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SOD | TOKYO HEADLINE - Part 3
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「選ばれる性から選ぶ性へ」【36歳のLOVE&SEX】#3

2021.02.12 Vol.web Oliginal

 この数年女性向けの性産業に携わってきて最も感じるのは、女性が「選ばれる」性から「選ぶ」性へ変わってきたということだ。
 なにより、その方向へ変わりたいという意識の広がりを強く感じる。

 あえてここで書くまでもなく、これまで日本社会では、女性は結婚して家庭に入るのが幸せという価値観が強く根付いていた。

 そのために、おしとやかにしろとか、でしゃばるなとか、上品な立ち居振る舞いを求められることも多々あった。

 家庭にとって都合のいい嫁・母・娘であることを求められてきたのだ。

 だが近年、女性が社会で活躍できる場も増え、社会的にも経済的にも自立した生き方ができるようになりつつある。

 女性の自立については、アダルト業界も大きな影響を受けているように思う。

 女性向けAVが受け入れられ始め、女性向けのアダルトグッズも様々なデザインや用途、コンセプトのものが生まれている。

 女性向けの風俗もこの数年盛り上がりを見せ始めている。

 これらはいずれも、女性が自ら選択し、お金を払って価値を享受するサービスであり、社会的、経済的な自立はもちろん精神的にも自立しつつあることの証だと言えると思う。

 では、実際にはどのような女性がそういったサービスを利用しているのだろうか。

 女性向け風俗の現場で働くキャストに、お客様と触れ合う中で感じた女性の性に対する向き合い方について探るべく、話を聞いてみた。

 話を聞いたのは、SODグループで運営する女性向け風俗店「studioCH」でキャストとして働く横山ダイキさん。

 店舗オープン時から在籍し、ランキング制度が導入された8月からは6ヶ月連続してNo.1を獲得している。

「ときめきがなくても生きていける?」【36歳のLOVE&SEX】#2

2021.01.22 Vol.Web Original

 この間、同級生である友人に会った。

 年に一回くらいしか会わないが、普段はSNSでゆるくつながっている。

 互いに結婚をしておらず、映画が好きで趣味を持っているというところでシンパシーを感じる友人だ。

 友人は年末から婚活を始め、もう十人以上の人と会っているらしい。

 しかし、どうもしっくりくる相手がいない。

 悪い人ではないが、これから生活をしていく上で適しているかどうかを考えると、いまいち気乗りする相手がいないようだ。

 寂しい人生を避けたいからパートナーを見つけたいらしいが、正直なところ、今の生活で結構満足しているし、無理したり自分のペースを崩したりしてまで恋愛や結婚がしたいわけでもない、ということなのだと思う。

 10代・20代の頃には、恋した相手のことを強く思い焦がれたり、結婚を夢見たりしたことはあるが、30代になると色々なものが手に入って、恋愛のときめきがなくても生きていけるようになった。

 例えば仕事で責任あることを任せてもらえたり、収入が増えて買えるものややれることが増えるなど、年齢を重ねたからこそできることがどんどん増えてきて、楽しくなる。

 それに、以前はなんとなく人に良く見られたいという思いもあったが、いつの間にか、他人がどう思おうと自分が楽しいと感じられることが最優先、という風に気持ちが切り替わっていった。

 ステータスの高い男性に選んでもらいたいとか、同世代の女性よりも幸せな恋愛や結婚をしたいとか、漠然とあった浅ましい望みも最近は消えていったように思う。

 そういう気持ちになっていったきっかけがあった。

 私が30代になってハマったもののひとつが、女性向け風俗だった。

 使い始めたのは3年前になるが、最初は「お金を払えば性欲と承認欲求が満たされる、なんて私に都合のいいサービス!」と思って、お金を介しての関係でしかないのに、担当キャストに依存してしまい苦しんだのだ。

 でもある時、当時指名していたキャストに「そんなに金使ってないじゃん」と言われて、一気に現実に引き戻された。

(確かにそんなに金額は使っていなかったのだが……正直これは超失言だと思うし、人によってはすごく傷つく発言だから、もしこれを読んでいる女性向け風俗店キャストがいたら絶対に言わないでほしいのだけど。)

