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李登輝先生の思い出(上))【長島昭久のリアリズム】

2020.10.12 Vol.734

 令和2年8月9日午後、台湾総統府に隣接する台北賓館において、李登輝先生に最後のお別れを申し上げて参りました。超党派議員300人超からなる日華議員懇談会の副会長として、この弔問団に参画できたこと感慨ひとしおです。

 満面の笑みを湛えた李登輝先生のご遺影と向き合った時、私は、深い悲しみに暮れるとともに、新型コロナウィルスとの闘いにおいて目覚ましい成果を挙げた祖国台湾の姿に世界が瞠目した歴史的瞬間を見届けて、先生が天に召されたことを悟り胸がいっぱいになりました。

 私が李登輝先生と「出会った」のは米国留学中の1996年。その年は、台湾の歴史にとりまさしく画期をなす年となりました。それは、李登輝先生が生涯を懸けた「台湾民主化」のハイライトとなる史上初の民選総統選挙を実現した年であり、同時に台湾人が台湾語を公に堂々と語れるようになった最初の選挙でもあり、そこから「台湾アイデンティティ」が一気に高まっていくことになったのです。さらに、その年は、台湾が大陸中国を向こうに回してその圧倒的な軍事圧力を見事に撥ね返した年でもありました。世にいう「台湾海峡危機」です。当時ワシントンに留学中だった私は、この時の李登輝総統閣下の傑出したリーダーシップに感銘を受けたのです。その後、司馬遼太郎の『街道をゆく―台湾紀行』で先生の人となりを深く知り、いよいよ哲人政治家・李登輝への関心を膨らませていきました。

 その憧れの李登輝先生に初めて直にお目にかかる幸運に恵まれたのは、2004年、国政初当選から1年もたたない夏の日の午後でした。若手議員有志で編成した訪台団の一員として、台北市淡水にある李登輝先生のオフィスを訪れたのです。夢のような時間でしたが、最初から最後まで私たち日本の若い政治家を叱咤激励すること頻りでした。以来、最後にお目にかかった2016年9月までの間に計6回、先生と親しくお話しする機会を得ました。とくに、2013年10月にはご自宅を訪い、直接その謦咳(けいがい)に触れることができたのは、政治家として、否ひとりの人間として望外の幸せでした。3時間半にわたる直接指導は、文字通り魂を揺さぶるものでした。そこでの話で最も印象に残ったのが次の言葉です。

「大事を成すに、直進は迂回に如かず」
(大きな目標を立てた時、私は真っすぐそこに進むことはありません。必ず遠回りをすることにしています。) (下に続く)

(衆議院議員 長島昭久)

イージス・アショア配備計画「撤回」の意義(下)【長島昭久のリアリズム】

2020.09.14 Vol.733

「河野決断」第三の意義は、今回のイージス・アショア(以下AA)撤回が日米同盟のさらなる進化につながる契機になり得るということです。

 たしかに、日本政府による突然のAA配備計画撤回はワシントンに大きな波紋を広げ、シンクタンク関係者の間で懸念の声が上がったことは事実です。ただし、米政府の反応は終始冷静です。たとえば、国防総省でアジア太平洋地域の政策を統括するヘルビー次官補代行は「日本政府は、より費用対効果の高い代替案を決めるために、計画を技術的に見直していると理解している」と述べています。また、米ミサイル防衛庁長官のヒル海軍中将も「日本政府に別の選択肢も近く生まれると見ている。・・・一部に懸念もあるが日本と協力しつつ実現をめざす」と今後の日米協力の可能性を前向きに語っています。

