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男も女も見惚れる、小気味いいほど男前の女がいた!

2016.08.07 Vol.672

 江戸時代の敏腕出版プロデューサー・蔦屋重三郎をモデルにした「蔦重の教え」の著者による最新刊は、江戸前期に男装の麗人として一世を風靡し、今に語り継がれる太夫・勝山をモデルにした作品。浮世絵や江戸料理に関する著作もあり、江戸文化に造詣が深い著者が、謎の多い勝山太夫の物語を、江戸情緒たっぷりに生き生きと描く。

 主人公の勝山は、湯女風呂で働く、大柄で冴えない少女。ちなみに、湯女風呂とは、風呂やで働く女性で、客の髪を洗ったり、背中の垢を掻くなど、入浴の手伝いをするのが仕事。

 しかし、日中は風呂客の手伝いをしながら、夕刻になると宴席を設け芸妓や、下層の娼婦としても働いていたという。そんな環境に置かれた田舎訛りが抜けず、ボロボロの着物を着て、愛想のひとつもない少女が、吉原の伝説の花魁になるまでのサクセスストーリーだ。

 身なりを構わないものの、その少女・勝に何か光るものを見た細工師の銀次は「俺がおまえを変えてやる。誰もが振り向く、いーい女にな」と宣言。自分の元に置き、踊り、三味線、唄、読み書き、算盤など、一通りの教養を身に着けさせ、着物を与え、化粧を施し、外面、内面から変えていった。そこで誕生したのが、派手な小袖に、黒の着流しを重ね着て、細身の台小刀を差した行きな男姿の勝山だ。勝山の着こなしを真似するもの、そんな男装の麗人をアイドルのように追っかける女の子など、今をときめくファッションリーダーとして、有名になっていく勝山。さらにその人気を押し上げたのが、湯屋での酒競べ対決。娼婦として男性をとらない代わりに、自分を拾ってくれた湯屋に恩返しをしたいと、夜ごと酒豪自慢の男たちと酒飲み対決をし、世間の注目を集めた。女だてらに酒が強い勝山は、連戦連勝。何とか勝山に勝とうと武士までが客となり、その評判はうなぎのぼり、江戸一番の人気者に。しかし彼女の心の中には、常に振り払う事のできない暗い影が。自分を湯女風呂に置いてくれ、優しくしてくれた大好きな先輩・市野、自信の無かった自分を変えてくれた銀次、湯女で働く仲間たち、湯女風呂の主人らによる彼女を取り巻く環境で起こる、楽しい事、つらい事。そして忘れることのできない過去。それらを乗り越え、いかにして吉原一の花魁となったのか。どこか切なく、しかし痛快な勝山太夫の一代出世物語。

 “人気”という不確かなものに人生を丸々捧げ、ひっそりと芸を磨き、夢を売る人々のお話です

2016.07.24 Vol.671

「週刊ポスト」の好評エッセイ“笑刊ポスト”が単行本化。堅苦しくなく、自分が触れた、憧れた、リスペクトする芸能人の魅力を高田文夫らしい名調子で綴った本。取り上げる人選も幅広く、岡村隆史、フランク永井、ナンシー関、清水ミチコ、高倉健、立川談志、菅原文田、岸部一徳、森田芳光、柳亭市馬、立川談春、みうらじゅん、石井光三、小倉久寛、吉幾三、森繁久彌、サンドウイッチマン、氷川きよし、太田光、ビートたけし、大瀧詠一、荒井修、水谷豊、立川志らく、徳永ゆうき、望月浩、舟木一夫、中村獅童、樹木希林、宮藤官九郎、倍賞千恵子、六角精児、安藤昇、横山剣、火野正平、堀内健、林家たい平、沢田研二、春風亭柳昇、永六輔、山口小夜子、ポカスカジャン、田中裕二、橘家円蔵、ジェームズ・ディーン、なぎら健壱、立川志の輔、マギー司郎、大竹まこと、伊藤克信、桂米朝、イッセー尾形、なべおさみ、真中満、石川さゆり、国本武春、増位山太志郎など芸人、歌手、コラムニスト、落語家、俳優、イラストレーター、歌舞伎役者、モデルとさまざま。

