェクト・ベースド・ラーニングを通じ、リーダーシップや企画力、想像力や建設的な批判思考力(クリティカルシンキング)、交渉力などを培い、今後10年、20年の長きに渡る復興の立役者になってもらいたいというのが、OECDや私たちの思いでした。

 イベントでは、津波の高さと同じ26.7メートルに設定したバルーンを飛ばし、津波被害の広がりをイメージしたドミノ倒し等、被災状況を分かりやすく伝える工夫もされました。そして南三陸・戸倉地区の鹿子躍りといった伝統芸能や、「さんまdeサンバ」と銘打って郷土の水産資源のアピールをするフラッシュモブ等の企画も行い、来場した皆様の歓心を得ていました。
 今回の取り組みを通じて、一番うれしかったのは生徒たちの成長を劇的に後押ししたことです。途中、感想を提出してもらっていたのですが、被災直後は茫然自失だったという生徒も、「津波にのまれた過去を乗り越えて、この体験を情報としてみんなに話し、それに前向きに考えて行動することができた」と語るなど精悍になっていきます。なにぶん3年近くも一つのプロジェクトに関わるのは大人でも少ないこと。18歳の参加者には人生の6分の1、15歳には5分の1をも占める「長期間」です。それだけでも濃密な体験になったか分かります。この2年半、生徒やスタッフを支え続けたOECD本部教育局のプロパー職員の田熊みほさん、文部科学省の南郷市兵さんの尽力が光ります。

 幕末の薩長の若者たちもまさに時代に荒波を乗り越えて、たくましく育ち、明治維新の原動力になりました。国難はピンチでありながら、人を鍛え、大きくするチャンスでもあるのです。今度は21世紀の東北、日本を支え、リードする人材が、この参加した100人から輩出されるものと期待しています。

(東大・慶大教授、元文部科学副大臣、前参議院議員)

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