 米側の冷静な対応の理由の第一は、米国も、我が国と同様、北朝鮮(や中国、ロシア)が突きつける「新たなミサイル脅威」に対応すべく、目下、既存のミサイル防衛システムの大幅な見直しに着手しているからだと思います。現に、米国はハワイに配備予定だったAAと同種のレーダーの配備をキャンセルしました。では、今後の日米協力はどのようになるのでしょうか。
 私は、今回の「河野決断」を契機に、日米連携がより深化し、総合的な抑止力が強化されると見ます。すなわち、日米の対空アセット(探知、追尾、迎撃機能)をネットワーク化して、「一人が見れば、みんなで追えて、誰でも撃てる」(Engage on Remote)体制を整えることにより、防衛可能範囲を飛躍的に拡大させ、相手国のあらゆるミサイル攻撃に対処することを可能にするでしょう。

 加えて、我が国による「自衛反撃能力」の保有です。ただし、これは、国内向けの説明同様、米国との協議を慎重に進めなければなりません。なぜなら、これまでの日米の役割分担は、「盾と矛」と呼ばれ、日本は「盾」(防御)の役割に徹し、「矛」(打撃力)は米国に依存する、というものでした。これが米国による「拡大抑止」体制の核心です。つまり、我が国が限定的とはいえ独自の打撃力を保有するということは、米国の拡大抑止に対する信頼性が揺らいでいると受け取られかねないからです。ここの誤解を解く努力は、日米同盟の根幹に関わる重要な課題となります。

 ここで、私は、中曽根総理がレーガン米大統領との「ロン・ヤス」の信頼関係を構築し、日本が駐留経費負担の増額で同盟強化の役割を果たしてきた(つまり、カネで解決を図る)従来の姿勢を改め、西太平洋における1000海里シーレーン防衛という軍事的な役割を担うことにより日米同盟を「質的転換」した事を想起します。この故事に倣い、今回は、安倍総理とトランプ大統領の信頼関係に基づき、日米が、盾も矛もバランスよく分担することにより、総合的な抑止力を高め、同盟関係をさらに成熟進化させていくことを提案したいと思います。 

(衆議院議員 長島昭久)

(注:肩書等は7月9日執筆時点でのものになります)

イージス・アショア配備計画「撤回」の意義(中)【長島昭久のリアリズム】

2020.08.10 Vol.732

 前回の最後で、「河野決断」の第二の意義は、抑止力をより確実なものとするための「反撃力」保有の議論を喚起したことにあると述べ、それは我が国戦後の安全保障戦略を根本的に転換する可能性があると指摘しました。ならば、その効用と正当性につき、国内的にも対外的にも説得力ある説明が必要です。

 最大の効用は、抑止力の強化です。抑止には、①報復により耐え難い損害を与えることで相手に攻撃を思いとどまらせる「懲罰的抑止」と、②相手の攻撃的行動を物理的に阻止する能力によって攻撃そのものを無力化する「拒否的抑止」があるとされます。また、②の拒否的抑止は、弓矢にたとえると、②a.射手をターゲットとする「積極的な手段」と、②b.飛んでくる矢を払いのける「受動的な手段」とに分けられます。我が国のミサイル防衛はもっぱら②b.に徹し、それ以外の①や②a.は米国による拡大抑止に委ねてきました。

 ワシントンやニューヨークに届くICBM開発に成功しつつある北朝鮮のミサイル脅威の動向次第では、米国が本土防衛で手一杯になり、日本を射程に収める数百発のノドンやスカッドERなど中距離ミサイル排除を後回しにせざるを得ない状況も視野に入れておく必要があります。その場合、北の飽和攻撃や奇襲攻撃に対し、受動的な②b.能力だけで十分であると果たして言い切れるでしょうか。

 ただし、①の懲罰的抑止は相手国の大都市や人口密集地への大量報復攻撃(通常は核兵器を使用)を行うもので、我が国が取り得る現実的な手段とは到底言えません。また、②a.についても、移動式発射機(TEL)から放たれる北のミサイルを適時に探知、追尾し、肉薄して精密攻撃を行う能力を保有するには膨大なコストを要することから、これも現実的な選択肢とは言えません。

