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格闘家イケメンファイル | TOKYO HEADLINE - Part 6
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格闘家イケメンファイル Vol.54 日本ヘビー級の至宝 KOICHI(こういち)

2016.08.08 Vol.672

 圧倒的なイケメン、ムキムキな体で女性ファン大注目のKOICHI選手。努力でその体を手に入れた。

「中学時代から身長が183㎝ぐらいあったんですが、そのころは80㎏ぐらいしかなく、痩せていました。小学校、中学校とスラムダンクの影響をかなり受けまして(笑)、ずっとバスケットをやっていた。でも19歳から格闘技を始めて、2年かけて無理やり体重を20㎏増やして、今の体を作り上げました。格闘技を始めたのは、自分が17〜8歳の頃。K-1が全盛期で、ピーター・アーツとアンディ・フグが大活躍していて、それを見て自分も強くなりたいなと。あと、“ガチンコ”という番組の企画で、ヤンキーがいっぱい出てきて、プロボクサーを目指すというのがあって、それが好きで毎週見てて、影響を受けました(笑)。もちろん、男の子ですから、小さいころからヒーロー願望というか、強い男に憧れる部分もあったと思います。学校の先生からは、ずっと空手をやれと勧められていたんですが、空手ってパンチがないので、もっと実践的な事がやりたかった自分にはちょっと物足りなかった。なので、もともとK-1に憧れていましたし、パンチもキックもできるキックボクシングをやろうと。総合は見るのも好きだし、やっぱり強いし、練習では取り入れていますが、男とくっつくというのが、ちょっと…ね(笑)」

 9月19日には、いよいよ新生K-1に参戦。相手は、K-1のリングで2連続KO勝利をおさめ、ヘビー級のトップに君臨している上原誠だ。

「上原選手は日本のヘビー級で一番強いと言われているので、彼を倒して自分が一番強いということを証明したい。実は、ヘビー級ってなかなか練習相手がいないので、上原選手とはずっと一緒に練習をしてきたんです。ですから、リングで戦うのは初めてですが、お互いに相手の強みや弱点を知り尽くしてる。ただ、お互いに遅かれ早かれ戦う事になるだろうというのは分かっていましたから、練習では見せていない技を持っている。上原選手だけじゃなく、多分同じ階級の人と練習する選手は、全員持っていると思います。上原選手は一発という破壊力がありますが、自分にはそれがない。でも、パンチでもキックでもなんでもできますし、平均的に何でも倒せるものは持っているので、KOで勝利できると思います。上原選手はプライベートではすごく腰が低くていい人。選手としても、人間としてもリスペクトしていますが、今回はKOで勝ちにいきます」

格闘家イケメンファイル Vol.53 よこすかMMAパレード 龍太郎(りゅうたろう)

2016.07.25 Vol.671

 さわやかなルックスに満面の笑顔、そしてよどみなく明るくハキハキと話す龍太郎はモデル・俳優として、渡邉龍太郎の名前で活躍中のタレントでもある。アイフルのCMで、ダイエット後のバナナマン・日村を演じているといったら思い出す人もいるのでは? そんな彼が格闘技を始めたのは…。

「小さいころからずっと野球しかやっていなくて、甲子園に出場して、絶対プロ野球選手になると思っていました。シニアリーグでは、全国大会ほか、いろいろな大会で優勝するようなチームで、本当に強かった。しかし、怪我をして野球を辞めたタイミングでご縁があり、モデルとして事務所に入ったんです。と同時に、父親の影響で格闘技好きだったので、ちょうど芸能界に入ったタイミングで格闘技も始めました。僕が入ったジムは当時できたばかりで、自分は2人目の会員なので、今ではすっかり重鎮です(笑)。だから、僕の芸歴と格闘技歴とジム歴はほぼ一緒。父親がよくテレビでK-1やPRIDEを見ていて、それを一緒に見ているうちに好きになったんですが、特に青木真也さんや所英男さんがめちゃ好きで。寝技が得意なんですけど、なんかゴロゴロ、ゴロゴロ絡まっていて、あれどうなっているんだろうって(笑)。単純に見てて面白かったので、自分でもやってみたいと思いジムに入りました」