 私はこの一言で、自分がお金で彼を支配しようとしていたことに気付いた。

 私が払っているお金は、あくまでサービスに対する対価であって、人の心を束縛するためのものではない。

 自分自身のことを、なんと浅ましい人間だろうと思うと同時に、サービスをはき違えていたんだなと自覚した。

 そして何よりも、自分自身が楽しめていないことに気付いた。

 この一件から、少しずつ物事の優先順位が変わっていった。

 何か起こるたび、「私の気持ちはどう?」と自分に問いかける。

 こんな簡単なことが、30代になってからようやくできるようになった。

 いるかもわからない「誰か」の評価を気にして自分のあるべき姿を決めて、無視された本当の私はずっと苦しかった。

 それをやめて、自分が一番に楽しむことを最優先しよう!という気持ちが自分の中で育ってきたように思う。

 だから、どんなことにもときめくことができるし、そうなってからすごく生きやすくなったような気がする。

 ところで、女性向け風俗の話をしたので、少し紹介させてほしい。

 SODグループでは2010年前後から女性向けアダルト市場の拡大に取り組んできた。

 私も2013年から女性向け動画サイトGIRL’S CHの立ち上げに7年間携わってきたが、スタート時には少なかった作品数も何百という数に増え、動画だけでなくアダルトグッズの販売やイベントの開催なども行ってきた。

 それらは、女性にとって性を楽しむ選択肢を広げるものだと考えている。

 そして新たな選択肢として、昨年から弊社では、女性向け風俗の事業を始めた。「studioCH(スタジオシーエッチ)」という。

 女性向けAVの出演者と会えたり、動画コンテンツに力を入れたり、GIRL’S CHで得たノウハウも生かされている。

 昨年末にはGIRL’S CHとコラボし、会員の方(実は40万人もいらっしゃるのです)にご協力いただいてアンケートをとり、ドラマチックコース、いわゆるイメクラのコースを今年から新たに始めた。

 今年はその事業を、もっと多くの女性に知っていただけるといいなと思います。

「バリキャリでもママでもない曖昧な人」【36歳のLOVE&SEX】#1

2021.01.08 Vol.Web Original

 あけましておめでとうございます。

 昨年は働き方をテーマに1年間試行錯誤してきましたが、部署異動や担当変更もあり、今おかれている状況とテーマにズレを感じたので、今年は自分自身として、アダルト業界に身を置いているからこそ感じたこと、考えたことを表現していきたいと考えています。

 といっても、堅苦しく何かを論じたいわけではありません。

 日常で感じるちょっとした違和感を、アダルト業界しか知らないちょっと世間知らず(アラフォーに対してこの言葉を使うことに狂気を感じますが)な人間が思ったことを書いていくことで、見える世界もあるのではないかな、と。

 連載タイトルも一新して、あえてちょっとダサい感じで手広くやっていきたいと思います。

 早速ですが、毎年年始になって思う、年賀状について。

 頂く年賀状で、毎年大きくなる子どもの写真を確認したり、家族が増えただの、家を買っただの、犬を飼っただの、目に見える資産を着実に築いている友人たちの姿を見ると、「すげえな」と思います、これは皮肉ではなく。

 だって、ひとつひとつ積み重ねたそれらのものは、簡単に手放せるものではないのですから。

 人の命を預かる責任や、家族という共同体を一緒に生きるという覚悟、また、そういった精神的なものではなくとも、家や車のローンだってあるでしょう。

 そのどれも、逃げようと思っても逃げられません。

 そういうのしかかるものを振り切って、ふわふわ逃げて生きることを選択した人間にとっては、尊敬でしかないです。

 同じ36歳でも、私のように独身で子供もおらず、楽しく孤独に趣味や仕事にいそしむ人間は、どちらかというと少数派に分類されます。

 なので私のような人間が、肩身が狭いなと感じることは仕方ないとは思います。

 とはいっても、法律や社会に邪魔されているわけでもなく、出会いや恋愛のチャンスがないというわけでもなく、ただ興味がないから結婚していないだけ。

 マジョリティでもなくマイノリティでもない自分の足元がすごく曖昧に感じることがあります。

 何か自分の生きる目標とか指標になるものはないかと、ネットの記事や雑誌を見てみると、30代後半の女性は仕事で大活躍して社会から認められている「キャリアウーマン」か、子育てや家事にと大忙しな「ママ」という扱いに分類されることが多く、自分がスコンと穴に落ちたような居場所のなさを感じるだけでした。

