東日本大震災の発生から4年目の3月11日を迎えました。
4年前のあの日、僕は、品川よしもとプリンスシアターで出番を待っていました。舞台の上には中田カウス・ボタン師匠がいて、カウス師匠は「みんな落ち着いて、避難しろ」ってお客さんを誘導していました。僕らもプリンスの上のほうに避難して待機。すごく寒かったなあ。そこでは実際にどんなことが起こっているのか、まったく分からなくて、家へ向かって歩いているときも、なんとなくは伝わってくるけれど、本当のことは分からないっていう状況。そんな気持ちのままで、日曜日には営業で四国のステージに立ってました。そしたらね、それまでになかったぐらいすごいウケたんです。どかんどかん笑うの。不思議な感じだったね。笑わないといけない、みんなで作っていこうっていうような感じでね。今になって、大地さんはスベってたねって笑い話もしたりするんだけど。
その後はみなさんも知る通り。お笑いはもちろん、音楽ライブであるとか、エンターテインメント全体が自粛ムードになりました。そんななかで、僕も他の芸人やエンターテインメントに関わる人たちと同じように、自分に何ができるんだろうって悩みました。だって、都内だって食べ物がなくなっちゃたでしょ。そんなときに、何ができるのかって話ですよ。
そして、4年。これまでに被災地…そういうの好きじゃないから僕は復興地って呼ぶんだけど、DJしたりイベントに出たりして仕事でもあるけど、現地を見続けたいという思いもあって復興地に足を運んでいます。宮古でイベントに出て、大船渡でカウントダウンをやり、そのまま東京に戻って『爆笑ヒットパレード』で漫才やるっていう年越しもありました。よくやったって褒めてくれる人もいたんだけど…そういうんじゃないんだよな。
自分に何ができるのか。少しずつだけどそれがクリアになってきて、今はもっと有名になって復興地でイベント打って、そこへ人を導けたらと思ってます。こうやってラジオをやっていることも一つの武器だし、それを使って何かできたらって。そのためにも、あの時の、自分の無力さはずっと持っていたい。僕にとって3.11って、「忘れらんねぇよ」ですから。
今年の3.11は特別番組を担当させていただくことになりました。まずはそれをすることが僕にできることだと思います。現地で伺ったいろいろお話、ニッポン放送の記者さんたちが集めてきた情報などを詰め込んだ『大谷ノブ彦 東北でキキマス!~東日本大震災から4年、被災地の今、そしてこれから~』は、11日、普段の『キキマス!』より少し早い午前11時30分から放送します。