 どんな話も楽しそうに話す龍太郎。

「僕ね、全然緊張しないんです。仕事の時も試合の時も。だからジムの代表にも昔はちょっとぐらい緊張しろって言われていたんですけど、今は言われなくなった(笑)。むしろ、そのキャラで突き進めみたいな。楽しいと上に上にどんどん登っていく(笑)。試合でも舞台でもお客さんの顔はよく見えているし、声もめっちゃ聞こえています。小さいころから、緊張したことがない。目立ちたがり屋だったし、注目されるのがうれしかった。というか、注目されたいとしか考えてなかったような気がします。幼稚園の頃から。一度もてようと思って飲み会でクールを気取ってみたいんですけど、自分が気持ち悪くなって続かなかった(笑)」

格闘家イケメンファイル Vol.52 ヘラクレス 宮田和幸(みやた・かずゆき)

2016.07.11 Vol.670

 総合格闘技の選手として活躍中の宮田和幸は、BRAVE GYMを主宰しているほか、CARPE DIEM(カルペディエム)広尾などでパーソナルトレーナーとしても活動中。

「自分の練習はもちろんですが、夜は自分のジムに行って選手の指導をして、昼間はパーソナルトレーナーとして指導していることが多いですね。マンツーマンのプライベートレッスンは、以前は筋トレをしてマッチョになりたい男性が主流でしたが、今は、女性でも鍛えたいという方が増えてます。僕のレッスンは基本的に、ジムでの運動のほか、食事指導などで、ダイエットをしたいとか、筋肉を付けたいなどの希望に応えています。最近では、キックボクシングなどの格闘技を見るのではなく、やる人が多くなっているような気がします。ここカルペディエム広尾は、柔術だけのジムなんですけど、最近ものすごく柔術が流行っていて、生徒さんが増え続けている。実際、ロスや西海岸でも柔術の人気はすごくて、セレブのたしなみのような感じになっているんです。人気の秘密は、ハマる人が多いことでしょうか。とにかく、一度入会したら、辞める人はほとんどいないですね。自分も寝技にハマったほうだから、その気持ちはなんとなく分かる。また、基本的に格闘技は、一通り丁寧に教えますから、逆に運動になれていない人はウエイトトレーニングのジムより格闘技ジムのほうがコスパはいいかも知れません」

 ヘラクレスと呼ばれる美しい肉体、そしてレスリングでオリンピック出場という輝かしい経歴を持つ宮田だが、総合格闘技の世界に入ったばかりの頃は苦労の連続だったとか。

「シドニーオリンピックに出場後、アテネオリンピックを目指していましたが出場できず、その頃流行っていたK-1に転向しました。オリンピックに出ていて、知名度があったため、総合格闘技は初心者なのに、デビュー戦はホイラー・グレイシーという強豪と対戦することに。もちろん負けました(笑)。その後も強い人たちとばかり当てられ、負ける事のほうが多かった。マネジャーもおらず、自分1人だったので、言われるがままに対戦していましたし。今は、ジムのマネジメントを僕がやっているので、(主催者に)面倒くさいと思われている。弟子の対戦相手とかに関しても、自分の経験から、ちゃんと段階を踏ませてあげたいと思っているので結構うるさい(笑)」

新“SASUKE伝説”継承者 猿田洋佑【格闘家イケメンファイル Vol.51】

2016.06.27 Vol.669

 修斗のフライ級(-52.2㎏)といえば、内藤のび太がベルトを返上した事で空位になったチャンピオンの座をかけて熾烈な争いが繰り広げられている階級。猿田洋佑は、そんな強豪たちの中に、ひとつ階級を下げ参戦。

「プロになってからは、2009年に新人王を取ったり、2012年にインフィニティトーナメントで優勝したりするなど、ケガがありながらも良い成績を残す事ができました。しかしインフィニティの翌年の2013年にタイトルに2回挑戦するものの、1回目がドローで2回目が判定負けと惜しいところでチャンスを逃してしまい…。なので、階級をひとつ落とし、適正階級でチャンピオンを目指そうかなと。前の階級でもランキングは1位でしたが、昨年の11月に現チャンピオンの扇久保博正選手に挑戦者決定戦で負けてしまいました。そうなると今度自分にチャンスが回ってくるのが1年後か2年後か…。それを考えたら階級を落としてフライ級で上に行こうと。というのと、のび太選手と戦いたかったというのもあります。でもどっか行っちゃったので、とりあえずここでチャンピオンになって、のび太を追いかけたいと思います(笑)」