 我が国が新たに保有を検討すべき抑止力は、弓矢のたとえでいうと、「射手を支援」する関連施設―たとえば、滑走路や指揮通信施設、戦闘機等の格納庫や弾薬庫、燃料タンク等―を確実に無力化しうる能力だと考えます。これが、俗にいう「敵基地攻撃能力」です。もちろん、我が国が先制攻撃を行うことはありませんから、相手の攻撃の着手を感知した時点でこの能力を発動するとすれば、これはまさしく「自衛反撃能力」(佐藤正久参議院議員)というべきものです。

 このような自衛反撃能力の保有であれば、「誘導弾などによる攻撃を防御するのに、他に手段がないと認められる限り、誘導弾などの基地を叩くことは、法理的には自衛の範囲に含まれ[る]」とした昭和31年の鳩山内閣答弁とも合致し、かつ、その反撃対象が相手国の軍事施設に限定されることからも、「性能上専ら相手国国土の壊滅的な破壊のためにのみ用いられる」と定義され、憲法上保有が許されないとされてきた「攻撃的兵器」にも当たらないものと考えます。(「下」に続く) 
(衆議院議員 長島昭久)

中国全人代における香港への「国家安全法」導入の採択を糾す【長島昭久のリアリズム】

2020.06.08 Vol.730

 5月28日、国際社会で深刻な憂慮の表明が相次ぐ中、中国全人代(全国人民代表大会)は、香港への「国家安全法」の導入を図る議案を圧倒的多数で採決しました。22日に開幕した全人代の議題に同法が上がっていたことで、世界に衝撃が走り、各国政府や議会人たちが一斉に批判の声を上げました。そこで、私は、できれば我が国でも国会決議をすべきであると考え、自民党内で根回しを始めました。

 しかし、国会決議を提案するには党内の煩雑な手続きと与野党間の調整などに時間がかかってしまい、全人代の閉幕までに到底間に合わないと判断。旧知の山田宏参議院議員、野党では香港の人権問題に熱心に取り組んできた山尾志桜里代議士に相談を持ちかけ、英国で始まった世界の議会人による共同声明への署名を党派を超えた同僚議員に働きかけることにしました。

 そこで、私が起案したのが下記の一文(概要)です。自民党内の有志および野党側は山尾代議士を呼びかけ人として、衆参全議員に配布したところ、わずか2日間で106名の賛同者(5/31時点)を得ました(未だ増え続けています)。これは各国の議会人の署名では、現時点で英国議員に次ぎ第二位の数字ですが、9月の法執行を阻止するべく、継続的に拡大を目指し、中国政府に働きかけるつもりです。

中国による香港版「国家安全法案」の導入をめぐる動きに深い憂慮を表明する世界の国会議員と連帯する署名への呼びかけ

 5月22日より開催されているに開幕した中国中華人民共和国(中国)の全国人民代表大会において、香港における国家安全法を導入する議案が審議・可決される見通しとなりました。制度案の審議が始まっています。

 私たちは、この法制度案議案が可決された場合、香港返還時に約束された「一国二制度」による高度の自治と民主体制、自由で開かれた国際経済都市・香港を支えてきた法治システムが、香港市民の関与のないまま、一方的に破壊されるのではないかと、香港市民の基本的人権を過度に制約する制度が、香港の憲法にあたる香港基本法に書き込まれる事態を深く憂慮します。

 そして、この動きにより、外交防衛以外の分野において香港の高度な自治を保障した「一国二制度」が毀損され、自由で開かれた国際都市香港の安定的繁栄を決定的に損なうことにもなりかねません。

 2019年、突如提案された「逃亡犯防止条例」とこれに対し、これに反対するデモ隊及び市民への権利、自由、基本的人権を無視した香港当局による過剰苛烈な鎮圧行動は記憶に新しいところですが、さらに国家安全法が導入されることになれば、この文脈での上記法案の審議は、香港の自治に対する中国政府の介入及び香港市民の自律と人権への敵対的姿勢がより一層エスカレートすることになるのではないかと強く危惧します。