 でも、適度に仕事をして、生きがいがあって、仲間がいて、マイペースに生きるという生き方をしている女性は、私の周りには結構多いのです。

 もちろん類は友を呼ぶということもあるかもしれませんが、どこかの誰かに向けていろんな方向に発信されるメディアよりも、自分の身の回りの目で見て体感できることのほうがよっぽど信頼できる情報だと信じたい。

 私のような「曖昧な人」は確実に存在しているはずなのです。

 私は今35歳、今年の3月で36歳です。

 20代後半に漠然と降りかかってきた「もう自分は若くない」という恐怖と闘って数年。

 30歳を過ぎたら「アラサー」という言葉で年齢をごまかしていたものの、もう昨年からその言い訳も言えなくなってしまいました。

 だって「アラフォー」なのだもの。

 怒られるのを承知で言いますが、20代の私はアラフォーなんておばさんだと思っていました。

 おばさんだから、おしゃれしたり、騒いだり、性や愛に一喜一憂するなんて恥ずかしい、大人げないとすら思っていました。

 そういう大人にならないように、若いうちに精一杯はしゃいで、遊んで、後悔のないイケてる大人になることを目標としていた時期もありました。

 でも実際に自分が30代後半になってみて、20代の頃と大きく変わったことって、精神的にはほとんどないような気がするのです。(肌のハリとか、疲れがとれないとか、肉体的なことはありますが)

 もちろん、後輩がたくさんできて、多少は責任感とか思いやりを持ったり成長した部分もあると思うのですが、好きなものに対して我慢できない性格や、これだと思うとなりふり構わず振り切ってしまう性分は、むしろ加速しているように思います。

 性や愛についても、この仕事をしているおかげで様々な知識が増えました。

 最新グッズの情報、困りごとや悩みごとへの対処方法、性風俗についての知識、女性がどんなことで悩んでいるか、いろんな愛の形やパートナーとの関係性など、知れば知るほど世界が広がるばかりです。

 だからこそ、夫婦間の悩みはセックスレスと妊活だけではないし、恋する気持ちや性欲は年齢や立場とは関係ないということを改めて思います。

「キャリアウーマン」にも「ママ」にも程度の差こそあれ性欲はあるだろうし、でも、それがないとされている今の感じは気持ちが悪い。

 一方で、私のような「曖昧な人」は夫や子供の制約がない分自由になんでもできるかというと、別にそういうわけでもない。

 性教育は若い人だけのものではないし、性風俗は寂しい人だけのものではないし、30代後半以降の女性に向けた情報ってどこにあるの?と余計にドツボにはまってしまうのでした。

 というわけでこれからは、来た道の性でなく、これから行く道の性について、考えて書いてみようかなと、思ったり思わなかったりしているので、これを読んで一緒に考えてくれる人が一人でも増えるといいなと思います。

 今年もよろしくお願いいたします。

野本ダイトリ「女の子が食べられなくなるという状況がこの業界で初めて起こった」【2020年重大ニュース】

2020.12.28 Vol.736

気になるあの人の2020年重大ニュース

12人の識者が激動の2020年を振り返る
 2020年が終わろうとしている。今年は新型コロナウイルスの感染拡大の影響による緊急事態宣言などで「時間が止まった」こともあり、あっという間の1年だったと思う人も多いのでは? 本来だったら今年は夏に東京オリンピック・パラリンピックが開催され、今頃は「beyond2020」を旗印に2020年以降の日本のあり方が議論されていたころだろう。ところが現在は新型コロナウイルスの猛威のせいで日本どころか世界中が「withコロナ」の新しい時代を模索している。後世、語り継がれることになるであろう2020年の重大ニュースを各界の著名人の方々に挙げてもらった。

「意志を持つ」【SOD女子社員・負け犬女の働き方改革】#23

2020.12.11 Vol.Web Original

 2021年の浅草サンバカーニバルが延期されることが発表された。

 毎年8月に開催され、50万人もの観客が訪れるイベントだが、2020年は東京オリンピックの関係で9月に開催される予定だった。

 しかしコロナウィルスの感染拡大に伴い2021年9月に延期され、さらに今月1日、2021年の開催も再延期されることが発表された。

 我々サンバ愛好家は、丸3年サンバカーニバルができないことになる。

 過去にも2011年の東日本大震災の際に一度延期になっているが、2012年には再び開催されたので、こんなにも長い間浅草サンバカーニバルが開催できないのは、私のサンバ人生でも初めてだし、日本のサンバ史でも初めてのことなのではないかと思う。