格闘家イケメンファイル Vol.50 孤高の空手家 小宮山工介(こみやま・こうすけ)

2016.06.13 Vol.668

 6月24日(金)に国立代々木競技場第二体育館で開催される「K-1 WORLD GP 2016 ~-65kg世界最強決定トーナメント~」のスーパーファイト -60㎏で卜部弘嵩と対戦する小宮山工介。意外ではあったが、格闘技ファンなら、絶対見てみたいカードだ。

「弘嵩選手といえば、弟の功也選手との兄弟対決で注目を集めていましたが、自分も男3兄弟で皆格闘技をやっているので、会場で2人の試合を見た時は複雑な気持ちでした。というのも、自分は2番目なので、兄の気持も分かるし、弟の気持も分かる。兄は弟に負けられないというプライド、弟はお兄ちゃんを負かしてやろうという気持ち。うちは父親が兄弟が戦う姿を見たくないと、空手をやらせる時に違う流派の道場に入れたんです。なので僕らは空手の世界では別々のところで戦っていた。それだけに、卜部兄弟の試合は複雑ではありましたが、ものすごく感動もしました。だって兄弟がチャンピオンベルトをかけて試合をするってすごいことじゃないですか。それをやったのもすごいし、そこで勝った弘嵩選手はすごいと思います」と史上最大の兄弟喧嘩と呼ばれた試合を振り返った。

「弘嵩選手ももともと空手出身ですし、兄弟そろって格闘技をやっているところなど、似ている部分はある。素晴らしいファイターで尊敬もしていますが、僕がK-1に参戦することで、何か変わるんじゃないかなという予感もします」

 地元と空手界では“天才空手少年ブラザーズ”として有名だったとか。

「どうなんでしょう。全国の空手大会を北は青森から南は沖縄、奄美まで回っていたので、地方に行くと言われることもありましたが、あまり意識はしていませんでした。あえてあまり感じないようにしていた部分もあります」

 空手での輝かしい成績が、のちに格闘技に向かわせる事に。

「中学卒業後上京し、極真会館という空手の名門に入門し3年ほどたった時に、K-1がすごく盛り上がっていて、自分の空手の技はキックボクシングのルールで通用するのかなと思い始めたんです。で、始めてみたら楽しくてどんどんのめり込んで、21歳でプロデビューし、24歳で他団体ですがチャンピオンになりました。空手はルールが結構制限されるのですが、キックボクシングは空手の技術も取り入れながら新しいルールででき、かつ試合もスリリングだったので、その辺がすごく楽しかったです。それにジュニアから空手をやって、66回優勝したんですが、慣れてきたというか、刺激が足りなくなっていた時期でもあったことかなと。もっと高いところを目指しますということがしばらくない状態で、なんとなくやっているような感じになったので、その辺りもキックボクシングにハマった理由ですね」

 会見では日本の-60㎏を極めたいと。

「僕はキックボクシングのスーパーフェザー級、-60㎏級なんですが、2014年に統一戦があって、そこで運よく-61㎏級のチャンピオンになったんです。ですから自分はこの階級で1番になったと思っていたんですが、K-1で同じ階級にチャンピオンができた。僕の本来の階級にチャンピオンがいると、胸を張って俺が一番だって言えなくて。周りからも卜部選手のほうが強いんじゃないかっていう声も聞こえてきたし、いろいろタイミングも合い、今回の試合が実現しました。念願かなって、真の-60㎏王者になる!…かどうかは分かりませんが(笑)、格闘技をやる以上1番を目指しています」