 (略)すでに英国をはじめとする25か国231人以上の国会議員が、この国家安全法案をめぐる動きは1984年の「中英連合声明」に対する目に余る明白な違反であり、断じて容認できないと非難、深い憂慮を表明する共同声明に署名しています。

 そこで、私たちも、基本的人権の尊重と法の支配という人類普遍の価値を共有する先進民主主義国家・日本の国会議員として、世界各国の議会人と連帯価値を確信している国家として、幅広い国際社会からの意思表示に加わり、普遍的な価値へ明確なコミットメントコミットを表明するべく、上記共同声明への賛同署名をお呼び掛けさせて頂くものです。
(略)  

       
(衆議院議員 長島昭久)

※5月11日号が6月8日号と合併となったため【コロナ禍で迎えた「こどもの日」に考える】はWEB( https://www.tokyoheadline.com/496449/ )でご覧下さい。

コロナ禍で迎えた「こどもの日」に考える【長島昭久のリアリズム】

2020.05.08 Vol.web Original

 五月晴れの下、今年も「こどもの日」を迎えましたが、子どもたちが心配です。
コロナ禍で迎えた「こどもの日」は、子どもたちにとっても、子育て家庭にとっても、不安とストレスで押しつぶされそうな辛いものとなってしまいました。

 じっさい、児童虐待相談が激増しています。些細なことが原因で夫婦げんかが高じてDVの被害も急増しているといいます。現にフランスでは、都市封鎖が始まって以来DV通報件数が倍増。ベルギーでもデンマークでも、DV相談窓口への問い合わせが2倍から3倍に達したといいます。

 都市封鎖まではいきませんが、自粛要請が続く緊急事態宣言下の日本も例外ではありません。専門家によれば、家族は外出自粛でストレスを抱えている上、学校の休校で教員が児童生徒の様子を直接確認できない現状では、深刻な虐待が起きている可能性が高いといいます。また、児童相談所でも、子どもたちの健康状態を確認するため虐待のリスクが疑われる家庭を職員が訪問したり、保護者に来所を求めても、コロナ感染を理由に断られてしまうケースが続出しているというのです。

 このように、普段でも社会的に孤立する傾向のあるリスク家庭が、コロナ自粛の影響でますます孤立し、各家庭内で起こっていることがさらに見えにくくなっているのです。そのような状況は、「一律給付金」では救えません。辛うじて仕事と家事を両立させてきた、ひとり親家庭では、そもそも給付金を受け取るための手続きすらままならない状況に置かれているといいます。各市が児童扶養手当の上乗せを表明しているニュースを見ました。素晴らしいことなのですが、それが肝心な家庭にとって必要十分な支援となっているのか覚束ないのです。

 そこで、私が今注目しているのが、兵庫県明石市の推進する「おむつセット定期便」や東京都文京区の「子ども宅食」です。これまでのような相談窓口を開設して連絡が来るのを待っているのではなく、積極的に各家庭まで出張って行って必要なサービスを直接届ける「アウトリーチ」型の子育て支援です。これは行政だけでは実現できません。子ども宅食であれば、食事を提供したり、運んだりといった企業や団体が諸力を合わせて実現しているのです。

 アウトリーチ型の最大のメリットは、おむつや食事を届ける際に、家庭の様子を観察できる、問題を発見したら直ちに必要な支援につなぐことができるという点です。事件が起こるたびに虐待された子どもにどう対処するかという「川下」の方策に議論が集中しますが、それよりも、虐待そのものの発生を未然に防ぐため子育て家庭への直接支援(川上の対策)こそ、児童虐待防止の要諦ではないでしょうか。政治には、今こそ「川上」つまり子育て家庭支援にヒト、モノ、カネを投入できる仕組みづくりが求められていますので、全力で取り組んで参ります。