 以前記事でも書いたのだが、私は2010年から趣味としてサンバを楽しんでいる。主にダンスを踊る。ほかにもブラジル音楽を聴いたり、以前はライブに行ったり、ブラジルの料理を楽しんだり、ポルトガル語も少し習った。

 浅草サンバカーニバルにも2010年から毎年出ていて、その10年間でサンバを踊って感じたことを文章にした。

時間という自信【SOD女子社員・負け犬女の働き方改革】#6

 この記事を書いたのは今年の3月、まだこのあと世の中がどんな風になっていくか、全く想像をしていなかった。

 浅草サンバカーニバルができなくなるばかりか、チームの練習のために集まることもできなくなるとは、誰が予想しただろう?

 これまでは、チームに所属していなくても、踊る場所なんていくらでもあると思っていたし、いつまでも踊り続けることができると思っていた。

 諦めないで努力を重ねれば、もっと上手になれたり、もっといろいろなところで踊ることができたりするのではないかと思っていた。

 まさか、自分の努力や意志と反して、踊ることができなくなるとは思いもしなかった。

 自分が当たり前だと思っていたことは、実は蜃気楼のように儚いものだったのだなぁ。

 頑張るとか、やる気を出すとか、こちらの出方次第で将来がなんとでもなると思ってしまっていた。自分が選択肢を持っているように勘違いしてしまったのは、人間の傲慢さなのだろうか?

 今いる現在地と理想は地続きで、ひとつひとつ前に進めばいつか叶うというのは、必ずしもすべてにあてはまることではない。

 たとえば、どれほど努力を重ねても、日本人の私がブラジル人になれることはない。そういうどうしようもないことだってある。そんなことがたくさんあったのがこの一年だったのではないだろうか。

 だからこそ、人の生きる意志が、人間の原動力になるのだということを、改めて感じられた一年だった。

 浅草サンバカーニバルだけでなく、いろんなイベントも、仕事の進行も、個人的な旅行の予定も、何もかもがうまくいかなかった2020年だからこそ、ちゃんと「生きよう」と思わないと暗闇に引きずり込まれてしまいそうだ。

 安易に「ポジティブに前向きに!」と言えるほどの若さや明るさはないが、踊るとか書くとか歌うとか、不器用にしか世界とつながった気持ちになれない皆様、お互いどうか無事に2021年を迎えられますように。

 いちサンバ愛好家として、2021年以降の浅草サンバカーニバルが開催できるかどうかも気になるところだが、サンバの本質はイベントの開催だけではないので、これからもいち素人ダンサーとして踊り続けたいと思います。

「結婚しない選択を否定することは」【SOD女子社員・負け犬女の働き方改革】#22

2020.11.27 Vol.web Original

 他人に言わせると、私は本当に人を愛したことがない、らしい。
「何もかもを投げ打って一緒にいたい。」
「何もかもどうでもよくなるほど相手のことが好き。」
 そんな気持ちを味わったことがないままに、結婚しないことを決めるなんて、おかしい。
 11月の頭に私は、かつて深い関係にあった男性にそう言われた。

 皆さんは結婚についてどう考えているだろうか。
 私は自分の人生には結婚は必要ないと思っている。
 本当に大切な人とは結婚しなくても一緒にいるだろうし、一緒に住むとかの物理的な距離感と精神的な距離感は別だと思うから、大切なパートナーとの将来を誓うという意味は結婚にはないと考えている。
 加えて、仕事や趣味や考えたいことがたくさんあるので、結婚するかしないかで迷ったり、結婚の条件に合う相手を探す時間がもったいない。
 端的にいうと、これらの理由から、自分は結婚するという選択肢を捨てた。

 もし婚姻届けが契約書だとしたら、そこに書かれている項目が、人によって大きく異なる、または、だいぶ曖昧なのも気になる。
 結婚をしたほうがいい、結婚をするべきだ、なんで結婚しないの?
 そこでいう“結婚”という言葉が一体何を指しているかがぼんやりしているうちには、その答えは出せない。