 試合に向けて見どころと意気込みを。

「僕の格闘技は、美しく倒すというのが見どころ。100本1000本どころか10万本、100万本、いやそれ以上パンチも蹴りもやってきているので、それをずっと続けると技が磨かれて研ぎ澄まされ、美しくなるんです。そこをぜひ見ていただきたいですね。また、相手はK-1のチャンピオンなので、勝ち負けはしっかりつけないといけないと思っています。ずばり、白黒をはっきりさせるためKO決着する。そのために死ぬ覚悟、倒れてもいいぐらいの覚悟で向かっていきたいと思います」

※このインタビューは5月30日に収録されました

格闘家イケメンファイル Vol.49 仮面シューターJr.・世紀末寝技伝説 渡部修斗(わたなべ・しゅうと) 渡部拳士郎(わたなべ・けんしろう)

2016.05.23 Vol.667

 修斗と拳士郎の渡部兄弟は、父親が初代修斗ウェルター級チャンピオン・渡部優一氏という最強の遺伝子を持つ。現在27歳と24歳の2人の格闘技人生とは。

修「僕は生まれた瞬間に修斗という名前に決まっていました。男だったので、両親が何の迷いもなくつけたと聞いています」
拳「僕にはドラゴンボールから悟空という名前を付けようと思っていたようです。結局双方の祖父母に反対されて、悟空は却下されましたが、どうしてもドラゴンボールから離れられず、ベジータとかカカロットにしようとしたそうです。そうならなくて本当に良かった(笑)」

 誕生してすぐに格闘家としての道に足を踏み出していた2人。その後…。

拳「僕が小学校1年生、兄貴が小学校4年生ぐらいの時に、2人で一緒に柔道の道場に行くことになりました」

修「父親にいきなり見学に行くぞって言われて行ったら、次の日から通うことになっていた(笑)。でもめちゃめちゃ嫌で、いつもどうやってサボろうかと考えていた。当時は遊びたくてしようがなかったので、遊ぶ時間が削られるのが本当に嫌だった」

 プロになったきっかけは。

修「部活もせずに普通の大学生4年生だった時、大みそかにさいたまスーパーアリーナで、生まれて初めて格闘技の試合を見たんです。選手たちが無茶苦茶格好良くて、周りのファンの応援もすごい。プロになったらこんなすごいところで試合ができるんだ、気持ちいいだろうなってその時思いました。それで年明けすぐにジムを探して、1月中には入会し総合格闘技を始めていた(笑)」

拳「僕は兄と全然違って、プロの道は考えていませんでした。普段は寝技中心のブラジリアン柔術をやっているんですが、それをやっていく中で兄の団体の代表の方から、弟だということでお話をいただき、寝技のグラップリングでプロデビュー戦をさせていただきました。成り行きでチャンスをもらい拾ったという感じです」

これから始まる「修斗世界制覇」の主人公 飛鳥拳【格闘家イケメンファイル】Vol.48

2016.05.09 Vol.666

 伝説の空手家・大山倍達の半生を描いた作品『空手バカ一代』。1973年にはテレビアニメ化され、大山は架空の空手家“飛鳥拳”として描かれた。そんな空手バカなリングネームを持つのが、修斗のイケメンと名高い飛鳥拳。

「父親が格闘技好きで、何か格闘技をやらせたいということで、6歳の時に空手の道場に入れられました。小学校の時は結構真面目にやっていましたが、実際楽しくなかった(笑)。空手が嫌というより、小学生だったので、友達と遊んでいるほうが楽しかったので。中学に入ると部活でサッカーを始めたので、週1回という割とゆるい頻度で続けていました。そして高校生、17歳の時に今のジムに入り総合格闘技を始めました。もともと父親とPRIDEを見ていて、五味隆典選手にあこがれていたこともあり、挑戦してみようと。17歳で入門し、翌年初めて試合に出て、大学1年生でプロに。アマチュアから一つずつ地道に勝ち星を積み重ねて、新人王まで勝ち上がったという感じです」

 2013年フライ級新人王獲得、そしてインフィニティリーグ優勝と順調にキャリアを重ねてきた飛鳥。いよいよ7月17日(日)東京・後楽園ホールで、空位となった世界フライ級チャンピオン決定戦に挑む。相手は、澤田龍人。