コロナ禍との闘いは、私たちの文明の「勁(つよ)さ」を示す闘い【長島昭久のリアリズム】

2020.04.13 Vol.729

 政府が全国7都府県に緊急事態宣言を発令し、「コロナ禍」との闘いもいよいよ新たな局面を迎えました。欧米のような強制力は伴わないものの、各自治体の知事が発する要請や指示に法的な裏付けを与えるもので、外出や移動の自粛を徹底させることにより、爆発的な感染を阻止する国家の意思を鮮明にしたといえます。政府は同時に、総額108兆円(事業規模)に上る緊急経済対策を中核とする補正予算案を閣議決定し、直ちに国会に提出しました。向こう一か月、5月の連休明けまで、国民がどこまで結束して「三密(密閉、密集、密接)」回避を徹底できるかに、日本の経済社会の将来が懸かっているといっても過言ではありません。

 パンデミックという見えない敵との闘いは、私たちの文明そのものが試されているともいえます。したがって、私たちは公衆衛生と科学技術に関わる全世界の英知を結集して、コロナ禍を抑え込み、一日も早く終息させねばなりません。そのためには、ワクチンの開発が急務です。すでにジョンソン・アンド・ジョンソンが来年初めまでに完成させることを宣言。その他、有望な研究開発が世界各国で進められています。

 一方、コロナ禍を契機に、新しい技術の社会実装が加速化されつつあります。その代表的なものが、オンライン化です。感染が拡大する中、医療崩壊を防ぐ意味からも「遠隔診療」が普及する兆しを見せているのは必然の帰結といえます。また、教育の分野でも、新学期を前にして「オンライン授業」の環境整備が差し迫った課題となっています。そんな中、友人の大学教授から一通のメールが舞い込みました。各大学がオンライン講義導入の検討に入る中で、肝心の受講する学生たちの通信インフラが心もとなくボトルネックになっているというのです。平均的な学生が契約している現状の通信プランでは、データ容量が足りず、あっという間に容量オーバーしてしまい膨大な追加料金が発生してしまうのです。そこで、通信大手3社(ドコモ、KDDI(au)、ソフトバンク)に学生たちの通信料負担を軽減してもらえないか、との相談でした。

 たまたま当選同期で親交の深い萩生田光一文科相と西村康稔コロナ対策担当相に連絡して、大学関係者の切実な要望を伝えたところ、すぐに動いてくれました。4月3日には、通信3社が、学生を中心に全国の25歳以下の契約者・利用者を一律に対象とする方向で、スマートフォンのデータ通信料金を一部無償化する(4月中はデータ容量の追加購入に必要な料金を取らない)方針を発表したのです。

 コロナ禍との闘いを、オンライン化という技術革新の社会実装を急速に拡大する契機と捉え直せば、それは高等教育のみならず、一人一台の端末保有をめざす小中学校でも、開始時期を2023年から一気に前倒しすべきと考えるのは自然の流れです。自民党の行政改革推進本部では、コロナ禍との闘いを機に、遅れていた教育、医療、行政手続などのオンライン化を一気に進めようとの提言をまとめました。ピンチはチャンス。コロナ禍との闘いは防戦一方ではなく、私たちの文明の「勁さ」を示す闘いでもあると思います。    

(衆議院議員 長島昭久)

ピンチはチャンス!新型コロナウィルス禍との闘いは政策転換の好機【長島昭久のリアリズム】

2020.03.09 Vol.728

 2月27日、安倍総理が急遽「全国の小中高校一斉休校」を決断したことにより、全国民が新型コロナウィルスに対する危機感を共有することとなりました。この決断に対しては、教育現場や子育て家庭(とりわけ、テレワークなどで対応できない職種に従事する共働きやひとり親家庭)から悲鳴が上がりました。もちろん、休校中の子ども達のケアや、正規・非正規にかかわらず子どものための休暇を選択した親御さんへの助成措置など、きめの細かい対応が求められます。

