“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第105回目は、チョコプラからのつっこみについて、独自の梵鐘を鳴らす――。
ラジオ番組『チョコレートプラネットの東京遊泳』で、チョコプラが俺に対して物申していた。平たく言えば、俺の分析芸に対する疑問、つっこみ、苦言――。
まず言いたいのは、かなり突っ込んだ内容だったにもかかわらず、特にネットニュースにならなかった点だ。率直に、申し訳なさを感じている。俺のバリューが少ないからなんだろうな。女性タレントがSNSで新しいバッグを購入したことを報告するだけでネットニュースになる時代に、無風で終わってしまったことを陳謝したい。
これで終わってしまうのも、いささか気持ち悪い。なので、彼らからの檄だと思い、俺なりに自分を考察しておきたいと思う。
長田は、「徳井さんはいろいろ芸人さんについて指摘したり、分析していたりするけど、徳井さん自身で何かしました?って思う」的なことを皮切りに、好き勝手言ってくれた。その好き勝手具合は、まさに俺がやっていること。放言されて当然。むしろ、清々しささえあった。なるほど、そう思うよねって。
まさにそうなんだ。俺はお笑い界で、何もやっていない人間。視聴者代表。その俺が、ああでもないこうでもない――と、なんちゃってインテリゲンチャよろしく勝手に分析し、「(何も成し遂げていない)お前が言いうんかい!」と指摘される。
今は懐かしき『333 トリオさん』。この番組にちょいちょい登場していた俺は、現在の分析芸(あえてそう称しておく)の原型のような発言を、俺より売れている若手のジャングルポケット、パンサー、ジューシーズにしていた。そして、「吉村さんならわかるけど、徳井さんに言われたくないですよ!」なんてつっこまれていた。嗚呼、懐かしい。構造自体は、俺の分析・批評はボケみたいなもの。
そう。俺の分析芸は、今でこそ自分が意図していない形で面白がっていただいているけど、最初は他愛もないボケのやり取りにすぎなかった。『ゴッドタン』の腐り芸人のおかげもあって、いつしかボケでおさまっていた分析が商品の分析へと転生するなんて、俺自身予想できなかった。人生は、どうなるかわからない。
意図していなかった形で、分析芸が一人歩きをし始めたことに対して、俺自身、考えるところはある。分析だけじゃない。芸人のエピソードを好き勝手に話す俺に対して鼻をつまむ人だっているだろう。だから、いろいろ考えるところはある。
一つだけ。俺が何か芸人エピソードを話すときは、“よいこと”しか言わないと決めている。よいことや気持ちのよいことを聞かされて嫌な思いをする人はあまりいないと思う。この世は、あまりに煩悩が多く、嫌なことがあまりに多い。俺は、40歳が迫ったとき、ふと「ほめたいと思ったときにほめよう」と決めた。俺のYouTubeチャンネル『徳井の考察』も、そんな気持ちから始まり、結果、今の芸風につながっているところがあると思う。対象となる人は照れくさいだろうけど、俺は人をほめたいだけ。俺が何もすごくないからこそ、周りにいるすごい人を伝えたくなる。
誰からも頼まれていない、よいことを勝手に伝える。ボランティア活動のようなものだ。俺は、芸人愛を勝手に語る紙芝居のおっさん。正直なところ、長田の言葉は少し悲しかった。ただ、冗談からはじまった分析。瓢箪から駒が出たことが、どんどん転がって大きくなりすぎてしまっているところに、当初の「お前が言いうんかい!」と冷や水をぶっかけてくれたチョコプラに、お笑い的立場として感謝の気持ちもある。
この件は、きちんと公の場で話した方が面白いんじゃないかな。「大した実績を残していない徳井が分析するのは是か非か」。チョコプラと相方・吉村を招いて、俺というお笑い裁判官をさばく弾劾裁判をやっていただきたい。興味を抱いたメディア関係者の方、ぜひマッチメイクをお願いします。
チョコプラの二人。長田は主義主張が強く、過去にも言い争いになりかけたことがある。そして、面白ければいいというタイプの松尾は、その隣で淡々と薪をくべていく。白熱の展開になるような。
彼らは、今まさにお笑い界、芸能界の荒波に必死に抗っている最中だと思う。でも、その航海に疲れた人、あきらめた人もたくさんいるんだよなぁ。