 昭和の芸能史を飾った人たちの素顔をチャーミングに紹介している。その中には、今月亡くなった永六輔に関する章も。青春期の憧れの星であった永の追っかけをしていた高田。高いチケットを払いコンサートに行き、深夜放送を聞き、その番組に投稿し…と涙ぐましいまでの思いを注ぎ、終いには弟子入りを決意。長文の入門志望を書いたという。その顛末のエピソードがまた洒落ていて、そこに永六輔という人間の茶目っ気、面白み、洗練された生き方が垣間見える。長年の夢が叶い“ふたり会”ライブ「横を向いて歩こう」も開催。その時の掛け合いもまた楽しい。その章で高田は「最も影響をうけた3人といえば“作家部門”で永六輔“落語部門”で立川談志そして“生き方部門”でビートたけしだろう」と書いている。すでに談志も永もいなくなってしまったが、彼らについて書かれた同書は、日本の芸能界の歴史そのものの貴重な資料であるともいえる。長年芸能の世界に携わり、鋭い観察眼と、飛びぬけた記憶力を持つ高田には、もっともっと昭和から平成を彩った芸能の記録を書き残してほしいと思う。

人の心の裏の裏まで描き出す極上のイヤミス6編!!

2016.07.12 Vol.670

 読後、後味が悪く嫌な感じになるがクセになるミステリー“イヤミス”。そのイヤミスの女王といわれているのが、湊かなえ。同書は湊の原点回帰と言われ、6編の短編すべてが読後、心をざわつかせる。

 全編を通して感じられるのが、人間の悪意。ところがその悪意、まき散らしている本人は、善意だと思っているところが恐ろしい。自分はすべて正しい。自分こそ善で、ほかの人から恐ろしいほどの悪意を向けられていると思っている。読み終わると背筋が凍る結末だが、読中はむしろそんな登場人物に共感している自分に気づく。

 表題作の「ポイズンドーター」と「ホーリーマザー」は、それぞれ1編の作品だが、娘と母親側から見た風景を描いている。東京で女優として活躍する弓香の元に、地元の友達から同窓会の誘いがくる。しかし弓香はそれを仕事を理由に断ったのだが、本当の理由は自分の母親。弓香の事をとても心配しているふりをして、弓香を自分の思い通りにさせたい。幼いころは分からなかったが、成長するにつれ、母親のドロドロとした悪意をはっき理解するようになる。そんな母親から逃げるように上京した弓香だが、しょっちゅうかかってくる電話により、神経をすり減らされる毎日。そんな時“毒親”をテーマにしたトーク番組の出演依頼が舞い込み…。弓香は母親の呪縛から解き放たれるのか。

 そして、「ポイズンドータ—」のアンサーストーリーとして同書のために書き下ろされた「ホーリーマザー」には驚くべき結末が書かれている。その2編のほかには、出産のために里帰りした妹と、ずっと実家暮らしで両親の面倒を見ていた姉の関係を描いた「マイディアレスト」。脚本家を夢見てコンクールに応募、最終選考に残った3人の男女の称賛、嫉妬、葛藤などのもやもやした心の動きを追った「ベストフレンド」。同じアパートに住む男の子が母親に虐待されることを知ってしまった女子高生が、何とか彼を救おうとするものの、自分自身も母親と確執を抱えている「罪深き女」など、どれも負のオーラ満載作品ばかり。イヤミスの女王、本領発揮の同書、怪談より怖いと感じる人も多いのでは。夏の夜、寝苦しい時に読むと悪夢を見る事間違いなしのホラーな一冊。

いつの間にか、心のクローゼットは甲冑だらけ『女の甲冑、着たり脱いだり毎日が戦なり。』

2016.06.25 Vol.669

 コラムニスト、ラジオパーソナリティー、作詞家、音楽プロデューサーと多数の肩書を持つ著者、ジェーン・スー。最近では、未婚のプロとしてのエッセイ本が大人気の作家である。そんな彼女の最新作が『女の甲冑、着たり脱いだり毎日が戦なり。』だ。