 ただ、だからといって、政府に「休校要請」の撤回を求める野党の姿勢はいただけません。「市中感染」という目には見えない津波や洪水が差し迫っている中で、命を守るため避難勧告(この場合は、一斉休校の要請)を発するのはやむを得ず、しかも、総理の意図には国民に危機の切迫を知らせる「ショック療法」の意味が込められていたのではないかと考えます。

 自己反省も込めて率直に言えば、それまでは、政府も国会も専門家もメディアも、新型コロナ禍に対する認識が甘かったのではないかと思います。残念ながら、「水際対策」という緒戦には敗北したと言わねばなりません。初動に失敗した以上、今後は「市中感染」を極力封じ込めることに「背水の陣」で臨むほかありません。

 今後は、3月末までの正念場の期間において、日本の経済・社会の生き残りを図らねばなりません。新型コロナ禍との闘いで国民の協力を仰ぐ以上、政府が国民の生活を守り抜き、日本経済の反転攻勢を全面的に牽引する姿勢を鮮明にする必要があります。2008年、リーマン・ショックに直面した英国のブラウン首相(当時)は、国民に向かって「現在、家計で苦しんでいる全ての世帯に、我々が救済に乗り出す準備があり、あなた達の味方であることを理解してほしい」というメッセージを発し、17.5%だった間接税率を一年間15%に引き下げました。

 ここは、わが国政府も、消費税減税にまで踏み込んだ大胆な「経世済民」策を打ち出す局面です。とくに、感染拡大防止策により打撃を受けた企業への緊急融資対応(個人事業主などには直接給付も)などに加え、10兆円を超える規模の国債を新規に発行し、それを財源として子育て家庭や就職氷河期の若者への重点支援、企業の研究開発投資のテコ入れなどは、停滞する経済・社会の再生に不可欠です。「ピンチはチャンス」と捉え、異次元の金融緩和と財政出動というアベノミクスの原点に立ち返り、なかなか果たせずにいたデフレからの脱却とともに日本社会の底割れを防ぐ迅速な行動が求められています。

(衆議院議員 長島昭久)

「アジア太平洋国会議員フォーラム」参加報告の巻【長島昭久のリアリズム】

2020.02.10 Vol.727

 正月早々の1月11日から16日まで、豪州キャンベラで開催された第28回アジア太平洋国会議員フォーラム(Asia Pacific Parliamentary Forum, APPF)に日本の国会を代表して参加しました。APPFは、昨年逝去された中曽根康弘氏が総理大臣を辞められた後に、アジア太平洋諸国の議会人に呼びかけ創設した会議体で、政府間の建前論を超えた本音の議論を議会人同士で大いに戦わせようではないか、という基本精神が貫かれてきました。

 今年も域内28か国から300名を超える国会議員が一堂に会し、3日間にわたり経済、安全保障、環境など主要なテーマが討議され、時に激しい議論を戦わせました。私は、日本が全体会議に提出した3つの決議案のうち、地域における安全保障課題に関する決議案の趣旨説明を行い、各国代表との分科会での議論に参画しました。そこでは、朝鮮半島の非核化に加えて、南シナ海をめぐる中国の強硬姿勢が争点となりました。

 私からは、中国が力を背景に広大な人工島を造成し、軍事要塞化している現状について率直に警鐘を鳴らすとともに、「中国の行動は、地域諸国の信頼を損ね、緊張を高め、平和と安定を蝕むものであり、私たちはこれを看過するわけにはいかない。このような行動が繰り返され、容認され、未解決のまま放置されれば、地域における国際秩序は根底から覆されてしまうであろう」と、深刻な危機感を背景に敢えて強めの発言を行いました。とくに、海洋における自由で開かれた法秩序は、人類が長い歴史を経てようやく合意に漕ぎつけた規範であって、その中核理念は「武力やその威嚇を背景にした一方的な行動により現状を変更しようとする試みを全面的に禁じて」います。この基本原則こそ、アジア太平洋地域の安定と繁栄の基礎にほかなりません。