「ずっとベルトを持っていた同門の先輩である内藤のび太選手が、ベルトを返上したことで、ようやくタイトルマッチに挑める事になりました。本当はインフィニティリーグで優勝したらチャンピオンに挑戦できるということだったんですけど、当時も王座を保持していたのび太選手が同門だったため、この機会をずっと待っていた。澤田選手とはライバルといわれていますが、そもそも最初に僕が対抗意識を燃やしていたことが、因縁のライバルのようにいわれるきっかけ(笑)。向こうはいわゆるエリートコースで、なんというか…エリートが飛び級してきたみたいな感じで…。僕は普通にアマチュアからやって…とコツコツルートで上がって来たので、なんかムカついた(笑)。そういう反骨心もあり、リーグ戦での初対戦の時は、絶対にぶっ飛ばしてやろうと思っていました。その意地もあって、勝てましたし、このリーグ戦では優勝もしたので、ライバルとはもう思っていません」

 ライバルと思っていないといいつつ、格闘技エリートに思うところはあるようで…。

「インフィニティリーグも優勝を争いましたし、今度の試合もベルトがかかっているので、絶対に負けられない。澤田選手はもともとレスリング出身で、レスリングは強い選手ですし、一本やKOが多くとれるところはすごい。僕はいつもKOを狙っているけど、判定が多いので、一本やKOを取れるのは本当にすごいなと思います。前回、僕が勝ったので、向こうは絶対に負けられないという気持ちでくると思いますが、僕も負けられないのは同じ。相手がどうくるかですが、前回みたいにタックルを切って、相手の得意な状態に持ち込ませなければ、間違いなく勝てると思います」

 笑顔がさわやかで女性にも人気の飛鳥だが、プライベートは…。

「自分でも困るぐらい趣味がない(笑)。休みの日は、出かけたりもしますが、大したところには行かないし…。何をしているかって言われると、本当に困りますね。好きな女の子のタイプは…すごい優しい人がいいです。自分が性格的にあまり引っ張っていくタイプじゃないので。優しく見守ってくれる感じで、包容力のある人が好きです。タレントさんだったら深田恭子さんとか。包んでくれそうなタイプなので」

 7月の試合について読者へメッセージ。

「就職はせず、この道一本で行くことに決めたので、ようやく巡ってきたこのチャンスでタイトルを獲るという事は、絶対に実現させなきゃいけないこと。将来的には海外で試合をしてみたいとか夢はありますが、今は7月に集中するだけです。若いイケメン俳優とか、ジャニーズのアイドルファンは多いと思うのですが、戦う暑苦しい男たちもかっこいいと思うので、ぜひ試合会場に足を運んで、そんな男たちの真剣勝負を見て下さい」

金色のヒットマン 城戸康裕(きど・やすひろ)【格闘家イケメンファイル Vol.47】

2016.04.23 Vol.665

 Krush -70㎏級で王者となり3回の防衛を果たすなど、同階級を牽引してきた城戸が6月24日に行われる「K-1 WORLD GP 2016 IN JAPAN ~-65kg世界最強決定トーナメント~」のスーパーファイトに電撃参戦。

「1年半くらい前にKrushのベルトを返上して、主戦場をほかの所に移し活動しながら、新生K-1に出るタイミングをうかがっていました。新生K-1を観客として1年半見ていて、どの大会もすごく面白いと思った。選手一人一人が、自分が主役になってやろうという気迫がみなぎっている。多分ガキのころからあこがれて目標にしていたK-1という舞台が、20歳ぐらいでなくなって目標を見失いかけていたところに復活したので、思い入れが強いんだと思う。そんな選手たちの戦う姿を見て、すごく楽しそうだなと思っていました」

 格闘技を始めたのは高校時代。

「なんとなく家の近くにキックボクシングのジムがあったので、始めた感じですね。中学校時代は陸上部だったんですが、2個上の先輩がそのジムの谷山会長の息子さんだったのもあり、本当になんとなく。半年ぐらい続けばいいかなという軽い気持ちでしたが、通っているうちに自分がどんどん強くなっていくのが分かるんです。そうなるとますます面白くなってくる」