 なりたい自分になる、世間からこう見られたい(見られたくない)など、自意識と社会の中で折り合いをつけるためにまとう甲冑の数々。クローゼットにギッチギチに詰め込まれたそれらの甲冑をひとつずつ取り出し、自分がどんな時にその甲冑を着、どんな思いで脱いだのか、そしてそれを再びクローゼットにしまったのかを、ユーモアを交えつつ鋭く解き明かしていく。ジェーン・スーがすごいのは、これまでの切れ味鋭い女性エッセイストのように、ヨガやオーガニックなど、“おしゃれで健康的な生き方をしている素敵な私”に“オーガニックってファッションではないですか?”と先制でパンチを繰り出すも、実際にオーガニック野菜を食べてみたら想像をはるか超えるおいしさに驚きを通り越し、オロオロしてしまう心情までを吐露。そこからの揺れ動く気持ちを、いわゆる“おしゃれな私、素敵ライフ”をSNSに上げる女性に対し、敵対心というか、説明できない嫌悪感を持つアラフォー以上のこじらせ女が共感できる言葉で分析してくれる。“今さらしゃらくさくて、オーガニック万歳とは叫べないわ”と思いつつ、オーガニック野菜は食べたい。このなんとも面倒くさい感情について、“そう感じてもいいんだよ”と優しく肩を抱いてくれる感じ。

 断捨離やミニマリストがおしゃれでトレンドな生き方と言われても、“そんなのしらんがな!”でどんどん増えていくクローゼットの甲冑たち。それらを持て余している女性たちに最後の「結びに代えて」で、ジェーン・スーは言う。“甲冑の全試着が、即、理想のクローゼット作りに直結しなくても良いのです。本物のクローゼットならまだしも、心のクローゼット整理はゆっくりやるほうがいいんだよ”と。これからも甲冑を着て、自分を守りながら生きていかなければいけない女性たちへの心強いエールが全編を通し聞こえてくるエッセイだ。

まだだ。まだ足りない。諦めるな、掴み取れ!真実はひとつだ。

2016.06.14 Vol.668

 7年前、誘拐された少女が死亡したと世紀の大誤報を打ってしまった中央新聞の記者3名。本社に残る者、地方支局に飛ばされた者、整理部に異動した者。その誤報は記者たちのその後の人生を変えた。そんな時に埼玉県で児童連続誘拐事件が発生。さいたま支局に飛ばされていた関口豪太郎は、過去の事件との関係性を疑う。現場でネタを拾う記者、出世のため、誤報や他社に抜かれる事を恐れる上司、記者の動きに眉をひそめる警察幹部やそのOB。手の内は見せたくないが、情報は知りたい彼らの探り合い。

 そして新聞記者がネタをつかみ、それが紙面となり発行されるまでの経緯が、超リアルに描かれている。自分が時間に追われているような、目撃者を探しているような臨場感に襲われるのは、著者の経歴によるところも大きい。著者の本城雅人は、産経新聞入社後、サンケイスポーツ記者として20年の記者歴を持つ大ベテラン。それだけに、我々読者が知りえない、新聞社の内側をあれほど克明に記す事ができたのだろう。

 豪太郎は言う。「俺たちには責任がある」と。派手なアクションも奇抜なトリック破りもないが、ミステリー・サスペンス・ハードボイルドな要素が満載。時代は新聞からテレビ、そしてネットへと進化し、新聞は時代に取り残されたという人もいる。しかし同書を読むと、ネットにおけるソースも分からず、転載された記事を疑う目を持たなければと思わされる。新聞記者がひとつの記事を確証を持って出すということは、こういう事なのだ。

定年って生前葬だな。これからどうする?『終わった人』【著者】内館牧子

2016.05.22 Vol.667

 主人公の田代壮介は東大法学部を卒業後、大手メガバンクに入行。200人の同期の中でも順調に出世。しかし、役員になる寸前に出世競争に敗れ、子会社に出向させられる。そこで定年を迎えた彼は思ったのだ。「定年って生前葬だな」と。仕事一筋、ひたすら上を目指し働いていたため、突然訪れた何もする事がない時間。それを持て余し途方に暮れる毎日だ。仕事を持つ妻は生き生きと働き、いつまでもグチグチと暗い夫にいら立ちをおぼえる。カルチャースクールや図書館はいかにも年寄りじみていると思いジムに見学に行くも、平日のジムはジジババばかり。体力維持のために入会はしたものの、ランチや飲み会に誘ってくれるジジババとは一線を画し、決して交わらないようにしていた。昔の友人に会っても、プライドが邪魔をして、本音を語れずついつい見栄をはってしまう。やはり自分には、どんな仕事でもいいから働く事が必要なのだと、職探しをしてみるものの、その高学歴や華々しい職歴が逆にあだとなり、なかなかうまくいかない。気になる女性も出てくるが、そちらのほうも思い通りにならず…。と何をどうやっても決して満たされることのない壮介の心。エリートだったがゆえに余計に惑い、落ち込み、傷つき、あがき、悩み続ける日々。しかし、ある人物との出会いが彼の運命を変える…。