 これに対し、中国代表団が全体会議でも分科会の場でも猛然と批判、反論を行ったことは想像に難くないでしょう。しかし、日本や豪州のみならず、ヴェトナム、インドネシア、マレーシアの代表団も私たちの懸念を共有し、中国代表団に対し厳しく反論。ロシアや韓国の代表団も、基本的に同調してくれたのです。もちろん、これは決して中国をやり込めるための問題提起ではありません。あくまでも当事国による二国間解決を強調する中国に対し、国際秩序の根幹にかかわる問題は、二国間だけでなく地域全体の懸念であることを認識してもらうためのものでした。全会一致ルールの下で、最終的には決議案から「南シナ海」という固有名詞は削除されてしまいましたが、豪州代表団の修正案によって、地域全体の課題であることが再確認されたことは有意義だったと考えます。

 今後とも、あらゆる国際場裏において、地域大国である日本が豪州や東南アジアの有志国と連携しつつ、アジア太平洋の平和と安全と繁栄を確立する使命を果たしていかねばならいと再認識し、帰国の途につきました。 

(衆議院議員 長島昭久)

令和初の元旦に誓う「日本再起動」【長島昭久のリアリズム】

2020.01.13 Vol.726

 令和2年の元旦は、新天地(東京第18選挙区=武蔵野市、府中市、小金井市)で迎えました。

 今年は庚子(かのえね)。「庚」は一つの波が引いて新たな波が起こることを意味し、「子」は十二支の始まり。すなわち、新しい時代の始まりを告げる年ということになります。私自身も、約20年お世話になった選挙区を離れ、政治家として生まれ変わるような覚悟で新たな選挙区において再スタートを切ることとなりました。

 さて、昨年末に外交、内政をめぐり実現した二つの出来事は、政府与党の政策実現力を改めて内外に示しました。同時に、政府与党の一員として、その政治決定の現場に立ち会えたことに深い感慨を覚えました。その一つは、中東への海上自衛隊艦艇の派遣決定、今一つは、寡婦控除の対象を「未婚のひとり親」へ拡大する税調決定です。

 前者は、自国の防衛という狭い国益に汲々としていた我が国の安全保障の「地平」を、国際秩序の維持(今回は、中東における海洋の安全保障)にまで広げるという意義深い政治決断だったと思います。後者は、配偶者と死別・離婚したひとり親に適用される「寡婦(寡夫)控除」の対象拡大に加え、所得税などを軽減することにより、貧困や虐待に苦しむ子ども達の成育を支援するという画期的な決断でした。

 これらの成果の土台の上に、私自身のライフワークである「(外交)安全保障」と「(子ども達の)未来保障」を軸として、「新しい日本」の創生に全力で取り組む所存です。

 前者をめぐっては、日米同盟を「日・米・英・豪との同盟」に発展させることにより、新たな国際秩序の中核を担う意志と行動を世界に示す新しい日本の外交・安全保障の指針を構想していきたいと考えます。経済や軍事のみならずあらゆる分野で台頭する中国との関係を安定化させるためには、自由で開かれた国際秩序を支える確固たる基盤が不可欠です。EU離脱を契機に英国を引き込み、東アジアにおいて英連邦と米国との紐帯を担う豪州と共に、インド太平洋地域の平和と安定と繁栄を積極的にリードする体制を構築していくのです。

 後者をめぐっては、一昨年視察したフィンランドをお手本に、日本版の「ネウボラ制度」を官民挙げて全国に整備していきたいと考えます。昨年ついに出生数が年間90万人を割りました。しかも、せっかく生まれてきた子供たちの7人に一人が貧困に喘ぎ、毎日のように虐待やいじめで命を落とすという厳しい子育て環境を劇的に改善せねばなりません。そのためには、家族以外の支え手のネットワークが必要不可欠です。妊娠から出産、せめて小学校に上がるまで、無限の可能性を秘めたその尊い命を、国を挙げて地域を挙げて大事に育てる社会をつくり上げるために全力を傾けてまいります。