 のめり込むほどめきめきと強くなっていった城戸はプロを意識。

「K-1のほかに、K-3という全国大会が高校生の時に行われて、そこで全国優勝をしたんです。それで俺、プロでもいけるんじゃないかなって具体的に考えるようになりました。まあ、その時は高校に入って遊びまくったら、成績が下から数えたほうが早いぐらいまで落ちてしまったので、これで優勝してそれをネタに大学に行こうと思ったというのが本当のところで(笑)。でもそれが第1回目の大会で、第2回はなかった。幻の大会ですよ(笑)」

 たった1回のチャンスをものにするとは強運だが、城戸の強運伝説はここで終わらない。

「優勝したことで、大学に行けるとのうのうとしていたら、同級生がAO入試とかそろそろやばいよって(笑)。それで慌てて調べたら、東海大学と国士舘大学しか間に合うところがなくて、しかも東海大学は翌々日が試験だった(笑)。それで国士舘を受けることにするんですが、実はその年から自己推薦を始めていたんです。しかも、翌年にはなくなったから、相当ラッキーですよね。書類審査と面接と小論文があったんですが、その当時付き合っていた同級生の女の子が、小論文はテーマの意味が分からなきゃ答えられないけど、“スポーツの意義”って言われて分かるの?と言ってきた。もちろん分からないから、必死で調べて書いて国語の先生に添削してもらったんです。それで次の日試験を受けたらテーマが“スポーツの意義とは”だった(笑)。心の中で“やったー”って叫びながら、書き上げ、無事合格しました。大学でも1年生でいきなりチャンピオンになり、翌年もチャンピオンになった事で同好会から部に昇格。ほんとついてるなと。で、大学2年生の時に、K-1 WORLD MAXが始まったんです。その時はまだ2階級しかなかったけど、そのうちのひとつがたまたま自分の階級だった。それでそこを目指せばいいんだって思って、プロデビューしたという感じですね」

 もちろん運だけはなく、才能や努力があってこその実績だが、強さだけの評価では不満だとも。

「格闘家ですから、強いのは当たり前じゃないですか。強いから格闘家になったわけですから、そう言われても…ね。それより僕は面白いって言われるのが一番うれしい。あおり映像も自分で作りますし、映像から登場、試合まで全体で城戸康裕を楽しんでほしい。全体的なエンターテインメントとしての城戸を丸ごと楽しんでいただければ。すべてを含め全体を楽しんでもらえるような試合をしたいし、そういう選手でありたい。ワクワクさせますので、任せて下さい。会場に来ている武尊のファンを俺のファンにします(笑)。武尊ファンを城戸ファンに。それが俺の目標です(笑)」

【格闘家イケメンファイル Vol.46】軽量級のレジェンド 寺戸 伸近(てらど のぶちか)

2016.04.11 Vol.664

 この連載2回目の登場となる寺戸伸近。約1年前のインタビューでは、同年4月に開催の「K-1 WORLD GP 2015〜 -55kg初代王座決定トーナメント〜」への意気込みを語った。そして今回、第5代Krush-55㎏王者のベルトを引っ提げ再び登場。

「2015年の4月に行われた『K-1 WORLD GP 2015〜 -55kg初代王座決定トーナメント〜』は準決勝で負けてしまい、その後休養していました。昔はこの階級はほとんど選手がいなかったが、トーナメントでは日本人4人が準決勝に進んだ。それを見て、ずいぶん選手が増えて、層も厚くなってきたなと思いました」

 約1年の休養を経て、Krush-55㎏のベルトをかけた試合に挑戦者として出場。

「試合が決まったのが去年の12月ごろ。堀尾選手が1回目の防衛戦に勝った後ぐらいでした。防衛した時点で、なんとなく自分とやることになるんじゃないかって思っていたので、話が来たときは、やっぱりなって。昔はそんなに目立つ選手でもなかったし、倒す選手というイメージはなかったのですが、最近ではほとんどKOで勝っていたので、すごいなと思っていました。でも僕は挑戦者ですから、全力で勝ちたいなという気持ちで挑みました」