 壮介ほどエリートでなくても、定年後の生活をこれほどリアルに描写されると、身につまされる人も多いのでは。ずっと暇なのに「“今日は”空いているよ」、謙遜をしているふうな「“一応”東大です」など、言ってしまった後、大きく後悔する壮介の姿にクスリとさせられつつも、エリートでもそうでなくても、人生の着地点には大差がないという現実。サラリーマンなら、誰にでも訪れる定年の日。そこから続く長い人生をどう過ごすかという事は、定年間近な人にとっても、まだまだ先の話だと思っている人にとっても、避けては通れない問題だ。同書は、壮介のようにいきなり着陸するのではなく、ソフトランディングするために、来たるべき定年後の生活について考えてみるきっかけになるだろう。その日をどう過ごすのかではなく、人生をどう生きるかを考えさせられる。シニア世代とその妻も必読の書。

『終わった人』
【定価】本体1600円(税別)【発行】講談社【著者】内館牧子

少ないモノで、シンプルに暮らす

2016.05.10 Vol.666

 必要なものだけを持ち、自分らしいシンプル&ミニマルライフを持つ人が増えている。そんなライフスタイルを過ごす人気のブロガーとインスタグラマーによる、暮らしの写真日記『みんなの持たない暮らし日記』が発売中。整然と片付いたキッチンやベッドルーム、美しく整頓されたクローゼット。そしてすっきり身軽に暮らしていくための掃除の習慣や、ちょっとした工夫の数々。同書は、無理なくシンプル&ミニマルライフを行っている人たちの衣食住を楽しむ秘訣を写真と日記形式のテキストで紹介。具体的なノウハウや考え方を参考にすっきりした暮らしを目指してみては。心地のいい暮らしは、持たないことから。それを証明している役立つ実践本だ。

『みんなの持たない暮らし日記』
【価格】1380円(税別)【発行】翔泳社

短時間で見た目を変える

2016.05.10 Vol.666

 フィットネストレーナー北島達也氏による著書『ハリウッド式ワークアウト 腹が凹む! 神の7秒間メソッド』が発売された。北島氏は20代前半で単身渡米。ハリウッド俳優が集結する有名ジムで数々のトップビルダーから指導を受け、独自で会得した知識と経験を統合。“本場のボディビルディング”と“科学的なワークアウト”を自身で実践しながら理論を構築し、カリフォルニアのボディビルコンテストで、日本人初のチャンピオンに輝いた経歴を持つ。帰国後は、完全個別指導のパーソナルトレーニングジムをオープンし、有名経営者、芸能人、プロアスリートなど1万人以上を指導するカリスマトレーナとして人気を集める。同書では「腹を凹ませたい!」「かっこいい体になりたい!」という自分史上最高の体を作るための最短距離を伝授。長く辛いトレーニングなしの短時間で終わるワークアウトを初めて語る。

『ハリウッド式ワークアウト 腹が凹む! 神の7秒間メソッド』
【価格】1404円(税込)【発行】ワニブックス

たった一人の母親が学校を崩壊させた『モンスターマザー 長野・丸子実業「いじめ自殺事件」 教師たちの闘い』

2016.05.08 Vol.666

 不登校の高一男子が自殺した。その自殺の原因をめぐり、母親は学校でのいじめによるものだと、かねてから責任を追及。そして、最悪の事態を迎えたことで、母親は学校に全責任があると校長を殺人罪で刑事告訴した。人権派弁護士、県会議員、マスコミも加勢して、いじめ自殺報道は加熱、高校は崩壊寸前となっていく。

 しかし、同書において、時系列で少年の自殺までの行動と、学校と母親の対応を見ると、そこにはまったく別の事実があったことが分かる。裁判の結果明らかになったのは、少年を死に追い込んだのは、母親の“狂気”だったのだ。世間からの大バッシング、弁護士やマスコミを含む母親の支援者たちによる捻じ曲げられた事実による攻撃を前に、教師たちは真実を求め法廷で対決することを決意した。教師、学校の言い分が認められ、完全勝利したものの、被害者である学校側の人間は、複雑な思いを抱く。もう少し早く少年を母親から引き離していたら、彼は死ななかったのではという自責の念。そしていじめ自殺という報道がものすごい勢いで、テレビや雑誌で垂れ流されていたにもかかわらず、裁判の結果が事件ほど、大きく報じられることはなかった。

