10年以上推していたアイドルが、先日卒業コンサートを行った。
ファンやオタクというものの定義は非常に曖昧である。
新曲がリリースされるたびに楽曲を聞きこむ人もいれば、出るグッズはすべて購入して収集するという人もいるし、握手会やイベントに通い詰めて自分を覚えてもらうことに喜びを感じる人もいる。
どれが正しいオタクの姿か、どこからがオタクかという線引きは難しいが、少なくとも自分は、この推しに対してはオタクだったと自認している。
私が応援していたアイドルは、某48グループに在籍し、オレンジと緑がテーマカラーの女の子だ。
彼女を応援したいがために、「総選挙」と呼ばれるグループ内ランキングを決める投票イベントでは複数票を投じたし、彼女のパフォーマンスを見るために、いろんなコンサートに行った。
彼女のおかげで、ナゴヤドームにも、豊田スタジアムにも、福岡ドームにも、東京ドームにも行けたし、各地で美味しいものを食べた。
毎日まとめ記事をチェックしたし、振り付けを覚えて客席で小さく踊ったりもした。
私は彼女のオタクになれて幸せだし、本当に楽しい思い出をいっぱい作れたな、と思っている。
私が熱心にオタク活動をしていたのは10年近く前だろうか。
同じ会社のKさんという人も私と同じグループのオタクであった。
というか当時は部署内でこのグループが大流行りしていて、仕事を終えてからみんなでライブを見に行ったりしたこともあった。
だが一緒にオタクをしていた人も退職をしたり、推しの卒業に伴ってオタクを卒業したり、一緒にグループを応援する仲間が少なくなっていた。
幸い、私とKさんの推しは長くグループにいてくれたので、オタクを続けることができた。
我々は日々新曲の選抜メンバーの発表にドキドキしたり、新しい才能を発掘したら共有し、コンサートを見るために二人で遠征することもあった。
Kさんは10歳くらい年上の男性である。
穏やかな口調で優しそうな見た目とは反面、リアリストで、関西弁で鋭いことをズバズバ言う。
仕事にも厳しく、自分がすべきことは責任をもってこなす、職人のような営業マン、というイメージだった。
Kさんと私は一時期同じ部署にいた縁もあり、こうして同じアイドルグループを追いかけるにいたった。
ライブに行っては推したちの輝きに涙し、あの曲のあのメンバーがよかった、第何期のあの子のパフォーマンスがよくなっていた、だのオタクにしかわからないことを、酒をがぶがぶ飲みながら語り合った。
そんなKさんも会社を辞めることになり、さらにKさんの推しもグループを卒業することになってしまった。
それと同時に、私自身のオタク人生も終わってしまったかのような気持ちになった。
際に一人でのオタク活動はなんだか寂しく、しかも推しが休業に入ってしまったので、かつてのように応援できない状況が続いた。
もうあの頃のように夢中でアイドルを応援することはないのだな、とやるせない気持ちになった。
会社を辞めたKさんはその後、故郷である関西地方に戻ったのだが、それから数年後、私が関西に行く予定があったのでKさんを訪ねることにした。
久しぶりに会ったKさんは体型も鋭い口調も変わっておらず、相変わらずめちゃくちゃ飲むしめちゃくちゃ食べる人だった。
最近の会社の様子や、私が社内でどんな仕事をしているか、Kさんが今どんな仕事をしているか、とか、たわいない話をした。
「田口さんが男だったらよかったのに。」
どういう流れでそんな話になったのかは覚えていないが、私はその言葉を言われたことを鮮明に覚えている。
私が男だったら、何がどうよかったのだろう。
もっとKさんと楽しく飲んだり遊んだりできていたのだろうか。私は今でも十分に楽しいのだが。
それとも、仕事でもっと活躍できたのに、とかそういうことだったのだろうか。
私の周りではあまり話題になっていないが、2021年のジェンダーギャップ指数で日本は120位だったそうだ。
156か国中の順位なのだから、これは明らかに低いと思う。
それにも関わらず、この問題が身近で話題になっていないというのは、私の身の回りでは男女間の格差にさえ気付いていない人が多いということなのかもしれない。
そのくらい、このジェンダーギャップ指数のニュースが表していることは、根深いことだと感じた。
私が男だったなら。
今のような平社員じゃなく、もっと責任のあるポジションを任されていたのかもしれない。
もしかしたら、実は給料自体変わっていたかもしれない。
もっと世間の目を気にせず、自由に生きられたのかもしれない。
結婚すべきか、子供を作るべきか、もし一人で育てることになったらどうなるか、今ほど迷わなかったかもしれない。
生理のたびに仕事の進捗が遅れたり、体調不良で会社を休む必要はなかったかもしれない。
でも、私が男だったなら。
女性向けの事業には一生縁がなかったかもしれない。
仕事一筋で結婚にも子どもにも最初から執着がなく、他人の心に寄り添えないままだったかもしれない。
女に生まれたことが損をしているとか、得をしているとか、表立って感じてはいなかったが、もし「田口さんが男だったらよかった」というような世界があるとしたら、きっとそれがジェンダーギャップなのだろう。
何も解決していないけれど、友達と呼べる人がそんな心配をしてくれたことは、少しだけ嬉しいような気がした。
Kさんは先日誕生日を迎えた。
普段ほとんど使うことのないメールでおめでとうを伝えた。
すると、その数週間後の私の誕生日のときにKさんから、おめでとうメールが返ってきた。
メールには、知り合って14年になりますか、と添えられていた。
Kさんの脳内には、14年前のイキりにイキった私のイメージが残っているのだろうか。もっとも、今会ったところで「全然変わりませんね」とか言われそうだが。