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喜多村みか写真展「meta」。 偶然性の中に必然を置く

2017.01.23 Vol.683

 写真家、喜多村みかの写真展「meta」が1月19日から下落合の「Alt_Medium」で開催されている。2013年に初の写真集『Einmal ist Keinmal』出版時に行って以来、3年ぶりの個展となる。

 喜多村はもともとスナップショットを中心に作品を制作していたのだが、今回はポートレイト。いわゆる人物に焦点をあてたもの。

「写真はある程度の偶然性があるもの。自分でも予想していなかった絵が出てくることもある。私はそれが写真の魅力だと思っているので、それをなるべく削ぎ落さないようにスナップという手法を取っていました。でも、人の写真は厄介だなという思いもあった。関係性が深ければ客観的に見ることができない。でも全然関係ない人の古い肖像写真なんかを古道具屋なんかで目にすると、どんな人なのか? どういうシチュエーションで撮られたのか?など、いろいろと想像ができて面白い。でも面白いのは、その人がもうこの世には生きていないから。いろいろなことを確かめる術もないから想像力がかきたてられる。時間が経つことが、その1枚の写真の強さとか力を増やしていることの理由のひとつとすれば、私が撮った写真もすごく時間が経った後に、そういうふうに見られることもあるのかな?とか、もっと魅力的なものになるのかな?と思った。そういう見方は風景の写真より人の写真のほうがドラマティックな気がしていて、人だけで作品にしたいとは前から思っていた。今回制作した写真は、ここ数年で撮られた写真なのでまだまだ古びていないわけですが、数十年後には何かの記録になるはず。上京して時間も経ち、以前よりも客観的に制作に向き合うようになった今、この作品を撮りたいと思えた。今回の写真は親密な人もいれば、道で声をかけた人もいる。写真を見る人にはその事実は分からない。ただ、おかげで以前より客観的になれたし、制作に集中することができた」

 確かに今回展示される写真は、どれも“いつ、どこで”というものが見えない作品になっている。

「写ってしまう偶然性といったものは今まで同じ。だから背景は今までと同じ偶然のもの。そこに人物という必然を置いてみた、という感じです」

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