 婚姻届けが業務委託契約書の意味をもったものなのであればきっと、一人だけで生きるよりも、二人でできることが増えて、人生の可能性も増えるのだろうな。
 反対に、婚姻届けによって自分の人生の全部もしくは一部の権利を相手に譲渡するような内容であれば、もったいないなと思う。
 そんな契約書ひとつで、お互いに対する気持ちが変わらないことを表明するというのは、なんだかむなしいような。
 他に好きな人ができるということもあるかもしれないし、例えば予期せぬ事件や事故をきっかけに気持ちが変わっていったり、仕事の変化で家庭に対する気持ちが変わっていったりというようなことは容易に想像できるので、やっぱり人と人とは、向き合って一瞬一瞬を積み上げていくことでしか関係性は積み上げられないのではないか。

 とはいえ、友人の結婚を素直に喜ぶくらいのまともな感覚は持ち合わせている。
 私の周りではこの一年くらい、仲良くしている人が何人か結婚した。
 コロナ禍で云々ということではなく、長く付き合っていた人とたまたま今年そうなったパターンが多く、とても喜ばしいことだ。
 友人の決定は友人自身のものだし、それを彼ら・彼女らが決断したことはとても尊いことだと思う。

 さて、冒頭の話に戻る。
 そんな風に私が結婚について難癖をつけるのは、本当に人を愛したことがないから、だそうだ。
 結婚によって良い方向に変わることもある、ずっと愛し合える可能性もある。
 それなのにその希望を最初から諦めるのは、ただの臆病だと言われた。

 君はかわいそうな人生だ、もっと真剣にパートナーを探すべき、と言われて思わず、「私の人生の責任とるつもりもないのに、そんなこと言わないでよ!」と怒鳴ってしまった。
 どんなドラマだ。
 ドラマならここで、「結婚しよう」となるのかもしれないが、我々は今やそんな関係ではないし、やっぱりコイツのこと嫌いだわと強く思っただけで、何のロマンスも始まらなかった。

 Twitterでも別の人にこんなことを言われた。
 前回性的同意について触れた際、記事に紐づけてTwitterで、「同意を取ろうとして萎える相手であれば私とは合わないだろうし、我慢する必要はなかった」という主旨の呟きをした。
 それに対して、幸せな家庭が想像できないかわいそうな人、本当に人を愛したことがない人は何を言ってもだめ、というコメントをいただいて、ショックだった。(現在は削除済み)

 私が人を愛してないと、どうやって測るのか?
 結婚しないからと言って、家庭をもたないからと言って、なぜ本当に人を愛したことがないと言えるのか?
 結婚しない選択、子供を産まない選択をすることは何かおかしいのだろうか。
 仕事をして、恋をして、表現をして、人生それ以外は、高望みする必要はないというのを決めるのは、おかしいだろうか。
 それほどに、結婚は、家族は、良いものだろうか?
 寂しい時に寂しいと言える友達、一緒に趣味を語り合って楽しみあえる仲間、愚痴や迷いを言い合える相手がいれば、私には十分なのだが。

 結婚するタイミングがなかったわけでもなかった。
 もう十年以上も前だけど。
 同棲もしたし、親に挨拶にも言ったし、結婚する予定があった時期もあった。
 でも私は気乗りしなかった。
 最終的にはそれに気が付いた彼が、私のもとを離れていった。

 そうだね、私は彼を心の底から愛していなかったのかもしれない。
 自由と、孤独と、あと彼よりも少し仕事のほうを愛していた、と今になって思う。

 婚活とか、転職とかして、一度今の環境をすべて変えてみたほうがいいのだろうか?
 自分が置かれてる世界がおかしいから、なんだか他人から見て「足りない」ように見えているのかもしれない。
 自分のいる環境を最大公約数的なマトモなものにしたら、誰かから太鼓判を押してもらえる私になれるかもしれない。

 書いててくだらなさすぎて反吐が出そうです。
 太鼓判なんていらないので、引き続き自由と孤独と仕事を心から愛して生きていきます。

「私たちのことは放っておいて」【SOD女子社員・負け犬女の働き方改革】#21

2020.11.13 Vol.web Original

性暴力と聞いて、どんなものを思い浮かべるだろうか。
私は、思春期の頃にドラマの中で見たショッキングなシーンが思い浮かぶ。
人のいない薄暗い橋の下で、女性が押し倒され無理やりに……というような、あまりに暴力的で理不尽な出来事というイメージだ。

しかし最近は「同意ない性行為は性犯罪である」という考え方が広まり、勇気をもって声をあげる人も増えてきた。
そういう声を聞いて、「あのときのアレは今思えば性暴力だったのでは……」という思いを抱いた人は男女ともに少なくないだろう。
現に私も、本当は嫌だったなぁと思いながらしていた行為に心当たりがある。