 数々のベルトを手にしながらなぜかKrushには縁がなかった寺戸。

「Krushが始まった時からずっと出ているので、欲しいなという気持ちは持ち続けていた。でも本当に縁がなかったので、ちょっとあきらめかけていた時もありました。でもこうやってタイトルマッチをやることになり、これはやっぱり俺がとらなきゃいけないんだなと。ここできた縁を引き寄せないでどうする。選手はいっぱいいるのに、その中で自分にタイトルマッチの話がきたんだから、ここしかないと思いました」

 試合前のインタビューでは、もし負けたら進退についても考えなければならないと発言。引退覚悟だったのか。

「まあ、そうですね。実は去年のK-1の準決勝で負けてから11カ月間試合をしなかったのも、負けたことで糸が切れたというか、モチベーションを保つのが難しくなって…。負けたら本当に一からのスタートなので、歳も歳だし一度切れた糸をつなぐのが難しいんです。今回はうまく作り直せたけど、今度負けたらうまくつなげられるかどうか分からない。ですから、負けたら引退も覚悟かなと思っていました」

 そしてタイトルマッチ。ベテランの試合運びで堀尾を翻弄。

「今回は作戦をしっかり立てて、ほぼその通りの試合運びになりました。相手は飛び膝が得意なので、それをもらわないように常に距離感を意識していたので、堀尾選手は嫌だったと思います。また、常に冷静でいられたので、2Rにはどんどん上げてくることを想定していましたし、1回ダウンを奪った後は、死に物狂いでくるのが分かりましたから、そこも冷静にしのいだ感じですね。パンチが見えていたら多分倒れないので、全部見切って。それが経験値なのかもしれません。僕も試合でそういう失敗をしてきていますし、倒せると思ったら自分が倒れていたとかも。そういうのを思い出したり、セコンドの声もよく聞こえていたので、かなり冷静に、自分が組み立てた展開で試合をすることができました」

 次はチャンピオンとして挑戦者を迎え撃つ。

「久しぶりの挑戦者で、あらためて挑戦者ってこんな気持ちだったんだっていうのを思い出しました。しかしチャンピオンになって、今度は守るほうです。守るほうがプレッシャーはあると思うけど、守り過ぎて変な試合はできない。チャンピオンらしい試合をしながら、ベルトをきっちり守っていきたいと思います。今回の試合で、改めてたくさんの人の応援やサポートが身に染みてありがたいと思いました。昨年結婚して、嫁さんだけじゃなく、そのご両親にもサポートしてもらったし、もちろんジムの仲間や友達、ファンにも。そういうことにもっともっと感謝をし、それにこたえられるような試合をしていきたいと思っています」

格闘家イケメンファイル Vol.45 ZSTの剛腕 藤原 敬典(ふじわらけいすけ)

2016.03.27 Vol.663

 小柄ながらガッチリとした体。そして整った顔。ZSTのイケメンといったら忘れてはならない藤原敬典が満を持して登場。格闘技を始めたきっかけもなかなかのイケメンだ。

「美術系の専門学校に通っていた時にキックボクシングジムに入りました。高校生の時にテレビでK-1を見て、武蔵選手がかっこいいなと思ったことはありましたが、自分で格闘技をやろうとは思っていませんでしたし、キックボクシングも単なる趣味程度の気持ちでした。実際正義感が強く、その強さゆえいろいろなことを見過ごすことができなかったので、危険な事に巻き込まれるかも知れないと思って(笑)。身を守るというのもありますし、家族や大事な人を何かあった時に守れないといけないと。でもやっていくうちに、これって実戦で使えるのかなと思うようになり、練習試合に出るようになった。1度出ると自分のダメなところが分かり、それを修正して出ると、またダメなところが分かり…というのを繰り返しているうちに、だんだん試合に出る回数が増え、プロへという流れになりました。総合格闘技にいったのは、よりリアルを求めたから。キックボクシングも魅力的ですが、組んだり、ブレイクがあったり、転ばされても立つまで待ってくれたりするので、実際に何かあった時には対応できないんじゃないかと。実際に何かを守らなきゃいけない時は、誰もブレイクなんて言ってくれないので、寝技とかも想定しないといけないと思ったんです。それで実戦の強さというものを求めた時に、よりリアルなのは総合かなと(笑)」