 いずれにせよ、政治活動20年目の今年、政権与党の一員として、新たな時代にふさわしい「新たな日本」、すなわち「未来に誇れる日本」をつくるために粉骨砕身汗をかいてまいりますので、変わらぬご支援の程よろしくお願いいたします。

(衆議院議員 長島昭久)

中曽根大勲位のご逝去を悼む【長島昭久のリアリズム】

2019.12.09 Vol.725

 去る11月29日、大正、昭和、平成という激動の時代を駆け抜け、令和新時代の幕開けに係る全ての儀式が滞りなく執り行われたのを見届けるように、中曽根康弘元総理が101歳の天寿を全うされた。生前に賜ったご指導に深く感謝しつつ、心より哀悼の誠を捧げたい。

今こそ、日米同盟の「構造改革」が必要だ【長島昭久のリアリズム】

2019.11.11 Vol.724

 戦後長らく日米安全保障体制は、右からも左からも「不平等条約」の批判にさらされてきた。安保条約に基づいて締結された日米地位協定が在日米軍将兵に過剰なまでの特権的な地位を付与していることに対する怨嗟(えんさ)の声は、今なお根強い。そこに今度は、ドナルド・トランプ米大統領からの「不公平」批判である。曰く「米国は日本を守る義務があるのに、日本は米国を守る義務がない」。もちろん、在日米軍を支える我が国の負担は莫大で、そこから得られる米国の戦略的な利益は決して小さくなく、日米同盟関係はトランプ大統領が指摘するほど単純なものではない。しかし私は、大統領の疑問はシンプルだが、正鵠(せいこく)を射た指摘だと思っている。

 たしかに、日米安全保障条約第5条によれば、我が国は「日本の施政の下にある領域」への武力攻撃に対してしか日米共同防衛の義務を負わない。じつは、米国が結んでいる同盟において、このような「不公平」な構造になっているのは日米安保条約のみである。たとえば、NATO(北大西洋)条約では、「欧州および北米」における武力攻撃に加盟国が共同対処すると明記されているし、アジアの同盟である米韓、米比、米豪においても「太平洋地域」における武力攻撃に対し締約国が共同で対処すると規定されている。いずれも「相互防衛条約」なのである。

 一方、日米は相互防衛条約になっていない。したがって、その不公平性を穴埋めするために安保条約には「第6条」が設けられ、大要「極東の平和と安全のため我が国が米軍に対し日本が基地や施設の提供義務を負う」ことが定められたのである。この条項こそ、国内で怨嗟の的となっている地位協定の不平等な現実の根源に他ならないが、米国から見れば不公平性を埋め合わせる形で辛くも日米の「双務性」を担保する仕掛けになっているのである。この日米安保体制をめぐる不平等と不公平(その故に、日米同盟は不安定な軋みを伴うことになる)こそ、憲法に起因する「戦後レジーム」の象徴といえる。

 こんな綱渡りの状態をいつまで続けるつもりなのだろうか。せめて米韓同盟のように「太平洋地域」においては日米が相互に防衛し合う対等な関係を構築できないものか。そこで、戦後レジームの下に幾重にも施された安全保障をめぐる過剰な縛りを克服し、厳しい安保環境に直面する我が国の平和と安全を確固たるものにするために、第二次安倍政権発足以来、秘密保護法制の制定、国家安全保障局(日本版NSC)の創設、平和安全法制の成立など着実に安保改革が積み重ねられた。そして、その改革の核心こそ集団的自衛権の行使容認なのである。今度は、その土台の上に、日米同盟を「相互防衛体制」に進化させ、名実ともにイコール・パートナーとして、インド太平洋の平和と安定と繁栄の公共財として機能させたいものだ。

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