もう何年も前になるが、コンパでずいぶん飲んだ帰り、一緒にタクシーに乗った男性にそのまま家の中まで入られてしまった。
その男性は、やることをやったら連絡先も残さず家を出た。
飲み会の帰りに男性と帰った自分が悪い、家に入れてしまった自分が悪い、抵抗しなかった自分が悪い……なんでもっとわかりやすく大げさに拒絶しなかったのだろうと、怒りでシャワーを浴びながら泣いた。

また別の機会、ホテルまでは合意の上だったが、どうしてもしたくないことを強要されたことがあった。
嫌すぎて風呂場まで逃げたが引きずり出されたときの、相手の男性の目は本当に怖かった。
性的に興奮しているというのではなく、私のことを人として見ていない、ただの自分の欲望を満たすためのモノとして見ている、そんな目は初めてだった。
これが全く何も理解していない子供だったらどれだけ怖いだろうとも思った。

……というようなこと、実は女性にとっては「あるある」かもしれない。
私にとっては、過去のやらかしたエピソードとして、誰かの恋愛相談に乗るときに引き合いに出して「こんなこともあるから気を付けてね!」と後押しをできるくらいの役には立っていると思う。
性に関わる会社に勤めているからこそ、こういう話を面白おかしく話せるようになって、まわりの人のいい教訓にならなければ、と思ったりもしていた。

だが、面白おかしく話す私に、「それ笑いごとじゃないよ、つらかったね」と言ってくれた人がいて、そこでようやく気付いた。
私も結構傷付いていたのだな、と……。
自分がドラマで見知っていた性暴力と比べるとほんのささいなことだけど、気にしすぎだとか私が悪いとか思う人も絶対いるけど、たとえ小さくでも傷付いたことは事実なのだ。

最近Twitterのプロフィールから、会社名や自分の担当していた仕事についての記述を消したのだが、以前はほとんど来なかった知らない男性からのDMが来るようになった。
私はTwitterで、AVや風俗やほかにもエロの話もするので、何も知らない人が私をフォローして不快にならないように、あえてプロフィールにそのことを記載したほうが良いのではと思って、そうしていた。
だが実際にプロフィールを見た男性からは、「セックスしない?」「今度会いましょう!」というような、Twitterを通して性的なつながりを求める女性だと誤解されただけだった。
知らない男性にいきなり下の名前で呼ばれると怖い、というつぶやきをした直後に面識もない人から「桃子さんこんにちは!」というDMが来たときには、何の冗談かと思った。

ああ、女性が性のことを話すのって、こんなに大変なことなんだ……。

性に対して積極的な発言をすれば誤解され、悔しい悲しい思いをしたら我慢しなくてはならず、相談できる場所も少ない。
気になるならTwitterやめればいい、という話をしているのではない。
ひとりの女性が性に関して意見を言うだけなのに、その道のりが遠すぎるということを言いたいのだ。

もし、Twitterやその他SNSで、出会い目的以外で性のことを発信している女性を見かけても、男性の皆さんにはぜひ「放っておいてほしい」。
私たちは独立したひとりの人間として意見が言いたいだけだし、助けが欲しいときは助けてという。
寂しいから、孤独だから、ましてやセックスがしたいから、結婚がしたいから積極的に性の話をしているわけではない。
あなたが(男性であろうと女性であろうとどちらでもなかろうと)女性は男性に媚びなければ、男性の支援がなければ生きていけないと思っているなら、今すぐにその考え方は改めたほうがいい。
余計なお世話も、性的な誘いも、同情もいらない、何の偏見もなく話を聞いてもらいたいだけなのだ。たぶん。

カンパニー松尾、バクシーシ山下、梁井一がバーテンダーを務めるお店が新中野に出現

2020.11.06 Vol.Web Original

「性のお悩み相談DAY」として3人のレジェンドAV監督が“出勤”

 AV監督界のレジェンド、カンパニー松尾、バクシーシ山下、梁井一がバーテンダーとなって杯を交わしながら客とさまざまな会話をする――。このトークイベントなどとはちょっと趣の違う体験ができるバーが新中野にあった。

 ここはソフト・オン・デマンド(SOD)が運営する飲食店「Syain Bar SOD女子社員」。先日、新宿の歌舞伎町にオープンした「SOD LAND」に先駆けること1年半、「『SOD本社』で作品に出演するかもしれない新人女子社員たちが働くBAR」というコンセプトでスタートしたバーだ。