 恐るべき“モンスターマザー”の実態も十分怖いが、事件をセンセーショナルに取り上げておきながら、それが誤報だったと分かった時には知らんぷりするマスコミの体質にも寒気を覚えた。

子供がいない私は、誰に看取られる?『子の無い人生』【著者】酒井順子

2016.04.23 Vol.665

 30代の既婚女性と未婚女性の壁を“勝ち犬”“負け犬”という言葉で鮮やかにぶった切った大ベストセラー『負け犬の遠吠え』から12年。未婚・子なしの著者・酒井順子が未産女性について描いた『子の無い人生』が、負け犬から脱却できない女性たちをざわめかせている。

 結婚していなければ単なる“負け犬”と思っていた著者は40代になり悟ったという。曰く、人生を左右するのは、「結婚しているか、いないか」ではない、「子供がいるか、いないかなんだ」と。子供を持つか(持っているか)持たないか(持っていないか)というのは、とてもデリケートな問題なので、かなり慎重に扱われているものの、未産女性にはひしひしと感じるのだ。世間からの「子供がいなくてかわいそう」「子供ってこんなにいいものなのに何故生まないの?」「女性に生まれたからには、生むべきだと思う」「子供がいると自分も成長できるよ」。はっきりとは言われない。言われないが、感じてしまうのだ。それを被害妄想と言う人もいるかもしれないが、多くの未産女性はそれに気が付かない鈍感な振りをしてやり過ごしている。

 人にはそれぞれ事情というものがあるが、こと子供に関しては、それも考慮されない破壊力がある。著者は、そんな世間の風潮から、ママ社会、世間の目、自身の老後など、子供を持たないことで生じるあれこれを、冷静に分析、真正面から斬っていく。卑屈になることもなく、かといって開き直るわけでもなく、40代、50代の未産子なし族の気持ちを代弁してくれる。『負け犬の遠吠え』が大ヒットしたのは、「そうなの、そうなの」という膝を何度も打つ、女性たちの本音が書かれていたから。その“負け犬”は、ちょうど“子あり”か“子なし”に(この先も)分かれる年代に差し掛かっている。“負け犬・子なし”の人生の行く末は? 同書を読めば共感とともに、ある種の勇気がわいてくるだろう。


【著者】酒井順子【定価】本体1300円(税別)【発行】KADOKAWA

最愛の娘を殺した母親は、私かも知れない。『坂の途中の家』【著者】角田光代

2016.04.13 Vol.664

『八日目の蝉』『紙の月』など登場人物の心理描写が巧みで、時に読むことが苦しくなる角田光代の最新刊『坂の途中の家』。

 幼い娘を虐待死させた事件の補充裁判官になった理沙子は、裁判で母親をめぐる証言や同じ裁判員たちの言葉を聞くうちに、被告と自分の境遇を重ね合わせていく。被告の夫や義父母の証言、友人が語る被告像は、どれも自分のこれまでの人生と変わりがないように思う。表面的には些細な違いもあるが、確かに被告はかつての自分であり、今の自分だ。そんな小さな思いが、裁判を重ねるたび大きくなり、自分では気が付かなかった、もしくは目をそむけていた事実を認めざるを得なくなっていく。そして愛していると揺るぎなく思っていた娘に抱く疎ましいという感情が心の中でずっとくすぶり、理沙子の精神を追い詰めていく。夫も義父母も子育てには協力的だが、言いようのない孤独と不安は、理沙子に付きまとい、どんどんと増殖していく。

 子どもを持った母親ならそんな感情が理解できるだろう。それどころか、その時のことを思い出して恐怖を感じるかもしれない。しかし、男性や子どもを持ったことのない女性にも、息苦しさや不安な感情が伝わってくる。それは著者の巧みさのなせる技で、無償の愛とエゴを併せ持つ人間の本質を描き出しているからに他ならない。「社会を震撼させた乳幼児の虐待死事件と“家族”であることの心と闇に迫る心理サスペンス」と帯に書かれているが、家族の光と闇を浮き彫りにし、波風の立っていない表面上にある日常の中にある闇をえぐるサスペンスである。のぞきたくはないが、同書を読めばその闇の正体がはっきりするかも知れない。

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