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ネット社会 | TOKYO HEADLINE
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ネットが社会を変えてきた平成日本【鈴木寛の「2020年への篤行録」第66回】

2019.03.11 Vol.716

 平成から新たな御代へ、2か月を切りました。さまざまなメディアで、平成の30年を振り返る特集や論考、出版がまさに「百花繚乱」と言ったこの頃です。

 この春に大学を卒業する4年生は1996年生まれ。日本社会にインターネットを普及させたヤフーの日本法人が設立されたのは、この年の1月。初代社長は米ヤフーとの合弁で出資したソフトバンクの孫さんが自ら務め、最初のオフィスは日本橋の蛎殻町にある17階建てビルの3階。4月に検索エンジンのサービスを開始し、最初の1か月間のアクセス数は30万ほどのページビュー(PV)だったそうです。

 それから20年余り、月間PV数は700億(!)。検索エンジンの王者として君臨し続けるメガベンチャーになろうとは、当時の世の中が気づかないほどひっそりとした創業期でした。いまの学生たちは、そんな歴史を知らずにスマホを当たり前に使っていますが、生まれた時には、もうヤフーがあった世代が社会人として活躍をしている事実に、時代が「一回り」した感慨を覚えます。(なお、現在のヤフージャパンの社長は、私が90年代に大学で教え始めた初期の教え子、川邊健太郎くんです。そんなご縁があったこともまた時の流れを感じさせます。)

 日本でヤフーが成功した大きな要因の一つとしては、ポータルサイトでのニュース配信というモデルを打ち立てたことでした。良くも悪くも、これにより、記事などのコンテンツを作る新聞などの伝統メディアから、ネット側に大きなパワーシフトが起こります。良くも悪くも、若い世代からニュースを読む習慣が革命的に変わってしまいました。

 消費者側のニーズが変われば企業広告も一変します。電通の分析では、成長が止まらないインターネット広告費は、2009年に新聞広告費を抜き去り、とうとう昨年は、地上波テレビの広告費にほぼ追いつくところまで伸びました。

 もちろん、限られたプレイヤーが寡占的にパイを分け合っていた新聞、テレビと異なり、ネットは非常に競争が激しく厳しい世界。2月には、カドカワの川上量生社長が退任し、傘下のドワンゴ社長に夏野剛さんが就任。体制変更の理由に、動画サービスの代表的存在だったニコニコ動画の不振などが挙げられています。

 しかし、ドワンゴは、私も助言してきた「N高」のような先進的な取り組みに挑み、新しい才能出現が注目され始めています。ネットから社会を変えていく試みは、ポスト平成も続いていきます。
(東大・慶応大教授)

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