 現在はファンの要望に応える形で、ベテランAV男優や女性向けAVに出演するイケメン男優や、10月からは女性向け風俗店の男性キャストや、一般の男性アイドルがカウンター内に入る日も設けるようになり、毎週水・金・土曜日は「男子社員DAY」となっている。

 そんななか、10月21日には初めての試みとなる「性のお悩み相談DAY」として3人のレジェンドが“出勤”した。

新宿・歌舞伎町に誕生した「SOD LAND」は停滞する飲食業界の起爆剤となるか!?

2020.10.09 Vol.web Original

 ソフト・オン・デマンド(SOD)が10月10日、東京・新宿の歌舞伎町に飲食ビル「SOD LAND」をオープンする。

 SODはこれまで、2018年5月に秋葉原に「女子社員酒場」、2019年5月に新中野に「Syain Bar」をオープン。このSOD LANDは同社の飲食店事業の旗艦店となるものでB1階から4階まで計5フロアすべてが異なるコンセプトで展開する。

SODがAV女優と飲める大人のテーマパーク「SOD LAND」を歌舞伎町にオープン

2020.09.16 Vol.Web Original

10月10日から全5フロアで展開

 ソフト・オン・デマンド(SOD)が9月16日、飲食店事業の旗艦店として、東京・新宿の歌舞伎町に飲食ビル「SOD LAND」を10月10日にオープンすることを発表した。

 SODはこれまで、2018年5月に秋葉原に「女子社員酒場」、2019年5月に新中野に「Syain Bar」をオープン。「女子社員酒場」は「女子社員やAV女優に『会える』居酒屋」、「Syain Bar」は「『SOD本社』で作品に出演するかもしれない新人女子社員たちが働くBAR」というコンセプトで人気を集めた。

 今回立ち上げる「SOD LAND」は、SOD創業者の高橋がなり氏が製作総指揮。B1F~4Fの合計5フロアをすべて異なるコンセプトにした飲食店ビルとなる。

 B1階の「SOD女子社員酒場 ウブ新入社員店」は元祖女子社員酒場秋葉原店の営業スタイルを継承し、デビュー前、またはデビューしたての新人女優が店員を務める。3階の「SOD Syain Bar KABUKICHO」は新中野の「Syain Bar」の歌舞伎町版。

 2階の「風俗研究所『カクブツサロン』」は風俗業界と連携したフーゾク嬢と飲めるバー。4階の「SILENT BAR」は全席私語厳禁のカウンターバー。水着姿のセクシーバーテンダーがマジックミラー越しに登場し、無防備にカクテルを作る姿をじっくり堪能しながら優雅にくつろげる。マジックミラー越しというのがSODの人気作品をほうふつとさせる。1階の総合受付ではDVDやグッズの購入、プリクラや1000円ガチャなどが用意されている。

 また新型コロナウイルスの感染予防対策としても、検温やマスク着用、ソーシャルディスタンスといった基本的なものはもちろん、踏込プレートを踏むだけで全身にくまなく消毒液を噴霧しての消毒、殺菌効果の高いUV-C紫外線を室内上部に照射、エアコンにも最新の設備を導入し室内の制菌・消臭を図るなど徹底した態勢で臨むという。

「私じゃない私に乗っ取られる」【SOD女子社員・負け犬女の働き方改革】#16

2020.08.14 Vol.Web Original

 月に一度のアレが来た、と言えば多くの女性はピンとくると思う。

 それは、来るときだいたい不快感と絶望感が付いてくる。

 この時期をポジティブに過ごすライフハック記事も少なくないが、そもそも気持ちをポジティブに切り替えようという元気すらない。

 私はそんな感じだ。

 年々生理に伴う諸症状が悪化している。

 生理に関して、もちろん男性は体験したことがないから実感としてはわからないだろうし、女性同士でも痛みのひどさも経血の量も周期も人それぞれだし(そして具体的な比較ができない)、他人の生理のつらさを理解するのは困難だ。

