【インタビュー】長谷川博己、大河ドラマ『麒麟がくる』で“新しい”明智光秀を生きる。
長谷川は、ていねいに、そしてち密に役を作っていく印象が強いが……。
「いろんな資料や本は読みました。池端先生とご一緒した『夏目漱石の妻』の時のようにリサーチもたくさんしましたが、調べれば調べるほど分からないんです。いろんな人がいろんなことを言っていて、またそれを否定する人もいて。わからなくなってきたので、基本的に現場にはそれは持ち込まずに、池端先生の本のなかでの光秀をやっていこうと」
「最初入った時は、どうしても逆算してしまうところがあった」と、長谷川。本能寺の変のあたりのやりとり、宣教師のルイス・フロイスの書き残したものなどから、「こういう人間なのに、どうしてこういうことを言うのかと思ったりしていた」という。でも、池端に「みんなが知っている、本能寺の変を起こした明智光秀から逆算して考えないでほしい」と言われた。
それゆえに、読んだことや調べたことを忘れて、一切考えないで、「無の状態」で臨んでいるという。
「子どもの頃からものすごく頭がいいという光秀像で描かれますが、普通の、ひとりの青年なんです。自分が生まれた美濃という国を守りたいという気持ちが根本にあって、明智荘(あけちのしょう)を出て違う国を見たら、国はもっと大きいんだと感じて、美濃から尾張や堺に行き、守りたいと思う場所がどんどん広がっていった。それと、明智の家系には男があまりいなかったと聞きますから、明智の血を絶やしてはいけないという責任感もあった。そういう気持ちって、今の人間も同じで、今にも通じるものですし、普通に共感します」
撮影は昨年6月にスタート。それ以前の準備段階からそうだろうが、ずっと光秀と向かい合っている。「とにかくヘビーな撮影」と長谷川。そして「すごく難しい」。
「光秀というのは、いつも黙っているので、台本に“……”がものすごく多いんです。斎藤道三(光秀の主君)に無茶なことを言われても、帰蝶(後の、濃姫)に何かを言われても“……”。そこを自分で埋めなければいけないのは楽しくもあるんですけど、すごく難しいんです。今こういうことになっているからこの感情だろうというのも正解とは限らないし、分かりやすくしてもいけない気もしますし……」。