エンデューロレースは小池田選手が連覇
2000年に噴火した三宅島の復興を目的に2007年から開催されている『WERIDE三宅島エンデューロレース』が10月22日に開催された。前夜までの大雨と強風で開催が危ぶまれたが、レースが始まると空は晴れ渡り、今年も激しいレースが繰り広げられた。レースの他にも島内観光、島市など多彩なプログラムでライダー、観戦客を迎えた三宅島は、ゆっくりだが着実に復興に向けて歩んでいる。 (文・本吉英人/写真・蔦野裕)
写真:連覇を果たした小池田猛(外)
今年はプロが戦うエキスパートクラスに初めて海外から世界王者が参戦するとあって、オフロードレース好きの間では密かに話題を集めていた。その王者とはオーストラリアのステファン・メリマン。2000年(250cc)、2001年(400cc)、2003年(250cc)、2004年(Enduro1)World Enduro Championshipで優勝している世界のトップライダーだ。またタイからは弱冠17歳ながら、アジアを代表するライダーであるトラカン・サントンも参戦。昨年は全選手を周回遅れにする圧倒的な強さで優勝した小池田猛はレース前のインタビューで「なかなか戦う機会がない選手。スタートからガチンコ勝負」と闘志を燃やした。
21日夜に竹芝桟橋を出航したさるびあ丸は参加ライダー、観戦客を乗せ三宅島に向かう。約7時間のちょっとした船旅だ。激しいゆれもなく予定通り22日早朝に錆ヶ浜港に着いたのだが、待ち受けていたのは思いもかけない激しい大雨。迎えのバスで各々宿泊場所に向かったのだが、多くの人の脳裏に「中止」の二文字が浮かぶ。民宿で仮眠をとってレースに備えるライダーたちだったが、雨脚は強くなる一方だ。
(写真上段左)ジャンプはこのレースの最大の見せ場。 (写真上段右)元世界王者メリマンは随所に“世界の走り”を見せる。(写真下段)元世界王者メリマンは随所に“世界の走り”を見せる
しかし朝方には雨も小降りになり、22日午前10時には予備のコースに会場を移してレースを開催することが決まった。
青いジャンパーの大会スタッフが足元がぬかるむなか、懸命の作業でコースとセレモニーを行うためのテントを設営する。なんとか予定通りに開会セレモニーが開催され、ライダーたちも臨戦態勢が整った。そして正午過ぎにスタートの号砲が鳴る。
レースはぬかるむコースにタイヤをとられ思うようにマシンを操れないライダー、急坂を登り切れずにバイクを押したり、戻って助走をつけて再度チャレンジするライダーが続出。そんななかレースは小池田と鈴木健二の一騎打ちとなる。序盤は鈴木がリードするが、小池田がレース中盤に逆転するや、後半はその差を広げ独走V。昨年2位の鈴木が追い上げるものの届かず今年も2位。メリマンは随所に世界チャンプのテクニックを披露したものの、3位でゴール。元世界王者の面目は保ったが、レース後「来年また来たい」と小池田への雪辱を誓った。4位は内山裕太郎、5位に大塚忠和、6位には吉川和宏が入った。
チャレンジクラスの優勝者は〈オープンクラス〉マルセロ・マルスーラ、〈250ccクラス〉井上雄介、〈150ccクラス〉大内健八だった。
レース実況を担当したジャッキー浅倉がレース中「オフロードレースはオンロードレースのようにヒザとヒザをぶつけ合うレースではない。だから仲間同士で新しい友情が生まれるんだ」というメリマンの言葉を紹介した。結果として順位はついたが、この言葉の通り、参加者全員が勝者といってもいいのがこのエンデューロレース。
最後の1周。観客席前で転倒してしまい、疲労こんぱいでなかなかバイクを起こせないライダーに激励の声がかけられる。そして、立ち上がってゴールを目指す姿をその場にいた全員が拍手で称える。メリマンの言葉の意味を実感できるゴールシーンだった。
(写真上段)天然記念物のアカコッコ。 (写真中央)伊豆岬灯台。 (写真下段)ツアーの最終日、島市には三宅島の名物が並んだ
ガイドさん曰く「島全体が博物館であり記念館」
三宅島には釣り、バードウオッチング、スクーバダイビングなどを目的に多くの観光客が訪れる。レース翌日に行われた島内観光ではバスで島の観光スポットをひとめぐり!!
ガイドさんが島の歴史とともに観光スポットを語る。島の北側からは晴れると伊豆諸島、富士山も見えるという。ただし夜に星を見るなら南側。北側だと東京の街明かりが見えてしまうのだとか。これだけ離れていても街明かりが見えるって、東京の夜っていったい…。
島の北西部にある伊豆岬灯台は明治42年、約100年前に作られた純白のランプ式の無人灯台。伊豆諸島では一番古い灯台だ。四角い形も珍しい。
バードウオッチングなら「三宅島自然ふれあいセンター・アカコッコ館」へ。アカコッコという天然記念物の野鳥は三宅島でしか見られない。島ではごく普通の鳥なのだという。この鳥を見るために島を訪れる人は多い。
昭和37年の噴火でできた「三七山」から「ひょうたん山」を望む景色は「新東京百景」のひとつになっている。三七山、ひょうたん山はともに噴火による溶岩が固まってできたもの。ここでしか見られない風景だ。
これだけ貴重なものがある三宅島だが、博物館のような建物がほとんどないことに気付く。
理由を尋ねるとガイドさんはこう答えた。
「立派な建物はなくても、三宅島は島全体が博物館であり記念館のようなものなんです」。
至るところで島民と避難者が交流
「震災に負けるな!」東北からの避難者にエール
今回のレースでは、東日本大震災で被災し、現在東京都へ避難している福島県からの避難者を招待した。22日の夜には三宅村公民館で「震災に負けるな!WERIDE 三宅島 復興支援交流会」が開催され、島民と避難者が交流の場を持った。三宅島では2000年の噴火のときに全島民が避難。避難生活は4年5カ月に及んだ。「そのときの我々の経験と知恵をみんなの勇気に代えられないか」(三宅村議会・佐久間議長)という思いから催されたこの懇親会。島民はかつての避難生活をもとにしたアドバイスを送り、避難者は現在直面する悩みや不安を打ち明けた。