 生理痛も、生理前後の不快感も、自分で向き合うしかない、孤独な闘いである。

 私の場合、もともと生理痛はそれほどひどいほうではなかった。

 一般的な周期で、一般的な期間、市販の生理用品で対処できる程度の量、1~2回鎮痛剤を飲めば収まる程度の痛みだった。

 低用量ピルを飲み始めたのは社会人1~2年目の頃だったと思う。

 理由は「生理が楽になる」と聞いたからと、コンドームだけでは避妊に不安があったからだ。

 当時は今より仕事が忙しく……正確に言えば慣れない業務にプラスして会社行事の準備などがあり、朝から終電まで働くような日が当然という生活をしていて、生理期間をなるべく快適に過ごしたいというのと、今こんなに忙しい中妊娠したら困るという気持ちから飲み始めた。

 ピルを飲み始めて最初の一ヶ月くらいは精神的に不安定な時期や頭痛があったりしたが、すぐに体調は安定した。

 私の性格的に飲み忘れることもなく、毎月同じタイミングで生理が来る。

 いつ来るのかと無駄な準備をしながら日常生活を送ることもなくなって、始まったとしても3日間で終わる。

 何よりも、生理痛がほとんどなくなり、生理前に一週間くらいあった不快感(なくなってから始めて気付いたのだが)がなくなった。

 それまでの私は、ひと月のうち半分に近い日数を、生理の不快とともに過ごしていたと初めて意識した。
まるで人生の半分を、私じゃない私に乗っ取られていたように思った。

 ピルを飲み続けて10年以上だが、この2~3年、そんな私の体にも変化が訪れている。

 その変化は、1年半ほど毎日日記をつけてみてわかった。

 過去の日記を読み返してみると、生理前の1週間くらいから、急にネガティブな内容に変わる。

 前日までは、美味しいご飯を食べて満足したとか、面白い映画を見て最高の気分だとか言っているのに、まるで別人のように、死にたい、何をしても意味がないと感じる、という内容が書かれている。

 しかも生理が始まったとたん、急にあっけらかんとした内容に戻るのだ。

 そしてそれが毎月繰り返される。

 正直、自分で読んでいても、あまりの落差に恐怖を覚える。

 精神的な変化だけではない。

 とにかく生理1日目の眠気がひどいのだ。

 夜寝る時の眠気とは全く質が違う、睡眠薬でも盛られたんじゃないかというような、体が全く動かせなくなる眠気だ。

 なんとか起きて会社に向かっても、夕方くらいまで頭がぼーっとしていることも少なくなく、全く仕事にならない。

 そんな風に生活に支障が出るレベルで、生理前と生理1日目の症状がひどくなってしまった。

 年齢による体の衰えが原因なのか、もともとの体質によるものなのかはわからないが、また私は月の大半を、自分でコントロールできないまま過ごしている。

 これまでは、生理とうまく付き合いながら働いていければいいな、と思っていたが、このままではうまく付き合う自信がない。

 休めばいいじゃないかと言われるかもしれないが、精神が不安定だからという理由で毎月生理前に一週間も休めない。(業務的にも、有給日数的にも)

 他の予定を調整してやりくりする方法もあるかもしれないが、貴重な休みの日を生理のために使うのかと、しかも仕事に影響が出ないように調整するのかと思うと、正直腑に落ちない。

 現在は低用量ピルも様々な種類があり、生理の頻度を三か月に1回程度にできるものもあるらしい。

 もはやそれに切り替えて、生理の頻度自体を減らしたほうがいいのではないか、などとも考える。

 仕事に集中するためには、私たち女性は生理をコントロールしながら働かなければいけない。

 低用量ピルの認知が10年前よりもずっと高まっていることからも、そうすべきと考えられているのではないかと思う。

 ただ、コントロールしきれないのが人間だ。

 私には低用量ピルという選択肢があったが、体に合わない人もいる。

 少しずつのストレスの積み重ねで、ピルを飲んでもコントロールしきれないこともある。

 生理をコントロールできないならどうすればいいのだろうか。

 仕事量をコントロールするしかない。

 生理休暇を利用して、生理にあわせて仕事を調整する……そんなにうまくいくのだろうか?

 そもそも、自分ではなんともできないことが原因で、なぜやりたいことを諦めたり譲歩したり遠慮したりしなければならないのか。

 これは出産にも同じことが言えるんじゃなかろうか。

 生理のない男性がずるいとは思わない。

 生理痛のない同性がずるいとは思わない。

 ただ、強い人の基準にあわせて作られたルールでは、いつもハンデのある人間が割を食ってしまう。

 その価値観が生きづらくて、今日もひとりこんな文章を書くのであった。

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