 趣味程度のつもりで始めた格闘技も第一線のプロとして活躍し続けること約10年。そこにはひたむきな努力があった。

「20過ぎてから始めたので、最初からスタートが遅いという自覚はありました。ですから小さなころからやってきた選手と同じことをやっても対等にならないという思いもあり、もともと好きだった武蔵選手のように、サウスポーとオーソドックスの両方ができるように練習をしました。もちろん今も両方使えますし、そんな感じでいろいろ工夫することで、キャリアの差を埋めようという試みもしています。ストレートにいってもダメなので、人と違うことをやって強みにしようということですね」

 キャリアの短さを工夫と挑戦でカバー。その陰にいるのは、なんとニャンコ?!

「キャット観察が趣味なんです(笑)。あいつらの動きとかすごくて、いろいろ参考になる。家でスコティッシュフォールドを1匹飼っているのですが、猫じゃらしをやりながら、利き手とかあるのかな…とか、どの角度が一番見ずらいのかな…とか観察して、格闘技の参考にしようと(笑)。猫の動きを観察して、いかにバレずに相手に触れるかというのを考えています。動きや錯覚を利用し、相手が気づかないうちにパンチを当てられたらすごくないですか(笑)」

 猫の話になるとデレデレの藤原。4月17日には新宿FACEで試合を行う。

「相手は1個上の階級の現ZSTフェザー級チャンピオンの加藤惇選手。僕はバンタム級ですが、チャンピオンが僕の階級まで落としてワンマッチを行います。これまで対戦したことはありませんが、背が高く、手足も長い。ヘタウマ系打撃って言われてますが、それはつまり素直にこなくて、すごくタイミングがとりづらいという事。実際対戦した人に聞くと、ジャブが見えない、タイミングが分からないと言う人が多い。当てるのがうまいので、みんなタックルでテイクダウンしようとするけど、体の力が強くて倒れない。そうこうしているうちに疲れてやられるパターンが多い。でも自分はいつものように分かりやすい試合をするだけ。近づいて殴る。基本的に試合中にタックルにいったことはありませんし、打撃しかできないので、ただそれだけ。だから単純で面白いんです。いかに打撃を当てるか。それ一点なので、結構緊張感もありますが、その緊張感も楽しんで下さい。最近では強くて生きのいい若い選手がたくさん出てきましたが、おじさんも負けないぞという熱いものをお見せします!」

格闘家イケメンファイル Vol.44 修斗のベルトだけが欲しい 岡田遼(おかだりょう)

2016.03.13 Vol.662

 がっちりといかつい、男の中の男といった風貌の選手が多い総合格闘家には珍しくシュッとしたタイプの岡田遼。小さいころは、足が速く、サッカー少年だったという彼に絶対にモテたはず!と聞くと「そうですね…まあ足は速かったです(笑)」と否定しないどころか、ほぼ肯定という年季の入ったイケメンだ。そんな岡田が格闘技を始めたのは大学生のころ。

「小学校から高校を卒業するまでずっとサッカーをやっていたのですが、高校の選手権が終わり、一区切りついたことと、大学に入学するということで、心機一転格闘技を始めてみようと思ったのがきっかけです。もともと格闘技が好きでずっとやってみたいと思っていましたし、中学生の時にテレビで見た五味隆典対川尻達也の試合を見て衝撃を受けて、総合にあこがれを抱いていました。しかし最初からプロになろうとは全然思っていなかった。とても楽しかったけど、なれると思っていなかった。大学生の間にアマチュアで試合に出て、記念になればいいかなぐらいの感覚でした」
 軽い気持ちで始めた格闘技だったが、もともとの目標を持ったらトコトンのめり込む性格で、アマチュアで頭角を現し、2013年6月にはプロデビュー。昨年は1年をかけて5選手が総当たり戦で覇を争う「プロフェッショナル修斗 インフィニティリーグ2015」に出場。無敗を守ったのだが…。

「結果は2位でした。優勝した小蒼卓也選手にも勝ったのですが、僕が最後の試合を引き分けてしまって…。逆に小蒼選手は僕に負けた後は、すべて1ラウンド一本勝ちしていたので、得点で逆転され負けました。すごく悔しかったです」

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